このたび、1993 年秋にタヴィストック・クリニックでの留学を始めて20年が経った機会に、以前からお話をいただいていた論文集を、この間に著わしたものの中から、主に臨床的な主題に即して選ぶ形でまとめる運びとなった。
 この20 年あるいは30 年の間に、精神科臨床・心理臨床のどちらの領域でも、その形態も日々接する問題の性質自体もかなりの変化を被っている。30 年前とは1980 年代初頭の、私が精神科医となった頃であり、精神病の理解と治療は基本のこととして、「境界性人格障害」というカテゴリーに入れられる病態が盛んに研究されており、その骨格としてOtto Kernberg らによる精神力動的な理解は不可欠に見えた(▼1)。それが今日では、訳語が「境界性パーソナリティ障害」と改訂されたばかりでなく、Margaret Mahler の発達図式を基盤にしようとする議論はほとんど行なわれない。また、過剰診断の問題はあるにせよ、広汎性発達障害の概念の拡張を経て、パーソナリティ障害の少なくない病理が自閉症スペクトラムの一端として見直されるようになった。それは生物学的な研究が進んだからというより、そういう傾向と問題を抱える人たちが実際に増えたためだろう。
 その間に、精神分析および精神分析的精神療法の意義はどうなったのだろうか。臨床の理解と実践で、力動的なアプローチよりも心理教育的・認知行動療法的なアプローチがますます取り上げられているのは、それらが平易で簡便なことを考えれば自然である。そして実際に役立つうえに、思弁的にならずに当事者の主体性を尊重して支援することができるならば、理念としても価値があるだろう。対照的に、精神分析的アプローチは複雑で、それを実践できる対象は限られて見える。しかも有効性に関して、それが他の治療法との比較検討に馴染まないことは弱点である。その適用の機会と意味が大きく減少していると映っても不思議ではない。ただ、どのアプローチも基になった現場と方法論があり、それ特有の価値観とつながっている。ここで詳しくは述べないが、私は無意識あるいは知られざる次元を捉えようとする精神分析のアプローチには、他と根本的に異質なものがあると考えている。心に苦悩と憧れが伴う限り、無意識の交流を通じて理解しようとする精神分析のフロンティアがなくなるとは思えない。問題は、このアプローチの核心を掴んで離さず、医療や心理面接に含まれる形でその次元を提示できるかどうかにあると思われる。
 その意味では今日、精神療法に“向いた”状態にある患者が見出し難くなっている一方で、長らく日本では週1 回の対面法が標準的だった精神分析的精神療法において、それより頻度が多く対面や90 度法ではなくてカウチを、時には週1 回でも初めから用いた臨床も報告されるようになっているのは示唆的である。それらの多くは個人的な経験であり、限られた数の中からの比較的成功した例を公表しているだろうから、系統的な研究はあまり見当たらない。精神分析的なアプローチについて実証研究を大規模に行なうことは、日本では目途が立たないし、諸外国でのCBT やIPT(対人関係療法)など他の治療モードとの比較では通常、期間を同様に限定した短期力動精神療法が吟味されている。しかしそれでは、期間無限定で始めるセラピーの長所(短所もだが)が反映されないだろう。ただし、そこで非劣性や独特な価値が認められるならば、より長期で多頻度=集中的な(intensive)、無意識の過程を含み込むモードのものにも意義を見出しやすいかもしれない。
 ここでタヴィストックでの経験について少し触れておきたい。留学して一番最初に驚き印象的だったのは、分析的な理解の鋭さや深さ以上に、紹介される患者の重さだった。養子縁組、移民家族、異父母兄弟、虐待などの背景は当たり前のことであり、親の失踪、犯歴、殺害なども珍しくなかった。患者自身の生活歴も激しい内容が多くて、日本で行なってきたこと/戻ったときにすることと関係があるのだろうかと思ったほどである。もちろん、そうしたことがあっても交流が可能か、精神分析的アプローチを活かせるかどうかを見極めたうえで、実際の治療面接に入るので、アセスメントにおける理解は非常に重視されていた。幸か不幸か、こうした重さは今や日本でも劣らないものになっているが、交流の可能性に関しては、医療経済や紹介ルートなどシステムの問題も含めて、探索する機会が乏しいと思われる(タヴィストック・クリニックは国民健康保険の一翼として、面接代は無料である。地区ごとの精神分析的精神療法の専門機関は限られているので、競合は他の治療モードとの間で起こる)。しかしそうした探索をするにも、何が本当に精神分析的な交流なのかを体験していなければ難しいだろう。
