本書はPaul Wachtel 著Therapeutic Communication: Knowing What to Say When 第2版(The Guilford Press, 2011 )の全訳である。本書の初版は1993 年に出版され,各方面から高い評価を得てきた。この初版の日本語版は,2004 年に刊行され,日本の読者からもやはり高く評価されてきた。それは販売実績からも,またウェブ上のさまざまな書店のサイトに寄せられた書評からも知ることができる。実際,この間,臨床心理士養成課程の大学院でテキストとして用いられたり,病院の心理士の勉強会やカウンセラーの勉強会で輪読されたりしているという嬉しい知らせが訳者の耳に入ってくることもあった。
 本書は,心理療法家が臨床現場でクライエントとの対応に行き詰まったときに,そこに有用な示唆を与える具体的な指針やその実際の運用例に満ちている。認知療法家であれ,精神分析的心理療法家であれ,来談者中心療法家であれ,戦略的家族療法家であれ,第三世代の行動療法家であれ,解決志向催眠療法家であれ,本書から学ぶことは多いだろうと私は信じている。それほど,ワクテル氏が本書に提示している考察や知見は,重要かつ有用でありながら,他ではあまり見ない類のものであり,現在の心理療法家の教育訓練の一般的環境において欠落しているものであると思う。ヴァージョン・アップされたこの第2版がさらに多くの読者に役立つことを願っている。
 本書の理解を助けることを願って,訳者からいくつかのおまけ的なコメントを提示して,あとがきに代えさせて頂きたい。

著者について

 著者のポール・ワクテル氏は,折しも,この邦訳書の出版準備中,2012年の3月に,日本心理臨床学会の国際ワークショップ講師として,妻のエレン・ワクテル氏とともに招聘され,来日した。彼は,心理療法の統合に向けた動きを長年にわたってリードしてきたことで有名であり,現在,世界的に最も活躍し,注目されている理論家の一人であると言える。
 ワクテル氏は1940 年生まれで,ニューヨーク大学で教鞭をとる臨床心理学者であり心理療法家である。心理療法家として彼は,対人関係論的な精神分析の立場から出発したが,早くから行動療法や家族療法に対しても開かれた態度を取り,これら他学派の心理療法をも真剣に学び,考察するなかで,循環的心理力動アプローチ(あるいは統合的関係的心理療法)という新たな治療体系を提唱するに至った。
 循環的心理力動アプローチは,対人関係論的な精神分析を基盤としながらも,行動療法や家族療法に由来する考え方をも含んだ,そしてそのいずれとも異なる,新たな治療体系である。その基本的な考え方は本書の第4章から第6章にわたって記述されているが,さらに詳しくはポール・ワクテル(1997)(杉原保史=訳(2002))『心理療法の統合を求めて―精神分析・行動療法・家族療法』(金剛出版)を参照して頂きたい。
 ワクテル氏の実践は,オーソドックスな個人心理療法のスタイルを取っている。しかしその実践を導く視点は,伝統的な個人心理療法の特徴である精神内界主義的で密室主義的な視点とはまったく異なっている。循環的心理力動論の第一の特徴は,個人の意識的・無意識的な心の動きを,現在の環境の文脈とつねに相互作用しているものとして捉える点にある。このアプローチでは,個人の内面の問題を単に個人が心のなかに抱える問題として見るのではなく,社会や家族との関係の文脈に対して,そして面接室においては治療者との関係の文脈に対して絶えず相互作用しているものとして見る。したがって,治療者が面接する相手は個人であるけれども,治療者がそこで取り組んでいる対象はその個人の生活環境にまで広がっていくのである。
 ワクテル氏の視野のスケールの大きさは,臨床心理学者でありながら,まさにその臨床心理学の視点から(循環的心理力動論の視点から),経済学や社会学の領域に分類されるような書籍をいくつも発表している点に端的に表れている。その1冊は『豊かさの貧困―消費社会を超えて』(土屋政雄訳(1985)TBSブリタニカ)というタイトルで邦訳されている(ちなみにこの本は京都大学では経済学研究科の図書館に所蔵されている)。この本の中で彼は「現代社会の病は,心理学の問題を経済学で解決しようとするところから生じている」と論じている。この本は,社会問題を対象として,環境,行動,思考,感情の相互作用における悪循環のサイクルを分析したものであり,世界の先進諸国の人々が豊かさを求めて取り組む行動のあり方(働き方や消費の仕方)が,結局は,もっと多くのモノを求める欲求を作り出し,現実にはすでに豊かであるにもかかわらず,欠乏感や貧窮感の体験を生み出していることを指摘したものである。この本は30年近く前に書かれたものであるが,現在,いっそう真剣に読まれるべきものとなったように思われる。彼の行う個人心理療法はこうした大きな視点までも含んだものなのである。

