訳者のことば

 ショッピングサイトから「あなたにオススメ」のひとつとして“Couch Fiction”発売のお知らせが届いたのが2010 年の春でした。あとがきを記しているサミュエルズ氏に関連する図書として,だったのですが,早とちりにもサミュエルズの新刊が出た! と,クリックひとつで購入したのが,この本の原著“Couch Fiction”でした。手元に届くと,著者は未知の人フィリッパ・ペリーで,専門書らしくはなく,手作り感あふれる絵で綴られた本だったことに驚きました。同時に,興味をそそられてページを繰ると,初回でのジェイムズの戸惑いや怒りなど,心理療法のあれこれについて的を射た記述が多く,口当たりのよい語句が散りばめられているわけでもなく,真実味があるなあ,とも思ったのです。
 私たち二人とも心理療法を生業として十数年になります。「心理療法って何?」と尋ねられることも多く,セラピストの人柄や努力によってクライエントに好ましい変化が生じると思われていたり,ときには魔法のような癒しを期待されているのだろうなあと感じることもたびたびです。もちろん,実際の心理療法では,セラピストがクライエントの問題を解決するというようなことはなく,魔法の癒しもありません。本書に述べられているような過程を通じて,セラピストとクライエントの関係性による双方の変化が生じるのですが,心理療法に対する疑念や不安を抱いている人にうまく説明することは難しく,どんなにことばを尽くしても,本書にも述べられているように「何の意味もないし,気味悪いだけ」なのだと歯がゆい思いを抱いていました。
 また,心理療法を学ぶとき,はじめの一歩として傾聴が重視されるのは当然ですが,「では,聴いたことに対して何を言えばいいのか」という疑問が生じてきます。何を言うのか(または言わないのか)は,傾聴を通じてクライエントに対してどのような理解が生まれたのか,クライエントとセラピストの間に何が生じてくるのか,何がクライエントにとって役に立つのかなど,セラピストの考えに基づいて,自覚的にまたは無自覚に決定されています。そして,それに対するクライエントの反応をセラピストが受け取る(または受け取りそびれる)というやりとりを通じて,心理療法の過程が動いていきます。けれど,このようなことを文章にしたとして,学生や初心者にピンとくるのだろうか?と思っていたところに,この本との出会いがありました。この本を多くの方に手にとっていただき,いろいろなことが起きている心理療法の現実や人間の営みに触れていただければ幸いです。
 ご多忙にもかかわらず,鈴木龍先生に監訳をお引き受けいただきました。出版社探しが難航する中で,日本ユニ・エージェンシーの竹内えり子氏に金剛出版の中村奈々氏をご紹介いただきました。さらに,サミュエルズ氏のお力添えで,著者のペリー氏に承諾を得ることができました。私たち二人の恩師である織田尚生先生を通じてサミュエルズ氏と知り合い,この本に出会うことができました。この場を借りてお礼申し上げます。最後に,この翻訳作業を見守ってくれた職場の皆さん,関係者・家族に感謝します。

2013 年3 月
酒井祥子・清水めぐみ