 私自身は1993 年秋から2000 年春まで滞在したダヴィストック・クリニックの成人部門で、個人面接に関しては、数十名のアセスメント面接のほかに、週1 回の症例数名、週3 回の症例3 名との継続面接を行なった。カウチは、後者のみに使用している。それ以外に数倍、セミナーやグループスーパーヴィジョンで症例を共有しており、集団療法、カップル療法、GP セミナー、体験グループなどの研修をし、児童家族部門やコンサルテーション部門のセミナーのいくつかにも定期参加した。また、隣接のポートマン・クリニックでの司法精神療法のセミナーにも継続参加した。数は限られているが、そのような諸々の経験を踏まえて、私が今振り返って理解する範囲での、同クリニックでの頻度や治療構造を設定する基準や狙いを概説してみよう。
 タヴィストック・クリニックは精神分析的精神療法の訓練を行なう専門機関である一方で、NHS というイギリスの無料の皆保険システムに参加しているので、特別なwalk-in タイプのサービスを別にすると、アセスメントを行なってウェイティングリストに振り分けるという特殊性がある。また、精神分析インスティチュートと違って、精神分析の研修を行なうところではなく、精神分析的アプローチをベースに、より広い対象に治療を提供している。ただし、それも歴史的・経済的潮流があり、かつて盛んだった心理テストは全く用いられておらず、集団療法は活動が縮小していたし、2000 年以降に、訓練の期間や必須項目が変わったと聞いている。週1 回の精神療法の期間は、
かつては最低でも2 年間だったが、今では1 年が上限とされているという。それから、理論的な基盤も、大まかにはイギリスの精神分析に共通するものがあるとはいえ、スーパーヴァイザーの個人差と時代的な傾向の違いがある。私が直接知っているのは、現代クライン派を中心とした流れである。
 このように変化しても一貫して重視されていると思われるのは、「情動的接触(emotional contact)」と、そこでの「分析的な交わり(analytic intercourse)」である。接触(contact)は、すべての関わりの入口であり、精神分析的な訓練でも最も強調されることのひとつである。コンタクトの可能性は、患者が無意識的交流を求めて表していることを、治療者側が読み取るかどうかに掛かっている。通常アセスメントと言うと、患者の特徴や適性を評価する作業というイメージがあるだろうが、接触は二者が行なうことであり、ある意味で、両方に相対的である以上に、治療者には患者が機能していて交流の可能な水準を見出すという課題に応えることが要請される。だから、排泄的な投影同一化であれ行動化であれ、‘here and now’での文脈で理解しなければならない。というのも、精神療法専門機関を受診していること自体が、何らかの動機とニーズに基づいているはずだからであり、それらを適切に理解することが務めだからである。アセスメントの結果として単に分析的精神療法への適不適だけを判断するのではなく、患者の内的・外的世界の在り方や課題とそれへの取り組みに示唆を与えられれば、それに越したことはない。ただし、海外から来たばかりの訓練生の立場では非常に困難なことである。また、実際のアセスメント面接の前に質問表を送るが、それを返却しなかったり、アポイントに来なかったり、2 回目に来なかったり、ウェイティング中に意向が変わったりと、さまざまな過程で中断が起こった。