心理療法の訓練における重大な盲点―治療者も話す

 本書のメイン・テーマは,治療者の言葉にある。伝統的な「談話療法」タイプの心理療法の訓練においてしばしば強調されているのは,クライエントの話を「聴く」ことである。たしかに「聴く」ことはいくら強調しても強調しすぎることはないほど大切なことである。しかし心理療法の実践において,治療者がクライエントの話を聴くだけでまったく何も言わないなどということはまずありえない。それなのに,クライエントの話を聴いて得た理解に基づいて具体的にどうクライエントに「話す」かということは,この「聴く」ことの強調の背後で,ほとんど系統的な注意を払われずに,いわば暗黒の領域であり続けてきた。このことは,心理療法を学び実践しようとする者に大きな困難をもたらしてきたと思う。
 行動療法,認知療法,認知行動療法といった流派においては,伝統的な「談話療法」とはだいぶん事情が異なる。こうした流派では,伝統的な「談話療法」における以上に,治療者はクライエントにさまざまな情報を積極的に伝えていく役割を取ることが求められる。それゆえ,これらの流派では,むしろ治療者はよく話すことが前提とされている。しかしながら,これらの流派においても,伝えるべき「内容」,つまり治療者が何を話すかに関しては多くの議論がなされてきたものの,どのように話すか,どのような言葉を選んで,どのようなニュアンスの言い回しで話すか,といったことに関しては,ほとんど注意が払われてこなかったと言えるだろう。
 どのような流派の治療者にとっても,クライエントに伝えるべき内容をどのように具体的に言葉にして伝えるかということは,その治療の効果を決定的に左右する重要な問題である。スーパーヴィジョンや事例検討会の場面で,いかに知的,概念的に適切と見える定式化を述べることができたとしても,それだけでは机上の空論に過ぎない。それを実際にクライエントに対してどのように具体的に表現し,伝えるのかが問題なのである。その具体的詳細にこそ治療効果が宿るのである。その治療者が真にクライエントを理解しているかどうかは,そこにこそ表現される。最終的にはそこにしか表現されないと言える。
 本書は,治療者が自分の得た理解を治療に生かすべく,具体的にどのようにクライエントに話しかけるか,ということを正面から取り上げ,本格的に論じた数少ない著作のひとつである。
 治療的な言い回しを形成する能力は,従来,コツやセンスといった領域の事柄として扱われがちであった。しかし本書が明らかにしているように,治療的に作用する言い回しを慎重に考察してみると,そこにはさまざまな原理が確かに存在するのである。たとえば,許しのニュアンスを込める,一時的に防衛の肩を持つ,症状行動の変動に注目する,葛藤の両面に触れる,症状を過去のなごりとして描く,などなど。こうした原理を明瞭に理解し,その原理に沿ってコメントを形成する努力をたえず積み重ねることによって,その治療者の治療的コメント形成能力は高められるものと期待される。実際,著者ワクテル氏は,豊富なスーパーヴィジョンやワークショップでの経験から,治療的な言い回しを形成する能力は訓練によって獲得可能なスキルであると述べている。またそのことは私自身の経験によっても裏付けられる。本書に論じられている諸原理をよく考慮し,実践に適用しようと努力するなかで,以前なら行き詰まったり,クライエントと敵対的になったりしていたであろう局面で,協力的な関係を維持しつつ新たな展開を切り拓くことがしばしば可能となったのである。

