はじめに


 本書は,.Get Your Loved One Sober: Alternatives to Nagging, Pleading,and Threatening.(原題邦訳.あなたの大切な人にもう飲ませないために―小言や懇願,脅しの代わりに.)の全訳です。これは,依存症者家族を介した依存症治療プログラムである「コミュニティ強化と家族トレーニング(community reinforcement and family training: CRAFT[クラフト])」の実際をわかりやすく解説した家族向けのテキストです。
 クラフトの邦訳書としては,すでに『CRAFT 依存症患者への治療動機づけ―家族と治療者のためのプログラムとマニュアル』(境泉洋ほか監訳,金剛出版,2012 )が刊行されています(本書の著者ボブ・メイヤーズも共著者となっている書籍です)。そちらの本はセラピスト向けのマニュアルで,一方のこちらは家族向けハンドブックと理解していただければと思います。
 すでに一読された方はすぐに気づいたかと思いますが,本書はとても平易な文章で書かれています。そして,ページの隅々にまで依存症者家族に対する思いやりの気持ちに満ちています。
 私は監訳者として,そして依存症の専門家の端くれとして断言します。本書は,大切な人のアルコールや薬物,ギャンブルなどの問題で悩んでいる方にとって,必ず何らかの貢献をしてくれる一冊です。少なくともそのような家族の孤独を減じ,これまでよりも幸せな気持ちで生きることを可能にしてくれるでしょう。
 その理由について以下に説明していきたいと思います。

依存症者家族は孤立している


 まずは,依存症にくわしくない方のために,なぜいま,家族のためのハンドブックが必要なのかについて説明しておきたいと思います。
 依存症者の家族はとてつもなく孤立しています―そう,地域のなかでも,親族のなかでも。なぜなら,依存症という問題は赤の他人になかなか相談しづらい問題だからです。多くの家族がこの問題を「家族の恥」だと思い込んでいて,自分に原因があるのではないかと考えて,しばしば自分を責めています。
 だからといって,自分の親やきょうだいといった親族に相談しても,解決策はまったく見えないのです。おそらく親族は,「だから私はあの人との結婚には反対だったのよ」とか,「あなたの育て方が悪かったのよ」などということでしょう。
 いずれもいまさらいわれても,タイムマシンでもないかぎり解決しようのない問題について,こんこんと説教をされるだけです。結局,家族はかえって心の傷を深め,もはや誰かに相談することを断念してしまうでしょう。
 しかし,人生において最も悲惨なことは,ひどい目に遭うことではなく,一人で苦しむことです。つまり,こうした悩みは秘密にすればするほどますます複雑にこじれていくものなのです。「いま頃あの人はどこかで酔いつぶれているのではないか」と,いつも気が気でなく,以前だったら楽しいひとときであったはずの趣味の時間もいつしか苦痛の時間となってしまいます。何年かぶりに同窓会に出席し,久しぶりに旧友との楽しい語らいの時間を持っても,かつてのように楽しめなくなっている自分に驚くかもしれません。この世のあらゆることに関して,心から楽しむ気持ちのゆとりがなくなってしまうのです。
 生きていること自体が苦痛に感じられる……そう漏らす家族もいます。「消えたい」,「いなくなりたい」,「死にたい」……そんな言葉が脳裏をよぎる方もいるでしょう。もしもその家族がもしも依存症者の親である場合には,「この子を殺して私も死のう……」 などと考えるかもしれません。
 メンタルヘルス問題の援助者は,このように精神的に追い詰められている依存症者家族が存在し,支援を必要としているということを決して忘れてはなりません。

