米国人によって書かれた精神疾患診断のガイドは,日本の精神科医やプライマリケア医に役に立つのだろうか? 私たちは,たしかに役に立つと考えているが,日本の患者に使う場合には,ある種の文化的違いを考慮する必要があるということも指摘しておく必要がある。 生物学的にみれば,私たちは,違いよりも共通点の方がずっと多い。人種間の身体的な違いというのは,わずか1万年前に生じたごくわずかの遺伝子の変化によって生じた表面的なものに過ぎない。生物学的な違いは表面的でしかなく,精神医学的な問題にはまったくといっていいほど関係してこないだろう。
 一方,社会文化的状況は,精神疾患の形態やその内容に大きく影響するし,時代や場所によっても劇的に違ってくる。現代に生きている私たちはおそらく,5万年前に生きていた人たちと基本的には変わらないだろう。しかし,精神的苦痛の体験様式や分類方法は大きく違っている。5万年前には,精神的苦痛はタブーを破ったことによる怒りの霊の呪いとして体験されていた。現代でも一部の地域では同じかもしれないが,大半の地域では,生物学的要因と心理学的要因,およびストレスの相互作用によって生じたものとして受け取られている。人の苦痛は,人の存在に普遍的に伴う避けがたいものであるが,その表現型は時代や文化によってさまざまに変化する。
 そうだとすれば,精神科の診断の歴史が熱狂とファッションの歴史であったとしても驚きではない。さまざまな精神疾患概念が,人気になったり飽きられたりする。DSMは精神科診断のバイブルではない。精神疾患を仕分けするための,文化や時代と結合した指針でしかないのだ。DSMが規定した精神疾患は,米国および日本での現在の臨床実践にはきわめて有用なものである。しかし,それは,現代社会の中で一時的に構築された体系でしかなく,それぞれの文化の中で柔軟に用いられなくてはならないものである。DSMの中に記載されている精神疾患の大半は,日本の臨床家にもよく知られたものであり,簡単に使うことができるはずだ。しかし,日本では,米国とは異なった現れ方をして,異なった分類が必要になる可能性があることを意識しておくといいだろう。
 引きこもりと呼ばれる現象について,日本で議論されていると聞いているが,米国ではそうした状態を目にすることは多くない。通常の活動から身を引き,ほとんどの時間を部屋に閉じこもって過ごすようになると,コンピュータゲームにふけるようになる。それが極端になると,食事にさえ出てこなくなる。そうした状態を目にすると,米国の精神科医は広場恐怖という診断名をつけるだろう。
 社交恐怖の症状を持つ米国の患者は一般に,他の人から恥ずかしい思いをさせられたり馬鹿にされたりすることを恐れている。日本の場合は,対人恐怖症の概念からすると,他の人に恥ずかしい思いをさせることを恐れていることが多いように思える。
 うつ病も,たとえば米国では悲しみや興味の喪失,絶望感や無力感を主訴として受診するのに対して,日本では頭痛や食欲減退,不眠などの身体症状を主訴として受診するといった違いがあるのではないだろうか。日本では,schizophreniaの訳語を精神分裂病から統合失調症に変えたが,こうしたことも精神疾患に対する視点の違いを反映している可能性がある。
 臨床家は,特定の診断システムに奴隷のようにしたがうべきではない。患者は,文化が違えばもちろんのこと,同じ文化の中でも驚くほど多様である。診断と治療にあたっては,個々の患者に目を向けた柔軟で懸命な視点を忘れてはならない。私が本書で示した診断の指針が,皆さんの診断の一助となり,真に患者の役に立つ治療に結び付くことを願っている。

Allen Frances