伝統的な抵抗の概念への挑戦

 本書の考察のかなりの部分は,治療者が,伝えようとする内容を,いかに抵抗を引き起こすことなくクライエントに伝えられるか,ということに向けられている。「できるだけ抵抗を引き起こさないように」という考えは,ある種の治療者にとっては当然すぎるほど当然のことなのだが,また別の種の治療者にとってはピンと来ないことであろうと思われる。というのも,伝統的な心理力動論の考え方のなかには,抵抗は治療にとって必然かつ必須のものであり,治療者はクライエントが抵抗を表すのを待ち,抵抗を敏感に察知して解釈する,それこそが治療の中心的作業である,という考えが含まれているからである。こうした考え方に依拠する治療者のなかには,「できるだけ抵抗を引き起こさないように」という考え方自体が,根本的に治療原理に反すると思う人もあるだろう。
 また,伝統的な心理力動論の考え方においては,抵抗はもっぱらクライエントの側の心理力動として概念化されている。抵抗はクライエントの側がすることなのである。抵抗がそのように概念化されている限り,治療者の側がどのように抵抗を引き起こしたり引き起こさなかったりするか,などということには考えが及ばないのも当然のことであろう。
 しかしながら,さまざまな治療者による事例報告を数多く聞いていると,難しいクライエントを相手にしていても,巧みに暖かく協力的な関係を維持し,良い雰囲気で面接を進めることができる治療者もいれば,不用意な言動によってクライエントにあからさまな抵抗を引き起こし,その抵抗に阻まれて治療的変化が停滞してしまいがちな治療者もいることに気づかされる。こうした観察に基づけば,抵抗は治療者の働きかけしだいでかなり左右される現象であるということは明らかなはずである。つまり,抵抗は(逆に言えば,暖かく協力的な治療関係は)治療者とクライエントとの共同作品,すなわち相互作用の産物なのである。このような見方は,近年の精神分析の発展における関係精神分析の流れや,そこでのトゥー・パーソンの視点と関わりが深い。
 もちろん,心理療法はクライエントが不安を感じ,避けたいと感じている事柄を扱うものであるから,「抵抗は治療に必然のものである」と言うのは正しい。しかし言うまでもなく,そのことは,治療者はいたずらに抵抗を高めるような働きかけをしても構わないという意味ではない。もし仮にそのような前提に立っている治療者がいるとすれば,その治療者はまさにその事実によって,そこで出会う抵抗を治療的に有効なやり方で扱うことができないであろう。不必要に抵抗を引き起こすことなく治療を進める能力は有能な治療者の条件なのである。
 本書において著者ワクテル氏は,抵抗についての伝統的な見方に挑戦し,そこに相互作用的な視点を持ち込むことによって,治療者−クライエント関係を伝統的な抵抗概念の呪縛から解き放とうとしているのである。

心理療法における技術と人

 本書は心理療法の技術的な側面を扱っている。当然のことながら心理療法は単なる技術ではない。治療者の人格を離れた技術は不毛であり,時には有害でさえある。本書に論じられている言葉の技術は非常に有用なものであるが,それだけで治療が成立するわけではない。そのことには注意が必要である。本書に論じられている言い回しの技術ばかりに頼ったり,そうした技術に溺れたりしてしまうと,口先だけの治療者が生み出されてしまう危険性がある。本書の読者はこのことを心しておいてほしい。
 けれども私は,「心理療法は技術ではなく人柄である」とか,「心理療法には技術は必要ない」とかいう主張には同意できない。専門家の間でも時にこのような主張に出会うことがあるのは残念なことである。心理療法は技術であると同時に人柄でもある。技術を軽視あるいは蔑視して人柄だけで職業的な活動をするのは危険なことであると言えよう。
 またこれと関連して,技芸の修得には,しばしば形の模倣から入って徐々にそれを自分のものにしていく過程が必要とされるということも考慮する必要がある。本書に論じられている諸原理に導かれて,それまでほとんど口にしたことのない言い回しでクライエントに話しかけようと試みるとき,最初のうち多少なりとも口先だけのような感じが伴うことがあるとしても,それは当然のことである。はじめは外から輸入された技術も,使い込まれるにつれ,やがてその人の人格のなかに取り込まれ,その人の人格の一部になっていく。はじめは口先だけのような気がして居心地が悪いかもしれないが,それは一過性で終わるはずのものである。口先だけの治療者になってしまう危険性を軽視するのは問題だが,逆にそうした危惧にとらわれすぎると,治療者が技術の修得を通して成長していく,この過程自体が阻害されてしまうことになる。
 本書が,学派を問わず,日本の心理療法家たちに広く読まれることを,そしてその方々の職業的成長に,ひいては個人的成長に資することを心から願っている。

2014年1月
杉原保史