本人の治療は家族支援から始まる


 実は,依存症者本人の治療という意味でも,依存症者家族の支援は重要です。すでに述べたように,依存症は本人よりも先に家族かに笑顔と生きる気力を奪います。ひとたび家族の誰かが依存症に罹患すると,家族はあっという間にその渦に巻き込まれます。そう,依存症が家族を巻き込む病気なのです。
 ここで,ある依存症者とその家族とのあいだで見られる場面を想像してみましょう。
 ある時期から夫がくりかえし酔いつぶれるようになり,家族の一員として責任を果たせなくなってしまった……そんな家庭の状況です。妻は,何とかして立ち直らせようと躍起になって様々な努力をします。小言をいったり,懇願したり,あるいは,本当はそんな決心が簡単につくはずもないのに,「もう離婚する」などと脅したり……。しかし,その「夫に変わってほしい」という妻の真摯な気持ちに対して,当の本人である夫はといえば,「変わりたくない,変わる必要がない」と考えています。したがって,二人の気持ちはどこまで行っても平行線です。
 それどころか,本人(=夫)を変えようとムキになることが,事態をこじらせることさえあります。実際,家族があまりにも説教や小言をくりかえしていると,本当は「自分とアルコール」という問題と向き合うべきところを,本人は問題を「自分とうるさい家族」という図式へとすり替えてしまいます。たとえば,「俺は病気でも何でもない。ただ,たまに飲みすぎることがあるだけだろ。おまえの口やかましさの方が病的だ。もしも俺が飲みすぎることがあるとすれば,病気だからじゃなく,おまえから与えられるストレスが原因だ」といった具合に。
 こうした状況では,本人によかれと思って行った,「転ばぬ先の杖」のような配慮でさえも,本人の飲酒行動を維持し,増長させてしまうことがあります。たとえば,二日酔いで朝起きられない本人が解雇されたりしないようにと,妻が本人に代わって,「今日は急に体調が悪くなりまして,会社をおやすみさせていただきます」と電話をかけてあげること,これがまずい場合があるわけです。なせなら,そのおかげで本人は会社を解雇されず,欠勤の連絡をする気まずさを体験することもないからです。本人は自分の飲酒パターンがもたらす弊害に直面することなく,その日の夜も前夜と同じように悠々とお酒を楽しむことができるわけです。
 要するに,本人と家族とのあいだで明らかに悪循環が生じているのです。家族は決して本人に「飲んでほしい」と考えているわけではなく,むしろその反対のことを強く願っているはずなのに,事態はますますこじれてしまいます。こうした現象が,本書でも触れられているイネイブリングです。そして,このイネイブリングを伴う悪循環となった関係性を共依存と呼びます。依存症という「モンスター」は,家族を共依存の渦に巻き込みながら,どんどん巨大に膨れあがっていくわけです。
 加えて,依存症には「否認」という問題があります。つまり,罹患する本人は自分の問題を否認し,治療を受けることを拒むのです。最初に依存症に困り,専門機関に相談するのは,本人ではなく本人の周囲にいる者―すなわち家族―です。
 依存症の治療は家族の相談を受けるところから始まっています。援助者としてまず手はじめにすべきことは,依存症者本人と家族とのあいだで生じている悪循環を止めることです。そうすれば,少なくとも事態がこれ以上悪化することを避けることができるでしょうし,依存症者本人に対して,これまで目を背けてきた問題を突きつけることができるでしょう。
 そんなわけで,依存症の専門医やカウンセラーは相談にやって来た家族に対して,あるおきまりのセリフをいいます。「あてにならない本人が変わるのを待つのではなく,まずは問題に気づいた家族が変わりましょう」と。

