『現代クライン派精神分析の臨床―その基礎と展開の探究』

福本 修著
A5判/304p/定価(4,200円+税)/2013年11月刊

評者 飛谷 渉(大阪教育大学保健センター)


 満を持して福本修先生の初の論文集が刊行された。本書はロンドン発の現代クライン派について,精神分析的臨床からの関心にも,精神医学的臨床からのそれにも応じられるよう入念に工夫された三部より成っている。
 第1部は,クラインの「症例ディック」やシーガルの症例を再吟味することから始まる。そして,いきなり本書の心臓部へと展開する。すなわち,著者のロンドン時代の週3 回頻度のインテンシヴ・ケースをさまざまな角度から論じることで披瀝されてゆく臨床記述と,それへの論考が以後四つの章において展開する。そこでは,現代クライン派の技法と臨床概念とが,ロンドンでのトレーニングと帰国後の臨床経験の中で咀嚼吸収された上で,科学的で奥深い理解とともに提示される。さらに,生産的な批判を可能にする冷静な観察と理解の眼差しが,クライン派の技法に対してのみならず,ご自身の症例の臨床過程に対しても向けられている。そこには精神分析という臨床文化への信頼を足場として,飽くなき好奇心を維持しつつ,コンサルティング・ルームにおいて目の前で展開しているものはいったい何なのか,患者や治療者の内的外的世界体験でいったい何が進行しているのか,そういった臨床的現実を丹念に探求する福本先生の精神分析的態度そのものが反映されている。精神分析の理論的歴史的背景や技法について習熟していない読者でも,十分に精神分析の本質に触れることのできる迫力あるリアルな臨床記述である。
 クライン派臨床に関心のある者にとって特に興味深いのは,第1部5章「精神分析における理解と変化のための時間」であろう。性的な意味を当初は持たなかった体験が,主体の性的成熟以後にその意味が活性化されて外傷的効果を発揮するというフロイトの「事後性」という発想が現代的に拡張されている。さらに著者は,ロンドン・クライン派の技法的革新者ジョゼフの‘here and now’における「全体状況」という内的対象に基づく転移概念を,遡及的意味付与作用としての「事後性」概念と対比しつつ,「変化」の二つの次元として,それぞれ共時性と通時性において,意味生成作用と変化惹起性のポテンシャルをもったものとして,これら二つを有機的に結びつけることに成功している。
 また,全編を通じて特筆すべきは,福本先生の概念把握と表現の正確さである。われわれが何となく感覚的に感じていたことに対して,さりげなく的確な言葉のフォルムが与えられてゆく。まさにコンテイニング,あるいは精神分析における「解釈」のようである。
 たとえば,「第一に治療的な課題となるのは,失われた情動的接触を回復することである」(p.52),「精神分析的精神療法の目的は,希望や新しい考え,さまざまな情動,新たな関わりを生むことができる,生きた心を回復することである。」(p.164)などは,クライン派精神分析における目的意識を的確に表現している。これらは,共有された価値意識ではあっても,これまで明示されてこなかったものでもある。
 さらに,「無意識を理解するとは,自己および,対象の一部との接触を取り戻すことである。ただし,それは単に表面に触れることではなく,相手の質を実感することであり,貫入penetrationとしての洞察を,そして治療者側も相互形成的貫入を,つまり分析的な交わりanalytic intercourse を要する。」(p.53)この叙述は,クライン派臨床が時間をかけて練り上げてきた治療機序論の核である。
 本書のさらなる特徴は臨場感である。臨床素材から読者は,タビストックでのスーパービジョンに同席しているかのような体験ができる。さらに重要なことは,ロンドンから帰国後十数年を経て吟味し尽くされた臨床状況理解が提示されることから,読者は現在の福本先生からスーパービジョンを受けているかのような体験もできるだろう。観察的位置と体験的位置とが統合された「第三の位置」から転移逆転移状況を眺めるのが現代クライン派の臨床のエッセンスである。
 第2部と第3部では,特に統合失調症や気分障害といった精神病臨床へのクライン派の寄与が,Jackson やRosenfeld の興味深い貢献の詳述を通じて紹介される。また,これまでクライン派の中では急進的で微妙な存在であったMeltzerの概念が,Bionをより発展させる創造的ポテンシャルとして紹介されているのも魅力である。さらに第三部では,パーソナリティ障害の概念化と臨床に対して,臨床現場での関心の推移を踏まえて冷静な論考がなされている。
 本書は,福本先生が精神分析者として,そして精神科医として,トレーニングや臨床のご経験を通じてなされた互恵的な内的対話である。それは精神分析臨床に関心のある臨床家が持つ内的葛藤と共鳴し,さらなる対話へと進展することだろう。