ロンドンを中心に進展してきた現代クライン派は、さまざまな流派に関心が多様化した現在では一時ほどではないかもしれないけれども、精神分析の核心の何かを担っているグループの活動として、強いインパクトと魅惑の源であり続けている。本書は、題名の通り、特にクライン派の現代的特徴を跡づけて、その深さと広がりを捉えようとしている。筆者は外的にも内的にもクライン派の著者たちの現場に近いところでの経験から、自然な想像と直観の働きとともに、彼らとの対話を試みた。それは、彼らの表現を通してその奥にある〈現場〉での出来事に触れようとすることであり、従来から知られている臨床素材であっても、改めてセッションの中で起きていることを読み解こうとしている。
 第1 部では、現代クライン派の臨床を中心に、精神分析が成り立つ内なる拠りどころを把握しようとした。第2 部では、各臨床主題は文献の紹介としてよりも、現代クライン派精神分析を体験的に理解する報告として取り上げた。第3 部では、そうして理解し咀嚼したものを臨床場面と結びつけようとしている。本書が現代クライン派ひいては精神分析に関心のある読者にとって、刺激にも理解の助けにもなればさいわいである。
 各章の主題と狙いについてはすでに「序」で述べたので、ここでは本書全体に関連して考えたことを述べたい。振り返ってみると、本書を再構成する作業は、私の以前からの疑問と躊躇に対処できる方法を考案して、新たな意味を見出す良い機会となったと思う。疑問とは、ありていに言ってしまうと、すでに発表した論文を改めて集めて1 つにすることに、どういう意味があるのかということである。もちろん、初めてあるいはまとめてお読みいただく方々がおいでならばありがたいことであり、何十本かの論文の中から相互に関連するものを選択して、全体として1 つの図柄が浮かび上がるように構成上の配慮をした。また、それぞれを執筆した時には、盛り込むべきと思ったことを、はみ出すほど書いている。だがそれをそのまま提示するのは、個人的には、何か使用済みの切手をもう一度貼るような出涸らし感が否めないできた。
 また、本書の元となった各論文は、それぞれ別の時期に、個々で異なる文脈で書いている。第2 部は、講座の一章や企画の一篇としての依頼に応じた寄稿からなる。そこには一定の規格と方針があり、基本的には与えられた大枠の中で行なった論考である。そのように出発点が受動的なので、それぞれに主張があるというよりは、主として一種の注釈であり、方向性の示唆に留まっている。
 その点では、第1 部は基本的に自分から投稿したものであり、論文としての一定の様式は、特に制約になっていない。今回、同じ症例に関していくつかの角度から書いたものを収め、必要な加筆修正を加えることで、現場での交流をさまざまな側面から考えようとした。しかしここには、別の不全感の源があった。それは、治療的コミットメントが短くならざるをえなかったことである。250 回程度の面接は、精神分析で想定される期間に比べると、開始期ではないが初期の段階で終結したことになる。実際に、日本に戻ってからの精神分析の臨床では、数年間つまり面接が1,000 回を超える実践は例外ではない。そうした面接での接触の厚みと時間的な幅の中でこそ、交流を通じた心の変化は起こりうる。
 訓練という点では、イギリスの考え方として、一定以上の期間の治療経験を通じて精神分析的アプローチを身につけたと判断されて、タヴィストック・クリニックでの課程を修了することができた。だがそれは精神分析的精神療法の最低限のものなので、南極の極地点どころか南極の大陸に届かずその手前の氷原で戻ることになったような気がどこかして、「序」の中で語ったように、白瀬矗を引き合いに出したのだろう。
 自分では、そのことを長く気にしていたという思いはない。ロンドン滞在中にできることはしたと感じてきたし、主にクライン派分析者たちとのその時のつながりによって、その後も不足に感じる点を補うことができた。ただ、いくつかのことについては、取っ掛かりのところで引き返したのは事実だった。しかし今回改めて当時の臨床の仕事に基づく論考をまとめるに当たって、躊躇の少なくとも一部は、行っていないところを行っていないと十分に認めていないから生じているのではないかと思い至った。と同時に、行ったところ、行かなかったところ、行けなかったところが、そのようになった必然性を理解するならば、それで十分に意味があるのではないか、というふうにも感じられてきた。精神分析の過程は、平坦な地形と思われていたところに突如現れるクレバスのような途中の難所があることを考えると、極地の探検に似ていなくもない。ただ、極地点のように誰も住まない最果てを目標地とするのはあくまで冒険の場合である。本当は、発見は途上の何処にでもあったことだろう。元の臨床素材に考察する価値が一定程度以上なければ、論文として成り立たないが、まとめることは形よく整理することに傾きがちだ。しかしそれをすることで、実は価値が乏しくなってしまう。古い面接記録、以前の論文も読み直すと、書かれなかった余白に海図があり、行くに値すると思われるところが垣間見えてくる。中途に終わっているものについても、何の半ばなのかが分かることに意味があるだろう。
 実際の編集作業をしていると、また別の意味と方法も見出された。今回、第1 部の特に‘here & now’を巡る考察を加筆した他に、残りの章には、現時点で考えるところを冒頭に追記している。この単純な、よく見かける形式には、今の考えを日誌風に加えられるので気兼ねする必要がさらに薄れるという効果があり、比較的最近読み返した論文を素材に第1 章を書き足して一区切りとすることができた。この経過報告方式だと、進行中の作業を取り込むことを遠慮しなくてよいので、これからいくつかの腹案を具体化していけることを自分で期待している。
 再び白瀬矗についての余談を。彼の物語は、綱淵謙錠=著『極―白瀬中尉南極探検記』(新潮社[1990])で詳しく読むことができる。そこには、経済的な苦労から多くの喪失や事故、挫折まで、痛ましいことが書かれている。しかし、驚いたのは、彼の子供の頃からの「坊ちゃん」顔負けの多動ぶりである。また、11 歳で探検家を志し、以来、酒煙草はおろか茶も湯も飲まず、火に当たらないことを実行したというので、随分と気質の違いを感じる。東大分院時代にお世話になった故安永浩先生に、「中心気質」の一人でしょう?とお尋ねしたら、賛成されたかもしれない。私から見るとADHD とも無関係だと思えないので、その点もお伺いしたことだろう。
 安永先生のお名前を出したのは、今の今、急に思い出したからだ。それと現代クライン派についての論考と何の関係があるのか、と問われれば、私が思い出したという以上のつながりはないと思う。私自身がどのような立場なのかというと、特にクライン派という固定的な志向があるわけではなくて、本質をきちんと踏まえて、あとはその時その時で、というつもりでいる。その基礎を踏まえることに、随分と時間が掛かっている。
 最後に、タヴィストック・クリニックへの留学を御支援いただいた元静岡大学保健管理センター所長・鈴木修二先生をはじめ、多くの先生方、同クリニックでのシニアスタッフと同僚、帰国後お世話になった方々、特に、クライン派講読セミナーの継続を支えていただいている小寺記念精神分析研究財団理事長・狩野力八郎先生そしてセミナー参加者の皆様に厚くお礼を申し上げます。金剛出版編集部・藤井裕二氏には、形が定まるのをお待ちいただき、隅々まで目を通して読みやすいように助言をいただいたことに深謝します。

福本 修
2013年10月