これまでの依存症者家族支援の考え方


 では,依存症者家族はどんな風に変わればよいのでしょうか?
 これまで依存症支援の援助者のあいだで,本人の回復のために「家族がすべきこと」として信じられてきたのは,「イネイブリングをやめる」,「本人から離れる」ということでした。家族は,本人がアルコールによって引き起こした失態の「尻ぬぐい」をやめ,本人から「愛をもって手を放すこと」,それが本人の「底つき体験」を促す。そのような家族の対応が重要であるといわれてきました。場合によっては,「家を出る」,「別居する」,「離婚する」といった対応も辞さない……。
 確かに依存症がある段階よりも重症化すると,共依存関係に巻き込まれた家族の存在そのものがイネイブリングになってしまっている場合もないわけではありません。だからこそ,アルコール依存者家族の自助グループ「アラノン」では,「家族は本人の依存症に対して無力である。家族にできることは,本人から愛をもって手を放し,自分の幸せを優先することである」と教えてきました。
 とはいえ,この教えに従うのは容易なことではありません。考えてもみてください。自分が愛する大切な人が酩酊し,方々で数々の失態をくりかえしているのに,突き放して見て見ぬふりをするわけです。これまで酩酊して暴言を吐く本人に対して怒りや無力感を抱き,「いっそのこと死んでほしい」と何度も考えたことのある家族でさえ,いざ「もういっさいかかわらない」と決意した直後に,突然,「血が騒いで」しまい,気づくと昔のように「転ばぬ先の杖」を出してしまうものなのです。それでも,なかにはざわつく自分の気持ちを無理に抑え,未練を断ち切るかのごとく,巻き込まれないように本人から離れる家族もいます。しかしそうした場合,どこかで気持ちに無理があります。そのため,「愛をもって手を放す」べきところを,「もうあの人のことなんか知らない」,「あいつなんかどうなってもいい」と,半ば破れかぶれの強引さで自分の気持ち見切りをつける結果,「乱暴が極端な突き放し」になってしまう傾向があります。
 要するに,アラノン流のやり方の問題は,家族の多くが,本人にそのような「冷酷無比な対応」をしたことに強い罪悪感を抱いてしまいやすく,かえってその反動で,結局は,元の共依存関係に戻ってしまう,という点にあります。つまり,すべては元の木阿弥となってしまうわけです。いいえ,それどころか,次第にアラノンに居心地の悪さを覚えたり,その教えに疑問を感じるようになり,残念なことに,参加をやめてしまう家族もいるのです。
 そもそも,この「手を放す」にしても,「突き放す」にしても,さまざまな点でリスクの高いやり方です。そのまま死んでしまったり,他人を巻き込んだ事件へと発展する可能性がないとも限りません。思えば,「共依存」や「イネイブリング」という言葉は,1950 〜 60 年代の米国で,アルコール問題を扱うソーシャルワーカーが援助の現場のなかで発見した言葉です。このことは,共依存やイネイブリングは,支援につながった依存症者とその家族に見られた特徴であって,支援にさえたどりつかずに死んでしまったり,刑務所に収監されてしまった依存症者やその家族の特徴は反映されていません。
 その意味では,共依存やイネイブリングのおかげで援助者のもとにたどりつけたという解釈もできるのではないでしょうか? そしてそのことは,家族こそが依存症者本人に対して最も強い影響力を持っていることの証拠とはいえないでしょうか?