 また当然ながら、接触が成立することと臨床的な作業が継続可能であることは、別の話である。実際、ニーズが切迫している患者は多数いても、欲求不満に耐えて性急な解消を求めずにセラピーのプロセスに関心を持ち始めることができる者は限られている。そうした能力は、最初から求めても非現実的ではあり、また、それが育っていくだろうという見込みの適切な判断基準が確立しているわけでもない。アセスメント面接という限られた機会の中で実際的に判断を進めるには、治療者側が積極的に接触することにどう患者が応じるのか、つまりは解釈にどう反応するかを見る必要がある。それが、「分析的な交わり(analytic intercourse)」が可能な見込みがあるかどうかを判断するということである。
 そこにさらに、質的・実際的な判断が加わる。訓練機関である施設側の都合として、週3 回の分析的精神療法に適した患者を確保する必要がある。その選別のための明文化された基準はない。障害の程度によるインテンシヴなセラピーの必要性と、その作業を支える本人の地力とのバランスが大きな決定因と思われるが、治療を継続する本人の意思と動機や治療者側の諸々の都合も大きく影響する。障害の程度の尺度・目安としてよく挙げられるのは、慢性度(chronicity)、重篤度(severity)、広汎度(pervasiveness)である。週3回以上、最低1 年半以上来ることが前提のとき、かなり困っていないと始めようとしないし、具合が悪過ぎる人であれば始めたとしても続けることができない。「病理的組織化」という概念はそうした実情から生まれたものではないが、本来の成長を阻害する問題を抱えていることは、他の治療手段が豊富となった現代では、週3 回以上という多頻度の面接を導入するひとつの目安となる。
 他の治療モードについては簡単に述べる。集団療法は、やや除外的に、つまり個人の一対一で会い続けるには(本人が沈黙ばかりでも詮索ばかりでも)治療者に負担が大き過ぎるとか、変化の見込みは不明でも本人が精神療法を強く希望するときに提供されるのを目にしたが、他のメンバーの存在によって醸成・促進されるものがあることは確かである。週1 回の精神療法は、限られた資源の活用ということで、期間を限定して行なわれることが原則化していた。その場合は、治療にコミットすることができるのかどうかを見る、アセスメントの延長という性格がある。もちろん、もっと長期に面接が続けられることもあったし、そもそも最初から私費の面接を勧めるという選択もあった。その場合、タヴィストックの修了生が紹介されることが多かったようである。
 翻って日本では、相談の申し込みから構造設定に至るまでに多様性があり、最初から精神分析のための症例であることを基準にしている場合は別にして、場所と来談経路に応じて患者のニーズとポテンシャルを見たうえで設定されていると思われる。現実には、複数回カウチで行なえばより得るものが多い印象があっても週1 回で行なわれている症例もあれば、発達障害の症例であることを理解したうえで続けられているのかどうか不明の面接もある。
 現在、心理士たちさえ週1 回定期的に来る患者の確保に困難を感じている。医療経済の観点からすれば、長期の精神療法はもはや例外的だろう。精神療法は、目標自体を治療から生き方の問題へと変更することで成り立っているところがあるので、患者本人が了解しているのなら、どう設定し継続してもある意味で自由ではある。しかし回数を増やしたりカウチを導入したりするのは、週1 対面での精神療法に限界が感じられるときだけでなく、それが必要であり有効であるという見立てを持っていることが求められるだろう。
 本書は、以下のように構成している。
 第1 部では、週3 回の精神分析的精神療法を行なった症例を素材に、現代クライン派による理解とアプローチについていくつかの切り口から論じる。Segal による臨床場面を素材にして、古典的クライン派と現代クライン派のアプローチについて考えている。第2 章では、患者の内的世界における治療者の姿と位置を知ろうとする試みを扱っている。具体的には、逆転移とエディプス状況の理解をつなぐことである。これは一連の論文の中で最初のものであり、Britton の考えを参照している。次に第3 章で取り上げた「抵抗」の概念は、クライン派で主題とされたことはほとんどなかった。ここでは、その代わりにどのような発想と捉え方があるのかを論じている。第4 章で見る夢の理解は、Freud と対照的なクライン派の特徴がある。それに加えて、夢い解釈の基盤となるものは何かを検討した。第5 章の‘here and now’についての論は、逆説的なようだがそれが時間の幅を、それもかなりの長さを要することを見出したものである。
