監訳者あとがき(伊藤正哉)

 “心理療法は感情に取り組む特別な仕事である。感情をそのままに見つめ、素直に表し、大切に取り組むためには、相手を信じ、安心できる人と人との関係性が必要である”―この教えを知ったのは、博士課程の訓練生の頃でした。当時から慕っていた、とある先生からの教えでした。臨床経験に乏しい当時の自分であっても、この考えに対して直感的に本来性を感じたのを覚えています。感情はとらえどころがなく、もやもやするような時もあれば、とてもリアルに、深く強烈にずきずきと感じられる時もあります。相談に来る人の多くはまさにこの一点、感情にまつわる何かに苦しんでいる。しかし、どうやったら、この感情に取り組むことができるのだろうか? その先生は多くのことを教えてくれましたが、そのなかのひとつは、“現地に行って本物から学びなさい”というものでした。
 私はカナダにあるヨーク大学を訪れ、本書の筆者であるグリーンバーグ先生の研究室のドアを叩きました。グリーンバーグ先生のご厚意から1 年ほど滞在し、ここでEFT の臨床訓練に関わらせていただくとともに、自己静穏についての課題分析の研究に取り組みました。ヨーク大学での心理臨床の訓練や研究は、それまでの私が日本で経験したものとは別次元にありました。現地でまず驚いたことは、実際の心理療法セッションを録音・録画した“生の素材”を用いて、臨床訓練や研究が行われていることでした。トロント郊外にあるヨーク大学は広大なキャンパスを誇り、中央にはバスターミナルを兼ねた巨大な芝生の庭があります。その庭に面したビルの一室で、研究ミーティングが始まります。部屋には7 人くらいの臨床家や学生、そしてグリーンバーグ先生が集まってきます。一通り談笑したあと、修士課程の学生がおもむろにビデオを再生します。彼女は、修士論文のテーマとして、EFT のカップルセラピーにおける許し(forgiveness)のプロセスを研究していました。やや粗い画像で過去に行われた実際のカップルセラピーのセッションが映し出されます。ビデオは数十秒ごとに停止され、行きつ戻りつしながら、その場で現れるプロセスをあれやこれやとみんなで議論します。ただでさえ英語がわからない上に、「これは二次感情だ」「この瞬間に中核感情に触れている」などと議論は白熱していきます。よくわからないのですが、映像を見たグリーンバーグ先生や参加者の議論はどんどん加熱していきます。一体全体、どこをどう見たらそう判断できるのか、しばらくは皆目検討がつきませんでした。ただただ目を丸くするしかない自分が、とても悔しく思ったことを覚えています。当初は悔しいばかりでしたが、このような丁寧で好奇心に満ちたセッションプロセスの観察や議論、そして、それをもとにしたトランスクリプトのコーディングという地道な作業が幾重にも積み重ねられることで、EFT の治療モデルが構築されているのだと理解できました。
 ちがう日には、学生のスーパービジョンがあるというので、グリーンバーグ先生の研究室に入ります。研究室には雑然と、どこかやさしく研究資料や専門書が山となって積まれ、並べられています。ここでも少しの温かい談笑のあとに、スーパービジョンを受ける学生がおもむろにIC レコーダーをスピーカーにつなぎ、セッションの録音記録を再生します。その学生がつい数日前に実施したセッションです。ここでも数分、数十秒ごとに一時停止しては、そのクライエントの体験水準やセラピストの所々の介入や発言のプロセスが議論されます。その瞬間瞬間にあるクライエントの心の機微が丁寧に汲まれ、探索されていくその時間は、もうひとつのセラピーセッションのようです。ある時点で少し止まると、グリーンバーグ先生は「僕なら、こう言ってみるかもしれないね」と、いくつかセラピストの発言や介入を、その場その場で臨場感をもって示してくれます。そして、これはEFT のテキストではあまり出てこないところだと思うのですが、グリーンバーグ先生はよくこう尋ねていました。「この人の中核は何なのだろう?」この問いに対して、多くの訓練生は答えに詰まります。しかしそれでも、グリーンバーグ先生は訓練生とともに、クライエントの中心にある何か、本当に痛んで苦しんでいて、そして大切にしているところを探索していきます。この問いが丁寧なセッションプロセスの検討に照らして理解され、深められることで、そのクライエントがとてもリアルで立体的に、全体性をもった一人の人として浮かび上がって理解されるのです。
