本書の初版の執筆に取りかかりはじめてから20 年以上が経過した。その間に,心理療法の分野には多くの重要な変化が起こった。まず第一に,初版の執筆時点では,認知行動的な諸アプローチは,まだ,今日世界の多くの地域において見られるほど優勢な治療的勢力ではなかった。もちろん,認知行動的な諸アプローチはその頃すでに有力な勢力ではあったけれども,精神分析的ないし心理力動的な諸アプローチもまた,その頃にはまだ治療者たちの注目と関心を競い合う対等なライバルの地位を保持していた。今日においては,世界の多くの地域で,認知行動的な諸アプローチが明らかに優勢となり,心理力動的な諸アプローチの影響力はかなり低下した。したがって,この第2 版では,初版と比べて,認知行動的な方向づけをもった読者の比率が高まっているはずである。
 本書の初版を読んでくれた認知行動療法家の読者たちからは,次のような感想が多く寄せられた。本書は自分たちの臨床活動にとって大いに有意義であったけれども,普段読んでいる認知行動論の標準的な文献よりも理解するのに少し苦労した。というのも,本書の初版は心理力動的な治療者に馴染みのある言葉で書かれており,自分たち認知行動療法家の仕事にとっての意味をはっきり理解するためにはいくらか努力する必要があったからだ―。こうした感想を念頭に置いて,私は,この第2 版においては,私がまさに彼ら認知行動療法家の臨床体験や臨床的要求を話題にしていることが,彼らにとってより明確になるように,議論や考察をいくつか書き直した。同時にまた私は,私がもともと訓練を受けた心理力動学派の伝統から引き続き大いにインスピレーションを受けつづけてきた。精神分析的な思索は,われわれの患者の最も深い欲求や希望に純粋に反応する臨床作業を導くうえで,今なお,非常に重要なもの,価値あるものであり,私自身の臨床的・理論的思索の中核である。
 本書に記述された臨床的アプローチの理論的基礎がこのように二面的であるのは,私がさまざまな異なる起源に由来する有用な考えや方法を1 つの一貫した理論と実践の枠組みへと統合することに,長年興味を抱いてきたことを反映している。この第2 版においては,心理力動的な視点と認知行動論的な視点の明らかに大きな影響力に加えて,システム論的な諸療法や体験的な諸療法の貢献に対する注目も増している。これらの視点を1 つの全体的な臨床的アプローチによって完全に統合するにあたって,私は,長年にわたる統合的な仕事をいつも導いてきた包括的な方略を用いた。まず,それぞれのアプローチがその理論的・臨床的アプローチを形成するうえで焦点をあててきた経験的な調査や臨床的な観察を詳しく調べる。その際,それぞれのアプローチがどのような観察に注目しているかを調べ,何がそこから排除されているかに注意を払う。というのも,心理療法の統合を目指す私のアプローチには,それぞれのアプローチの信奉者が自分の理論を説明し,他の理論を無視したり侮蔑したりする方法がまったく正反対であるのは,一種の「視野狭窄」によるものだという前提があるからである。特定の観察に注目し,他の観察を無視したり周辺に追いやったりすることによって,それぞれの理論の信奉者は,自分は包括的な説明を提供しているのだと自身を納得させている。しかし実際にはそれぞれの説明は部分的なものでしかない。本書に描かれている実践へのアプローチを導くより統合的な視点は,それぞれの説明が追い払っているもの(しばしば,実際,他のアプローチが強調しているもの)に注目し,主要な学派それぞれが重視する観察のいずれをも考慮に入れた,より包括的な枠組みを発展させることを目指している。本書に述べられている臨床実践のためのガイドラインが,精神分析的な立場の治療者にも,認知行動療法家にも,システ