 第2 部では、精神分析の関連領野との関わりの総説から始めて、精神病圏、気分障害、パーソナリティ障害の一部、倒錯などの精神分析的な理解を論じている。Donald Meltzer の総説と特に『閉所』『こころの性愛状態』の紹介も収録した。第3 部には、日本に戻ってから書いたものを収めた。「行動化」を論じた第1 章では、Bion の「変形」概念のひとつを臨床に適用しようとしている。境界性パーソナリティ障害について第2 章では、直接の精神分析的アプローチというより考え方の下敷きとして論述している。最後に、第3章では古典的な精神分析文献を取り上げて、今後の研究への示唆とした。
 以上のように、今回収録した論文はいくつかの総論のほかは、タヴィストック・クリニックで私が経験したうちの比較的限られた主題に関わっている。クライン派の代表的な臨床主題であるパーソナリティの精神病的部分、倒錯、ナルシシズム、摂食障害については概説的に触れた程度であり、アセスメントのような個別的な主題や、精神分析的臨床全般の特質を論じたものは、機会を改めることにした。今振り返って、タヴィストックでの経験は精神分析的な臨床としてはごく基本的なものだったことが分かるが、その後の基礎になっていることは確かである。
 2000 年3 月の送別会で他の何人かとともに送り出される側になった私は、同じ頃に所属した訓練生にこう声を掛けられた。“Tavistock training can nearlykill you, but you survived.”これに触発され、私は挨拶で白瀬矗の南極探検の話を引き合いに出すことにした―おそらくイギリス・ヨーロッパの人たちは、90 年ほど前、ノルウェー隊のアムンゼンと大英帝国隊のスコットが、南極点を目指して競ったことは御存知でしょう。探検家だったアムンゼンが装備の点でも現場での判断の点でも現実的で自由だったのに対して、スコットは国家の威信を背負う立場にあり、用意が万全ではなかったうえに学術調査も怠らずに進めたため、ノルウェー隊に先を越されたばかりか、失意の帰路は予想外の悪天候のため、悲劇の死を遂げたのでした。さてその二人の陰に、国民の義捐金ではるばる日本からやってきて、やはり南極点を目指した白瀬矗という冒険家がいたことは、それほど知られていないでしょう。アムンゼン隊は1911 年12 月に、そしてスコット隊は1912 年1 月半ばには南極に到着した中で、白瀬隊は1912 年1 月28 日、前進困難を認めて、大陸の端に着いたことで満足することにして、撤退を決めて生還します。彼らはそこを「大和雪原」と名づけたのですが、実は氷が突出したところで、南極大陸にも届いてはいなかったのです。それは数十年後に始まった、昭和基地の建設のような近代的アプローチとは直接関わりがない、原始的で個人的に近い試みでした。とはいえ、無事に帰国したのは何よりであり、その後の日本の南極での活動の、何らかの礎となったことでしょう―
 タヴィストックでの訓練を、南極点到達のような一点踏破の探検に喩えるのが適切かどうかは今考えると疑問だが、似ているところはある。成果には個々人の諸事情があり、探検=探究は留学生にとって終え難いものではあるし、その一方で、外国人にとって留学地は両極ほどではなくても簡単に生活を維持できる場ではない。だが文字通り末席にいたのみにしても、そこで経験して持ち帰ることができたものはあった。しかしそれに含まれる意味を十分に展開していくには時間を要することを知るのは、また別の経験だった。
 ところで、白瀬という人についても全く知らないことがあったのだが、それは後で述べよう。

▼文献
(1)Kernberg, O.F., Selzer, M.A., Koenigsberg, H.W., Carr, A.C. and Applebaum, A.H.(1989)Psychodynamic Psychotherapy of Borderline Patients. New York : Basic Books.(松浪克文・福本 修=訳(1993)
境界例の力動的精神療法.金剛出版)