監訳者序

 本書は,Edna B. Foa, Terence M. Keane, Matthew J. Friedman, Judith A. Cohen eds. Effective Treatments for PTSD : Practice Guidelines from the International Society for Traumatic Stress Studies, Second Edition, 2009, The Guilford Press, New York. の全訳である。
 原書は,国際トラウマティック・ストレス学会の特別作業班(Task Force)が中心となって作成したPTSD治療ガイドラインの改訂版である。原書の初版は2000年に出版され,2005年には日本語訳も出版された(飛鳥井望,西園文,石井朝子訳:PTSD治療ガイドライン―エビデンスに基づいた治療戦略,金剛出版)。原書作成の過程については,本書第1章序論に詳細が記されている。全体は二つの部分から構成されており,前半は代表的文献の紹介を含むポジションペーパーであり,後半はそれを要約した治療ガイドラインである。各章および各ガイドラインは,その領域のエキスパートによる治療研究文献の網羅的レビューに基づいて作成されており,協力した分担執筆者の総数は71人に上る。「本ガイドラインを通じて臨床家に示したいことは,心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder : PTSD)と診断された患者に対して提供し得る,エキスパートが考えるところの最良の治療法である」と序論で謳っているように,PTSD専門学会としての総力を挙げ,類書の追随を許さない抜きんでた内容としてまとめあげられている。
 改訂版の最大のハイライトは,子どものトラウマ治療セクションの大幅な充実であろう。初版では子どもに限った内容の章は,各種治療のレビューを記したわずか1章でしかなかったが,改訂版では,診断評価,早期介入,認知行動療法,薬物療法,学校での介入,力動的精神療法,創造芸術療法と,子どもの領域として一挙に7章が割かれている。また初版以来の3名の共同編者(Edna Foa, Terence Keane, Matthew Friedman)に加えて,子どものトラウマ治療の第一人者であるJudith Cohenが新たに編者として参画するところとなった。その背景には,子どものPTSD治療に関する昨今の実証的エビデンスの目覚ましい蓄積があろう。ことにその中心となっているのが,Cohen, Mannarino, Deblingerが開発した「トラウマ・フォーカスト認知行動療法(TF-CBT)」である。

 初版出版以降,各国からPTSD治療ガイドラインが相次いで出された。代表的なものには,米国精神医学会(2004),英国医療技術評価機構(NICE)(2005),オーストラリア外傷後精神保健センター(2007)のガイドラインがあり,その他にも全米アカデミーズ医学院(2008)による厳密なPTSD治療評価報告がある。曝露療法に代表される認知行動療法が第一線の治療として推奨されているのは,各ガイドラインとも共通している。また全米アカデミーズ医学院報告でも,現在PTSDに対する有効性が十分に認められるのは曝露療法のみと結論付けられた。薬物療法に関しては,位置付けを第一線とするか第二線とするかで各ガイドラインの立場は分かれるが,一定の評価は得られている。EMDRに関しても同様で,NICEでは認知行動療法と並ぶ第一線の治療と位置付けているが,オーストラリアのガイドラインでは曝露技法と組み合わせた場合に第一線治療として推奨している。
 あいにくと本書レビューの時期には間に合わなかったが,本邦においてPTSDに対する治療的有効性を明らかにした研究には,曝露療法(PE療法)に関するレベルAのランダム化比較試験が1件あり(Asukai et al., 2010),他に薬物療法(paroxetine)に関するレベルBの非対照試験が1件ある(Kim et al., 2008)。
 このようにPTSD治療のエビデンスは各国でほぼ共通するといってよいが,その実践となると多くの課題がある。例えば,PTSDのための認知行動療法を提供できる施設と訓練された治療者はいまだ限られている。またよりアクセスしやすい薬物療法であっても,それを好む患者と好まない患者がいる。さらには,各ガイドラインを詳しく比較検討したForbesらが述べるように,「臨床実践は限りなく複雑であり,曝露療法のような単一的介入であっても,実施の際に臨床家は多くの判断を要請される。当然ながら治療が行われるのは,治療同盟の構築,包括的なアセスメント,ケース・フォーミュレーション,治療計画などの幅広い臨床的ケアに包みこまれた中なのである。・・・ケアのあらゆる局面を実証データが導いてくれると仮定するのは非現実的なことである」(Forbes et al., 2010)したがって常に求められるのは,堅固な方法論による治療研究が提供するエビデンスと臨床的考察とのバランスである。

 監訳者として,各分担翻訳者から寄せられた翻訳原稿を原書と照らし合わせ,必要と思われる箇所には修正を加えさせていただいた。そのため原書全体につぶさに目を通すという状況に追い込まれる幸運な労に恵まれた。PTSDの力動的精神療法,集団療法,リハビリテーション,催眠療法,夫婦・家族療法,創造芸術療法などは,実証的エビデンスが比較的乏しいこともあり,普段は研究として目にすることの少ない領域である。しかしながら,それぞれの領域でのトラウマ臨床の豊かな歴史はいずれも読み応えがあり,技法は異なってもそこに共通する臨床的英知を垣間見ることができたのは,まさに各章の分担執筆者の熱意と能力そして思索と経験の賜物である。
 最後に,本書の出版に深いご理解とご尽力を賜った,金剛出版代表取締役の立石正信氏と編集者の中村奈々氏に深く感謝します。
 折しも未曾有の破壊と犠牲をもたらした東日本大震災から2年が経ち,被災地では生活再建の模索が続く中,多くの被災者やご遺族の方々はいまなお,トラウマの影響によるPTSDを含めた心身不調を抱えながらの生活を余儀なくされておられるかもしれない。また災害だけでなく,暴力犯罪,事故,テロ,虐待,DV,外傷的死別は,われわれの日常生活と隣合わせのものである。PTSDの症状理解と良質の治療の提供は,現代社会が取り組まなければならない公衆衛生上の重要課題なのである。本書をトラウマからの回復への導きの一助として,本邦の多くの臨床家の方々の参考としていただき,そのような課題解決にいささかなりとも貢献できるならば大きな喜びである。

2013年4月
飛鳥井 望