 1 週間のうちの1 日は、こうした研究ミーティングとスーパービジョンが朝から晩まで続いていました。参加していた私は疲労困憊になりますが、グリーンバーグ先生は一日中、臨床プロセスの議論が楽しくてしょうがないという感じです。帰り道でも研究の話をしながら元気一杯に帰っていきます。また別の日には、大学院の授業があるとのことで、とある教室に入ります。授業は2 コマ連続の時間割となっていて、受講しているのは大学院生10 名ほどです。最初の1 時間はプロセス研究で得られたモデル(e.g.:自己分離の二つの椅子)に沿って、米国心理学会から発刊されているデモンストレーションDVD を再生したり停止したりして、そのセッション過程が丁寧に解説されます。概念学習と観察学習です。この授業には、アシスタントとしてポス准教授も参加しています。グリーンバーグ先生とポス先生はとても楽しそうに、興味深そうに合いの手を入れては交互に解説し、議論します。この授業も、私の日本での臨床訓練にはなかった好奇心の雰囲気に満ちた、とても深く厚い臨床の時間でした。
 そして、次の1 時間は教室から訓練室に移ります。この訓練室には、マジックミラー付きの3 畳ほどの小部屋が6 つほどあります。訓練生はセラピストとクライエントのペアを組んで、前の時間に教えられた介入モデルに従って課題を体験練習します。このとき、訓練生は想像上のロールプレイをするのではなく、自分が悩み困っている現実の問題を話します。役を演じるのではなく、本当のセラピストとクライエントとして練習するのです。それぞれの部屋にペアで入って、一斉に練習が始まります。片手に持った緑茶をすすりながら、グリーンバーグ先生とポス先生が各部屋を巡回します。感情の体験過程を深めるのは、やはり容易なことではありません。セラピストをする訓練生は前の時間に観たDVD をなんとか模倣し、一生懸命に共感を示して体験過程を深めようとしますが、クライエントの訓練生は表面的な話に終始します。グリーンバーグ先生は3 分ほどミラー越しでその様子を観察した後、おもむろに部屋のなかへと入っていき、セラピストの後ろに立ちます。訓練生2 人はそのまま練習をつづけますが、ある時点でグリーンバーグ先生が訓練生のセラピストに代わって共感や探索を始めます。温かく、しかし核心をつく共感がひとつ、またひとつと与えられることで、クライエントの訓練生はみるみると感情体験を深めていきます。その場のプロセスはゆっくりとしみじみとした雰囲気となり、声のトーンは途切れ途切れとなり、ついには、その訓練生の頬を涙が伝います。語られていく内容も、それまでとは一変して、奥底に秘められていたものが話されているのがわかります。つらく痛い感情に向き合うなかで、じーんとした、温かい時間が流れます。その瞬間、私は目の前で明らかにそれと見てわかるかたちで、人が人に共感され、その温かみに包まれながら痛い感情に向き合っていく姿を見たのです。その瞬間、文字通り、私は魔法を目にしたと感じました。
 トロントでは、専門家向けにEFT のワークショップが毎年開かれています。滞在時に私も参加しました。会場に到着したとき、あることに気づき、いくばくかの怯えと驚きを感じます。というのも、受付の後ろにティッシュ箱が山積みにされて準備されていたのです。まさかこのティッシュは、涙をぬぐうためのものなのでは……。ワークショップ参加者は30 名ほどです。ヨーク大学での授業のように、まずは全体での講義があります。この講義では、EFT の基本的な介入法や、各課題の介入モデルが概説され、それに続いて実際のセッション映像を用いて観察学習をします。このようにして、ひとつの介入モデルについての概念学習と観察学習が終わると、6〜 7 名の小グループに分かれます。各グループは、それぞれ別の部屋へと分かれます。