監訳者あとがき(細越寛樹)

 私自身は監訳者のなかで最もEFT への造詣が浅く、その意味で読者の皆さんに一番近い立場かもしれません。その立場から、私がEFT と出会って体験したことを書き、あとがきに代えさせていただければと思います。
 私は特定の流派だけを突き詰めるというよりも、自分が興味をもった流派または先生であれば何でも学んでみるというスタイルで学んできました。例えば、第二世代の認知行動療法を使ったプロジェクト、フォーカシングの体験グループ、ユング派に属するEmbodied Dreamwork の体験グループ、力動的な立場のグループスーパービジョン、統合的な家族療法家の教育分析などが挙げられます。ただ、そのなかでもゲシュタルト療法は特別な存在で、最も時間をかけて教育分析やグループトレーニングを受けてきました。現在の自分の中核となっています。今ここを大切にして、セラピストからの解釈や想像は控え、純粋性を重んじ、クライエント自身の体験と気づきを促す、そんなゲシュタルト療法の在り方に惹かれています。
 そのような私にとってEFT との出会いは、非常にアンビバレントなものでした。EFT では、ゲシュタルト療法と同様に感情や体験を重視していましたが、その意義や効果に関する説明が非常に分化した形で実証的にまとめられていることに衝撃を受けました。これまでに見聞きしてきたものとは一線を画する具体性と論理性をもっていました。その一方で、本書の第6 章でも述べられているように、あまりにも系統的に示されている介入の方法や手順に対する強い違和感も生じました。ゲシュタルト療法の教えとは異なり、EFT では何らかのワークをクライエントに提案する際に、すでにセラピスト側で起こる結果を想定して介入しているような印象がありました。つまり、クライエントの体験や主体性の尊重を強調しているにもかかわらず、介入の方法や手順がどこか非常に恣意的である、そんな矛盾をEFT に感じました。その結果、とても興味はあるけれども、どこか認めたくない、そんなアンビバレントな体験を私はすることになりました。
 それでも仲間とともにEFT を学び、グリーンバーグ先生がEFT を行っている面接のDVD を見ることや、国内外のワークショップや学会で直接グリーンバーグ先生に触れてみることを通じて、徐々に私のなかの違和感は薄れていきました。少なくとも私の目には、セラピストが恣意的に介入をしているようには見えませんでした。実践として重視されているヒューマニスティックなセラピスト側の態度や姿勢、そして研究によって明らかにされてきた有効な介入手順や変化が生じるプロセス、この両者は正にEFT が重視する弁証法的作用のなかで統合されていくものなのかもしれないと思えるようになりました。同時に、統合の対象が単なる理論や技法レベルのことだけではないことにも気づかされ、統合的心理療法としてのEFT の奥深さにも触れられたように思いました。
 このような体験をした私にとって、本書の翻訳に関われたことをとても嬉しく思います。EFT それ自体の魅力はもちろん、ヒューマニスティックアプローチの関わり方の意義に分化した言葉を与え、流派間の理論や技法の統合だけではなく、実践と研究を統合するヒントを示唆するものとしても、本書が多くの方々の刺激になることを願っています。