二〇一〇年春、金剛出版の中村奈々さんより、作業療法士以外の人にも分かる読みやすい作業療法の書籍をと執筆のお誘いをいただいた。仕事上、いろいろな事情が重なっていた時期で、一冊書き下ろす時間的な余裕がないことを告げると、これまでの著作をまとめる形でよいと踏み込まれ、逃げ切れない何かがあった。きっと、自己課題に触れられたからであろう。それならと、二〇年余りの臨床と教育の中でことばにしてきたものから選択した二二編を整理して『作業療法の知・技・理』をまとめたのが、翌二〇一一年のはじめ、出版されたのが祇園祭の前であった。ほっと一息ついて忘れかけていたころ、中村さんから「あの本は?」と再び。「えっ、あれはまだ依頼が続いているのですか」と、思わず聞き返した。『作業療法の知・技・理』で終わったものと思い込んでいた。しかし、時間(仕事に奪われる日々の時間)に追われながら、自分に残された時間(比較的清明に思考が可能な現世の時間)が頭をよぎる。
 作業療法という未開拓の野に足を踏み入れて三〇余年、作業をもちいる療法とは何か、自分が体験した確からしさをどのように伝えればよいか、そのあがきのような言語化の試みのなか、作業する「からだ」から、専門の言葉をもちいない「ことば」がこぼれ出た。そのこぼれ出た「ことば」を集めたものが『作業療法の詩』(青海社)になった。そして、「治療機序」と「治療関係の構築」という作業をもちいる療法の輪郭が、『治療・援助における二つのコミュニケーション』(三輪書店)で少し姿を現した。この執筆の過程においても、論理的な言語にならない「ことば」がこぼれ『作業療法の詩・ふたたび』(青海社)になった。
 確からしいと感じたものは何か、「ことば」では伝えきれないものを「ことば」にする旅は、まだ続いている。この『臨床作業療法』もその一里塚。作業をもちいる治療・援助のすべてが、対象者とのかかわりという現実の事象のなかにある。そしてそこから得られる知識や技法、それらすべては、臨床を通した検証を抜きには成り立たない。
 表紙の絵は、岩下哲士さん。一歳三カ月の時、急性小児マヒを発病。右脳の機能をほとんど失い、左半身が不自由になるが、小学校時代より絵を習い始め、国内外で個展を開き、作品は小中学校の図画工作や美術の教科書に採用されている。本書出版の話をしたとき、いつものように「僕の絵使ってよ、好きなの使っていいよ」。うれしい、迷わず「仏さま、花や鳥、いろいろなどうぶつ、なかでも仏さまがだいすき」という哲士さんの「仏さま」(192 watercolor and pastel 109× 79 cm)を選んだ。

二〇一三年 端午の節句に筆を置く  山根 寛