あとがきを綴るにあたり,真っ先に謝辞を申し上げたいのは,編集者,現金剛出版社長の立石正信氏である。
 あれは,私が東京大学医学部助手・分院神経科医局長から埼玉大学保健センター助教授に移って間もない1994年のある日,氏が突然,私の埼玉大学の部屋を訪ねてこられた。その年に『臨床精神医学』に依頼され,まとめて出していた「風景画の臨床表現病理」を読まれて,このような内容の単行本を是非出したい,題は風景構成法にしたい,「風景構成法」を題材にした本は少なく,自社からも出版したい,できれば書き下ろしにしてほしい,という内容の話だった。その当時,この私の,この論文を読んでこれほどまで評価してくださる編集者がいるということが,どれほど嬉しいことであったか。
 何日か考え抜いた末,書き下ろしはまだ無理だろうと判断した私は,それまで出した論文をまとめたものならできるかもしれないと話し,題名は,『風景構成法――「枠組」のなかの心象』とすることで合意した。しかし,それからが長かった。19年である。この間,編著書,共著書,分担執筆書,訳書はいくつか出したが,この本だけは,こだわりが強かった。図版に対しても,こだわった。
その年月,辛抱強く待ち続けてくださり,いつも気持ちよく対応してくださった立石氏に心より感謝申し上げたい。幸いにして,今なお風景構成法の本は少なく,この分野に興味・関心をもたれる読者には,格好の専門書となろう。加えて,各章は初出から長い時間が経過しており,現代版風に大幅に加筆修正をした。奇しくも書き下ろし風になっている。
 さらにこの場を借りて,私を,この現在,本著を出版するに至る私になるまで支えてくださった次の三者に心から感謝申し上げたい。中井久夫先生と徳田良仁先生,そして米国の故イレーネ・ヤカブ先生Prof.Irene Jakabである。
 当時神戸大学精神科教授であられた中井久夫先生は,20代の私が生きることに悩みに悩みぬいて辿り着いた人生の師である。なぜ生きているのか,どうやって生きていったらよいのか,このまま医者になってよいのか,そうやって生き続けていってよいのか,を悩んでいた私は,「人間が好きですか?……それなら,一緒にやってゆきましょう」と言ってくださった先生にどれだけ救われたことだろうか。先生と過ごした時間は珠玉の年月であり,臨床や学問ばかりでなく人生の生き方を教わる場であった。今も尚繰り返し私は,あの洗練された瞬間瞬間を反芻している。
 当時日本芸術療法学会理事長であられた徳田良仁先生は,神戸大学時代から今日の多摩美術大学教授に至るまで,私という存在を陰になり日向になり励まし支えてくださった。私という個の存在を絶対的に肯定し,自身でさえ疑念を抱いていたその能力を信じて疑わなかった。そういう先達がいてくださることが,どれだけ私の安定化に繋がったであろう。1993年,世界精神保健会議が幕張で行われた際,発表した私に座長を務めておられた先生は,「きら星のごとく」と評された。あの時を忘れはしない。私の人生の絶頂であった。
 イレーネ・ヤカブ先生Prof.Irene Jakabは,海外から私を最も評価し支え続けてくださった人である。先生との最初の出会いは,1985年の日本芸術療法学会に来日された折りのこと,学会が制定したJapan Prizeの第1回受賞者となられたその記念講演を聴いたときであった。ピッツバーグ大学精神科正教授の先生にはおっかなびっくりで,ずいぶん厳しそうな人だなあというのが第一印象だった。ところが,1990年代,私が海外の学会で発表する機会が増えると,いろいろな場で先生に会うこととなる。
 名誉教授になり,古巣のハーバード大学に戻りアメリカ表現精神病理学会ASPEを率いていた先生は,にこやかで温厚で,的確に私を導いてくださった。ハーバード大学や附属精神病院であるマクリーン病院McLean Hospital,フランスのビアリッツBiarritzなどの国際表現精神病理学会 SIPE の場や,ハンガリーのブダペストBudapestやペーチPecsなどで教えを請うたものである。ボストンの家に招いてくださったこともあった。エレベーターで降り地下の書庫を見たときの驚き,2階のベランダで遠く林と家並みを眺めつつ語ったひとときを忘れはしない。「私はひとりこの地に来たの。そして,この家を建てた。両親をハンガリーから呼んで見送ったわ。そして,私はここにいる」。眺めていた景色は,彼女の心象風景となっていたのかもしれない。一昨年故人となられた先生の生前にこの本を贈ることができなかったことが悔やまれる。心から感謝し,この書を捧げたい。
 あれは2000年の1月2日,私が人生で最大の絶望に打ちひしがれていた時,先生からの一通の手紙が届いた。2000年度のエルンスト・クリス賞Ernst Kris Prize(アメリカ表現精神病理学会賞本賞)に私が選ばれたという内容だった。暗闇のどん底にいた私は,あの手紙に救われ,新たなもう一歩を踏み出すことができた。
 マーガレット・ナウムブルグ氏が第1回受賞者である名誉あるその賞の授賞式の際,マクリーン病院の会場で若かった私を見つめながら,その業績と評価を告げるヤカブ先生は気高く清らかでやさしかった。それは,私がこの人生の道のりで確かな証しを得た瞬間であった。
 こうして,この本は出来上がった。振り返ればそれは,エルンスト・クリス賞受賞への道のりであったのかもしれない。どの章も,その初出は歩んだ道の一点を指しており感慨深い。そしてまた,患者さんたちの描いた絵は,一枚一枚均等に,その未来を語っている。それらの章が並んで一冊をなしている本稿は,新しくひとつのストーリーを形成しており,それはこの今を刻んでいる。

2013年7月1日 東京代官山にて
伊集院 清一