部屋に入ると、テーブルにはティッシュ箱が置かれています。その部屋で、セラピスト役、クライエント役、セラピストの補佐役の3 名をまず決めます。そして、他の参加者の前で、その3 人が実際にセラピストとクライエントとして練習をします。ここでも、クライエントをする参加者は現実にある自分の悩みに取り組みます。私の参加したグループでは、私自身を含めてほとんどの参加者が体験過程を深め、涙を流し、ティッシュが一枚、また一枚と使われていきました。私の英語能力は当時もかなり乏しいものでしたし、他の参加者もヨーロッパ各国や香港からやってきた臨床家で、カタコトの英語でのワークでした。にもかかわらず、一人ひとりが、じんわりとした体験プロセスに入っていくことができていたのです。こうした経験から、共感や人と人との温かい関係性、そして、それに支えられ覆われたかたちでの痛々しい感情へのやさしい取り組みという作業には、必ずしもこまごまとした言語的なテクニックや、高尚な技術が必要なわけではないことに気づかされました。
 トロント滞在中には、このような鳥肌が立つ驚きが何度もありました。“ここには本当の臨床と研究がある!”と当時の自分の血がたぎったことを今も思い出します。EFT は、人と人との温かいつながり、セラピストの職人芸的な介入の技、クライエントの微妙で人間的な心の動きや流れ、痛々しい感情がもたらしてくれる癒し、傷つきや弱さを直視した時の人間の強さなど、どれも言葉で表現しづらい現象を真っ向から扱い、科学的に共有可能な知として体系化しようとしています。そうした努力は、感情理論と弁証法的構築主義といった理論的基盤、パーソン・センタード・アプローチと体験療法を統合した介入技法や関係・課題原則、そして多大な努力を要する丹念なプロセス研究によって築かれた治療モデルに反映されています。本書はそのようにしてできあがったEFT のエッセンスを抽出した格好の入門書と言えると思います。しかし、あえて極論を言えば、言語で簡潔化された本書は、EFT の魅力や効力をその半分も伝えていないのではないかと思うのです。残りの半分は、EFT のプロセスを実際に目の前で見たり、体験してみたりすることだと思います。本書を読まれて関心を持った読者の方は、ぜひとも岩壁先生のワークショップや、グリーンバーグ先生のDVD を見て、その実際を体験いただければと願っております。私自身も、トロント滞在中にはEFT のセラピストから教育分析を受ける機会を得ました。その体験は、今もかけがえのない深く根付いた記憶として、私のなかに残っています。
 幸いなことに、帰国後もこうした問題意識を共有して、これまで5 年以上にもわたってEFT 研究会の仲間と切磋琢磨しながら知的・体験的な理解を深めることができました。その会をまとめ、現在も引っ張っておられる藪垣将先生(国際医療福祉大学)と会のメンバーには、感謝の気持ちをここでお伝えさせていただければと思います。トロントは、冬には最高気温が氷点下にもなるほどの寒い場所です。しかしそのなかで、グリーンバーグ先生から心理的な支えや暖かさ、歓びや興味をいつも降りそそいでいただき、幾度となくほっこりとした気持ちにさせていただきました。また、自己静穏についての研究では地道な作業の一歩一歩でのあらゆる側面で、大きな援助をいただきました。
 どのような心理療法・精神療法アプローチをとったとしても、人間の感情は重要な側面として認識されるものであると、今でも確信しております。私は、エモーション・フォーカスト・セラピーという、感情に焦点を当てた心理療法の先駆的かつ統合的試みに、このような翻訳・監訳というかたちで関わらせていただいたことに心から感謝しております。このような機会を与えていただいた岩壁茂先生、EFT を紹介してトロントへの架け橋を作ってくれた堀越勝先生、そして快く送り出してくれた小玉正博先生に感謝を申し上げます。そしてまた、痛くてつらく、しかし、とても大切でかけがいのない感情を共有し、一緒に取り組む機会を与えていただいた相談者の方々に、心から感謝をしております。
 この感謝の気持ちをここに記して、御礼申し上げます。