クラフトの家族支援の考え方


 家族こそが依存症者に対して最も強い影響力を持っている―。
 実は,これこそがクラフトの基底にある理念です。この理念は,「家族は本人の依存症に対して無力である」というアラノンの教えとは反対といってよいでしょう。しかし,誤解しないでほしいのですが,クラフトは決してアラノンの教えを否定しているわけではありません。クラフトの方法をできるかぎり実践し,万策尽きたときには,心おきなく自分や他の家族のための人生を優先してよいのです。ただ,その選択肢をとる前に,他にも試すべき選択肢があると教えているだけなのです。
 クラフトは,アルコール・薬物乱用者を何とかして治療につなげようと悩む家族のために考案された,家族支援プログラムです。このプログラムが目標とするのは,家族が大切との関係性を気持ちよいものにすることであり,それによって家族自身が幸せになることです。そのために,家族は依存症者本人との衝突が生じる様々な状況をふりかえり,分析することを求められます。そして,衝突を極力回避し,家族の安全を保ちながら,家族に,本人を治療へと向かわせるさまざまなテクニックを学んでもらいます。
 前出『CRAFT 依存症患者への治療動機づけ―家族と治療者のためのプログラムとマニュアル』の監訳者の一人である境は,クラフトのことをいみじくも「ローリスク,ハイリターン」のプログラムと呼んでいますが,これは実に的確な表現だと思います。たとえばアラノン流にいきなり依存症者から「手を放す」(あるいは,「突き放す」)ということをすれば,本人との軋轢や衝突は避けがたく,最終的に本人が断酒を達成するとしても,しばらくの期間,家族との関係は険悪なものとなるでしょう。場合によっては,突き放したことで家族関係は修復不可能な状況にまで至ってしまうかもしれません。家族の心情を考慮すれば,自分にって大切な人ともう一度やり直す可能性が少しでもあるのならば,まずはそれに賭けてみたいと考えるのは当然のことだと思います。
 本書のなかでも触れられているように,こうしたクラフトによる介入効果は他の方法を圧倒しています。アラノン方式はもちろんのこと,家族や他の親族,友人,医療機関などに十分に根回ししたうえで奇襲的に関係者が一堂に会する場を設け,本人に問題を突きつけ,治療を受けるように迫る,ジョンソン研究所方式との比較でも,クラフトはすぐれた治療成績―本人が治療につながる割合の高く,家族のプログラム参加・継続率も高く,家族の満足度も高い―を示しています。
 それもそのはずです。本書をお読みになればわかるように,クラフトでは,あらかじめ依存症者本人と家族とのあいだで想定されるさまざまな衝突の局面が取り上げられ,それぞれの状況に即した具体的なアドバイスがなされています。
 たとえば「PIUS」がそうです。これは,@家族は,問題点の指摘からではなく,本人のよいところ,好ましいところを述べるところから話を切り出す(Positive),A「あなた」という対決的,批判的,指示的なニュアンスを持つ二人称ではなく,「私」という一人称を主語にして家族の思いを伝える(“I”message),Bその際,本人が置かれた立場に理解を示し(Understanding),Cあえて家族が問題の責任の一端を背負って見せる態度(Share)を心がける,という技法です。こうした指示は,アラノンが教える「手を放せ」とか「突き放せ」よりもはるかに具体的であり,家族が躊躇を感じたり,無用な罪悪感に苛まれたりせずにすむものです。
 依存症者本人に振り回され,とらわれ続けてきた家族には,ものすごく大きな「強み」があります。それは,「依存症者本人に対する強い関心」です。こうした関心はこれまでその意義を過小評価されるどころか,「病的なもの」,「手放すべきもの」として否定的に扱われてきました。しかしクラフトでは,まさにこの「本人に対する強い関心」を逆手にとって,家族に本人との衝突のパターンを記録させ,分析させ,新しいパターンを作り出す作業に生かしていくのです。
 まさに逆転の発想です。私たちは,クラフトはわが国の依存症援助のあり方を変えると信じています。
 最後にもう一つ,クラフトには大事なポイントがあります。本書のなかで,著者のボブ・メイヤーズらはあえて「アルコール依存症」ではなく,「アルコール乱用」と呼んでいます。「乱用」とは,飲酒することで本人もしくは他人が困る事態が生じているという事態を意味し,医学的疾患ではなく社会生活上の問題を示す概念です。
 臨床医の立場からいっても,依存症と乱用との境界は不明瞭ですし,乱用水準であっても十分に治療や援助の対象となります。たとえ断酒という治療目標を掲げないにしても,飲む量を減らし,トラブルの生じない節酒という目標で援助することが必要な場合もあります。それにもかかわらず,援助者側が「依存症か,乱用か」とこだわりすぎると,患者との関係は緊張に満ちた対決的なものとなってしまいます。
 それだけではありません。依存症者は,「確かに俺はアルコールで失敗したが,依存症ではない。これからは気をつけるから,病院になんか行かなくても大丈夫だ」と,治療に対する抵抗をますます強めてしまうでしょう。実際,臨床場面では,家族や援助者は本人とのあいだで「依存症かどうか」という一種の「神学論争」に莫大な時間を費やしたあげく,治療を中断するといった事態が頻繁に起きて来ました。本書のなかで著者も嘆いているように,この論争のせいで一体どれだけの依存症者が治療の機会を失ってきたことでしょうか? その意味でも,この論争は非常に不毛なものといえます。
 他にも問題があります。本人が「依存症」に罹患していることを認めたがらないと同じように,家族もまた自分の大切な人が「依存症」であることがなかなか受け容れられないものです。実際,アラノンでは,まず家族が大切な人の「依存症」を認めることを求めますが,それが受け容れられずに,参加をやめる家族も少なくありません。
 大事なことは診断の学術的な正確さではありません。援助戦略としてどちらの方が効果的であるかです。クラフトでは,本人が「依存症かどうか」にはこだわらないことで,本人や家族に対する間口を広げ,貴重な時間を不毛な論争で消費することをよしとはしません。その意味では,たとえ依存症でなくとも,本人のアルコール・薬物問題に苦慮する家族であれば誰でも,クラフトを用いた援助の対象となることも強調しておきたいと思います。

