あとがき

 2009 年4 月2 日に大腸がんが見つかった。手術準備のために精密検査を受けると,肝臓に転移していることが判明した。がんのステージW期だった。その3年前から毎月1 回予防のために内科を受診していたが,医学的異常所見は示されていなかったので大腸がんという診断にはショックを受けた。しかし,まだ何とかなるだろうという希望はあった。それに対してショックから立ち直りかけた時の“ステージW期”という突然の告知は,まさに死を宣告されたようであった。その時の医師の話では,手術をしなければ余命1 〜 2 年ということだった。短期間に複数の医師の意見を聴き,それを参考にまず大腸がんだけを切除して,数カ月後に肝臓転移の進行状況を確認した上で肝臓がんの手術を受けることにした。しかし,大腸がんの手術後に抗生物質など薬の副作用が強く,生死の境に身を置かざるを得ない状況になってしまった。立ち上がれない無力感と孤立感の中で死の恐怖に怯えることもあったが,幸い多くの専門家(医師,漢方薬剤師,気功師,宗教関係者)のご支援と家族の献身的な看病によって一命を取り留めることができた。その後は,統合医療とセルフケアによって現在に至っている。
 私のセルフケアとは,本論の中で取り上げた心理的活動による心的構えと体験のコントロールである。具体的には,起床時の漸進性弛緩法→自律訓練法→意図イメージ→自発イメージ→臨床動作法,起床後の散歩→体操→祈り→気功→食事などである。一方,がん体験に関する臨床心理学関係の本や国内外のジャーナルを探してみたが,死を受容して残された人生を有意義に過ごすという趣旨の著書か,認知行動療法的視点から抗がん剤の副作用軽減を目的としたリラクセーションの適用に関するものがほとんどで,主体的に生きるための臨床心理学的アプローチには巡り会えなかった。そこで,大腸がん手術から2 年8 カ月経った2011 年12 月,大阪で開催された日本リハビリテイション心理学会大会で「がん体験における自己治療の基本的視座─当事者の立場から─」というテーマで発表した。司会は,九州大学の田嶌誠一さんだった。フロアーには恩師である九州大学名誉教授成瀬悟策先生がご臨席下さっていた。自己治療における心的構えと動作・イメージの効果などについてひとしきりディスカッションした後に,“今は大いなる力に生かされている気がする”という私の感想を述べると,米寿間近の成瀬先生から笑顔で“僕は生きています…… 来年もストレスにならなければ続きを発表してください”と励ましを頂戴した。嬉しかった。それを機に“生かされて,生きている”間に,遣り残していることを成し遂げたいという思いが,ふつふつと湧いてきた。その思いの結実が,この学位論文である。
 この間に多くの方々から暖かいご支援をいたただきました。ここに記して感謝申し上げます。日本リハビリテイション心理学会大会後に九州大学(現,中村学園大学)針塚進先生に学位論文準備の相談をすると,快く教授会への推薦教授になってくださるというお返事をいただきました。そして,論文作成の過程ではご多用中にもかかわらずディスカッションにお付き合いいただき,心理的活動についてヒエラルキーを検討してみてはどうかという貴重なアドバイスをいただきました。それがヒントになって心理的活動の構造と機能に関する考察を深めることができました。田嶌誠一さんには第2 章第3 節に掲載した事例研究論文を当時の「スポーツ心理学研究」に投稿して受理されるまでにお力添えをいただき,その後も今日まで折々に心的構えと体験様式についてご示唆をいただきました。鹿児島大学大学院臨床心理学研究科の先生方には,術後から今日まで健康に関する多大なご配慮をいただきました。特に安部恒久さんには研究科長という立場からご支援をいただいた上に,ときには昼食をとりながら心理臨床の中核に触れる楽しいディスカッションの時間を割いていただきました。論文作成の佳境に入ってからは,図表や文献整理など煩雑な仕事を特任助教(現,鹿児島大学大学院医歯学総合研究科研究員)の上原美穂さんが引き受けてくれました。彼女の惜しみない尽力のおかげで,体力を温存しながら夏を乗り越え,思索に集中することができました。九州大学大学院時代からの友人であり,日本ストレスマネジメント学会を起ち上げたメンバーの一人でもある兵庫教育大学の冨永良喜さんには同学会の理事長と事務局を引き継いでいただき,安心して療養に励むことができました。
 また,私を祈りの世界にお導きくださった扶桑教仙醍教会長鈴木邦子先生,東洋医学的養生法をご教授くださった太陽堂漢薬局木下順一朗先生,ひとの身体の不思議さを気づかせてくださった形数・田中(裕)整骨院総院長田中裕之先生,気を実感させてくださった森脇洋子先生に感謝申し上げます。先生方との出会いがなければ今日の私はなかったと思います。
 最後に,私の健康を願って一途に尽くし,支えてくれた妻,薫に感謝します。あなたがいたから命を存え,学位論文を仕上げることができました。ありがとう。本書の出版に際しては,金剛出版社長の立石正信氏にお世話になりました。心よりお礼申し上げます。

2013 年4 月吉日
山中 寛