ム論的な立場の治療者にも,体験的な立場の治療者にも,同様に馴染みやすく,理にかなっていると感じられるとすれば,それはこうした理由によるものである。 この第2 版においては,初版からの年月とともに発展してきた理論と実践に関する新たな研究や考えへの注目を反映して,引用・参照文献が完全にアップデートされている。認知行動論の領域に由来する考えを提示し,利用するにあたって,この第2 版においては,感情と受容を強調する新しい考え方の示唆するところを特に強調してきた。より古い様式である合理主義的な認知療法や認知行動療法とは対照的に,DBT(弁証法的行動療法)やACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)といった,この領域におけるより新しい展開は,世界についてのあなたの前提は間違っており「不合理である」と合理主義的にクライエントを説得する努力をもはや強調していない。その代わりに,これらのアプローチでは,まずクライエントの体験を受容し承認することによって変化を生み出そうとする。そうすることを通して,クライエントが世界を体験し生活を組織化するための新たな方法により受容的でいられる状態を促進しようとしているのである。クライエントは現在のありのままの姿を尊重されることと,苦しみの起源を変化させるよう援助されることの両方を必要としている。そのため,こうした援助によって,自らを苦痛から解放するとともに,より大きな意味と自己統合性の感覚を獲得する,弁証法的で深く体験的な努力に取り組めるよう援助される。こうしたより新しい様式の認知行動論的な考え方は,心理力動的な立場の治療者が心地よく馴染んできた考え方や実践の仕方とも両立しやすいものであり,両者のより堅固な架け橋ともなるものである。
 初版から現在までの年月とともに発展してきた重要な認知行動論的な思索はこれだけではない。この20 年の間に,また別の2 つの思索が加速度的に発展してきた。これらもまた,心理力動論的,体験的,システム論的な考え方や実践の仕方との間の貴重な架け橋となるものである。その1 つは,認知療法家や認知行動療法家の間で,構成主義的な思索がさらに発展してきたことである。構成主義の強調は,それ自体としての価値に加えて,精神分析における関係論的な思索の発展との間にとりわけ顕著な重なりの要素を与えるものでもある。このことについては,この後すぐに言及するつもりである。(やはりそれ自体で価値があると同時に,他学派とのさらなる架け橋となる)認知行動論的な思索におけるもう1 つの発展は,認知行動療法家が感情に対する注目を高めてきたことである。かつては,多くの認知療法家が実質的に感情を無視していた。あるいは,さらに悪いことには,感情を「不合理性」のさらなる症状として扱っていた(あなたが合理的に考えていたなら,怒ったり,傷ついたり,悲しんだりする必要はなかっただろう)。ますます多くの認知療法家や認知行動療法家たちが,思考が感情を形成するように,感情もまた思考を形成するのだという理解を実践に取り入れるようになってきている。この新しい考え方に導かれた治療者たちは,かつての一方通行的で,過度に知性化された合理主義的な「議論偏重の」治療アプローチから離れて,感情を尊重し,感情に注目するようになっている。そうしながらも彼らは,認知行動療法の実践の最も価値ある中核的な要素を放棄しているわけではない。 これらの3 つの発展,すなわち受容,感情,構成主義の強調は,これらを採用している治療者や理論家の実践において,重なり合うことが多い。それらはまた,エクスポージャーの強調のような,認知行動論的な治療におけるより伝統的な強
調とも重なっている。不安その他の苦痛な感情を乗り越えていくうえでエクスポージャーが果たす重要な役割を理解することは,本書の初版において提供されたガイドラインにとって決定的に重要な要素であった。そしてそれはこの第2 版においてもなお重要な要素である。そしてそれは,今述べたような新しい流れによってさらに洗練され強化されたのである。
 精神分析的な流れにおいては,ここ20 年間における重要な発展のひとつは,精神分析の世界における主要な勢力として,精神分析的思索の関係論的ヴァージョンが出現してきたことにある。多くの国において,関係精神分析は今や単独で最も優勢な精神分析的視点であり,関係論的思索の諸要素はより保守的な精神分析家の層においてさえ,ますます変化をもたらすようになってきた。私自身の思索や著作もまた精神分析的思索におけるこの関係論的な変革のある部分に影響を受けてきたし,またある部分に影響を与えてきた(たとえば,まもなく日本語訳が出版予定の『関係理論と心理療法の実践』(Relational Theory and the Practice of Psychotherary)を参照のこと)。この発展の影響は,この本書の第2 版においても非常に明らかに見て取れるであろう。