本書の活用方法


 ここで本書の対象と活用方法について述べておきたいと思います。
 本書は何よりもまず大切な家族のアルコールや薬物の問題で悩んでいる方に読んでいただきたいと思います。できれば専用大学ノートを用意し,本書のなかに出てくる「実践課題」の回答をノートに書き出しながら,一種の自習用ワークブックとして活用されることをお勧めします。すでに依存症者家族の自助グループにつながっている方は,グループで出会った同じ問題を抱えた他の家族と一緒に勉強会を開き,輪読しながら課題に取り組んでもよいでしょう。自分のカウンセラーを持っている方ならば,カウンセラーと一緒に取り組んでみるという方法も考えられます。
 それから,依存症問題の援助者にも本書を読んでほしいと思います。クラフトはまだわが国の依存症領域の援助者に十分に知られているとはいえませんが,クラフトを知っているかいないかで,依存症者家族の支援に対する考え方や姿勢は驚くほど変わってくるはずです。たとえ「自分はクラフトなんか実践するつもりがない」と考えている援助者であっても,このような有効な支援方法があるという事実を知っておかなければなりません。さいわい本書はコンパクトかつ平易な文章なので,多忙な臨床業務のあいまにも読みこなすことができるでしょう(なお,自分でクラフトを実践したいと考えている方は,本書に加えて,『CRAFT依存症患者への治療動機づけ―家族と治療者のためのプログラムとマニュアル』もお読みください)。
 さらに,本書はメンタルヘルス問題の支援にかかわっている,すべての援助者にも読んでほしいと思います。実は,依存症者家族はメンタルヘルス相談のいたるところに存在し,しかし残念なことにしばしば見過ごされています。精神科や心療内科に通院する,「うつ病性障害」や「不安障害」と診断されている患者のなかに,頭痛外来や腰痛外来,あるいは,原因のはっきりしない心身の不調を訴えてかかりつけ医やカウンセリングルームを訪れる患者のなかに,依存症者家族は紛れ込んでいます。そうした依存症者家族は,「恥の感情」と「罪悪感」を抱え,誰かに相談することに絶望し,地域のなかでも親族のなかでも孤立して,一番重要な問題を語れないままでいます。
 「いやいや,自分は依存症については門外漢だから,依存症者家族相談なんて無理ですよ」という援助者の方,安心してください。私はあなたに,何も依存症者本人の治療をしろといっているわけではないのです。家族の多くはアルコール依存症でも薬物依存症でもありません。ですから,家族の支援をするためには,依存症の専門家である必要はないのです。および腰になる必要はありません。大切なことは,本書に目を通し,こういう方法があるのを知っていることです。

おわりに―本書訳出の経緯


 最後に本書訳出の経緯について述べさせていただきたいと思います。
 私は数年前よりこのクラフトという家族支援の方法に関心を抱き,自分なりに文献を読みながら,わが国の依存症臨床の現場に導入できないかと感じていました。そんな矢先に,いつも著書や訳書の刊行で大変お世話になっている金剛出版社長の立石正信氏から,本書訳出のお誘いを受けたのです。「これはまさに渡りに舟」と二つ返事で快諾しました。
 すると,翻訳作業に着手してからまもなく,ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)の代表今成知美さんから,すでに翻訳家の渋谷繭子さんが翻訳したものを藍里病院副院長の吉田精次先生が監修した未刊行の訳稿があることを教えていただきました。実は,吉田先生とは別の件で一緒にお仕事をした経緯からすでに面識がありましたので,さっそく吉田先生にコンタクトをとり,その訳稿を拝見させていただきました。すると,とてもこなれた訳文であり,いくつかの用語の問題など検討課題はあるにせよ,この訳稿を生かさない手はないと感じたわけです。そこで,吉田先生と渋谷さんに相談し,この訳稿をベースにして私が最終的な監訳作業をしたものを,渋谷さん訳ならびに吉田先生との共同監訳として刊行することとなりました。
 以上のような経緯から,本訳書刊行は,かなり早い時期からクラフトに注目し,翻訳を進めていた吉田先生と渋谷さんの慧眼と尽力によるところが大であることを強調しておきたいと思います。この場を借りて,改めて感謝したいと思います。
 また,『CRAFT 依存症患者への治療動機づけ―家族と治療者のためのプログラムとマニュアル』(境泉洋ほか監訳,金剛出版,2012 )に続けて,クラフト関連の訳書を立て続けに刊行するという,通常の出版社であれば躊躇するような状況のなか,大胆にも刊行の機会を与えてくださった,金剛出版社長立石正信さんにも心からの感謝を捧げたいと思います。
 本書が,一人でも多くの依存症者家族に読まれ,そうしたご家族自身の幸せな生活に役立つことを心から願っております。

監訳者を代表して
独立行政法人国立精神・神経医療研究センター
精神保健研究所 松本俊彦