関係論的観点は構成主義的な認識論を中心としている。上述のように,これは認知行動論的な思索における重要な傾向とも軌を一にしたものである。また,関係論的観点は「トゥー・パーソン」の視点を中心としたものでもある。トゥー・パーソンの視点は,時間をかけて治療が展開するにつれて,治療者の存在と介入が,そこで観察されるものに重要な影響を与えるということを反映するものである。より古い「ワン・パーソン」の視点においては,治療者が患者において観察する現象は純粋に患者の内面から生じたものと見なされており,治療者はただ単にそれを観察し,それにコメント(「解釈」)しているものと見なされていた。こうした見方とは対照的に,トゥー・パーソンの視点は,その作業中つねに,治療者が言うことや為すことの決定的な重要性を強調する。これは明らかに本書の基本的な方向性と一致したテーマである。
 こうした発展を詳述するだけでなく,この第2 版では,さまざまな異なる学派の治療者のいずれにとってもますます重要性が高まりつつある,愛着理論と愛着研究について1 つの章を割いて論考している。愛着研究は発達,主観性,そして間主観性の諸過程を解明してきた。近年の治療効果研究では,治療者との関係が,少なくとも治療者の理論的立場や特定の技法と同じくらい治療効果を左右する重要な要因であるという知見が,ますます顕著に示されるようになってきている。愛着研究は,この知見をより十分に,より適切に理解させてくれるものであり,治療実践にとって大きな意味をもつものである。
 この他にも多くの研究結果が,この第2 版に微妙な変化をもたらしている。学問の世界においては,認知行動療法と心理力動的療法は,前者は経験的な調査研究に基づいているが後者はそうではないところが異なるという言説が,これまで長い間,神話となってきた。こうした言説にも,かつてはいくらかの真実の要素が含まれていたかもしれないけれども,公平な目で見て,認知行動論的アプローチは経験的に支持されているが心理力動的アプローチはそうではないと論じることはますます難しくなってきた。ジョナサン・シェドラー(Jonathan Shedler)やドリュー・ウェステン(Drew Westen)をはじめとして,その他の多くの論者が示したところによれば,心理力動的治療を支持する証拠は現実には非常にたくさん存在しており,実際のところ,現在までに得られている調査をより方法論的に洗練された方法で考察し,そうした調査が多くの現場の臨床家が実際に出会っている患者の母集団を適切に反映しているかどうかという要因や,あるいは達成された変化が,治療終結後どの程度の期間にわたって維持されているかという要因を考慮に入れて総合的に判断するなら,認知行動論的な諸療法と心理力動的な諸療法の間に存在すると言われてきた証拠のギャップは本質的に消滅するのである。この問題については,私自身も論じたことがある(Wachtel, P.L.(2010 )「経験的に支持された療法」を超えて―エビデンスに基づく実践の追究における問題を孕んだ諸前提.精神分析的心理学第27 巻(Psychoanalytic Psychology, 27, 251-272))。そして,経験的な証拠のこうしたさまざまな再検討は,本書に記述されたアプローチの形成に寄与してきた。
 日本の皆さんには,本書の第2 版を興味深く受け取ってほしいと願っている。また,新しい視点と新しい題材が本書の有用性を高めてくれるものと期待している。日本とアメリカ合衆国は,ともに高度の工業技術社会として,多くを文化的に共有している。その一方で,当然のことながら,何世紀にもわたって発展してきた伝統を反映して,また,現代の生活が課す課題に対して異なったやり方で適応してきた歴史を反映して,両国の文化には,かなり違ったところもある。こうした深い類似性と深い相違性との間の弁証法的な緊張のなかでこそ,とりわけ実り豊かな対話が生じうるのである。私は,日本の読者が本書から多くを学ぶことを期待しており,そしてまた日本の読者からの声を聞き,皆さんがもつ異なった見方から学ぶことができる日を楽しみにしている。わわわれが共有する人間性についての異なった視点から,患者が面接室に持ち込む痛みと切望の源について,また,彼らが達成するようわれわれが願うより豊かでより有意義な生活について,いっそう深い理解が出現することだろう。