境界性パーソナリティ障害(BPD)患者の治療が厄介なのはよく知られている。彼らが引き起こすさまざまな問題は,どれほど経験を積んだセラピストにとっても脅威である可能性がある。
 BPDの最も恐るべき症状は長期にわたり続く自殺念慮,繰り返される自殺企図,そして自傷行為である。BPDの患者とは,われわれが気に病み─そして死なせてしまうのではないかと恐れるような患者なのである。セラピストたちは厄介なセッションの後に,その患者を本当にもう一度診ることができるかどうかについて,あるいはその患者が自殺したと誰かが電話で報告してくるかどうかについて,確信が持てないかもしれない。
 自殺の脅しをしない患者の場合ですら,セラピストは深刻な困難に直面することになる。BPDは多くの症状と関連している。そしてそれらの症状の一つひとつがさまざまな問題を引き起こすのである。気分不安定性は取り扱うことの難しい症状であり,投薬に対してわずかな反応しか示さない。治療の内外で生じるさまざまな衝動行動は極めて破壊的である。親密な対人関係はしばしば極めて混乱したものであり,またこのパターンは治療の中で繰り返され,治療同盟を破壊する可能性がある。認知症状(妄想様観念,離人症状,そして幻聴)もまたこうした患者のマネジメントに対して多くの問題をもたらすことになる。
 このような臨床像がみられることを考えると,BPDが深刻な精神疾患であることに疑いの余地はない。BPD はパーソナリティ障害に分類されているが,DSM-W-TRのU軸に記載されている他の診断カテゴリーのほとんどとは異なっている。パーソナリティ障害に罹患している患者の多くは,自分のことを正常であると考えている。これはBPD患者には当てはまらない。彼らは大きな苦痛を感じ,治療を受けることを希望するのである。
 BPD患者はセラピストをやきもきさせる。これらの患者は同僚からのコンサルテーションを仰ぐことになる可能性が最も高い症例である。BPDはしばしば症例検討会,招待講演,そしてこの分野の専門家たちによって行われるワークショップのテーマとなる。
 それでもBPDは無視される可能性がある。この障害は非常にしばしば大うつ病あるいは双極性障害の異型として診断されるのである。さらにBPD患者はしばしば不適切な治療を受けることになる。彼らはわずかな利益しかもたらさないような多剤処方を受けるのである。彼らが必要としている,エビデンスに基づいた精神療法を必ずしも受けられるとは限らない。

本書の目的

 BPDは厄介な臨床的問題であるから,これまで膨大な科学論文のテーマとなってきた。Medline やPsycInfo では3,500 以上の文献が並んでいるし,少なくとも毎年200以上の文献が発表される。これほど強力な研究基盤を持った診断はごくわずかである。
 本書はこうした文献について理解する上で,そして実証的なデータが臨床的マネジメントに対してどのように情報を与えることができるかを明らかにする上で,臨床家を支援することを目指したものである。BPDに関して多くのことが依然として明らかになってはいないが,科学はその秘密を明らかにし始めつつある。本書は悩める臨床家に対して研究がどのように救いの手を差し伸べることができるのかについて明らかにするであろう。たとえわれわれがこの障害の原因について理解し始めたばかりであるとしても,患者の見通しはこれまで考えられていたよりもはるかによいし,いくつかの精神療法は有効性が立証されているのである。治療は難しいかもしれないが,何が有効であるのか(そして何が有効でないのか)に関して,われわれは昔よりも遙かに多くのことを知っているのである。
 このように本書はエビデンスに基づいた臨床を重視しているという点において他の多くの書物とは異なっている。私はこのアプローチに深く傾倒している。BPDについてこれまで書かれた著作の多くは,臨床的見解に基づいたものであった。しかしどれほど長く臨床をしてきたとしても,個人的な経験を一般化できる可能性は,その臨床家が診た患者と,個人的な先入観によって制限される。これらのバイアスこそ研究が修正するものである。
 精神障害に対する治療は,実証的知見に基づいたものであるべきだという意見に対して原則的には誰もが同意する。しかし問題はたいていの場合,頼りになるだけのデータが存在していないことである。われわれは自分が今までに行ってきた臨床実践に基づいて,あるいは自分の「直感」に基づいて決断を下さざるを得ない。それでも今ではマネジメントの指針を実証的データに基づいたものにするに足るだけの,厳密な研究がなされているのである。
 私はこれらの指針を説明するために,BPD患者の症例エピソードを提示している。私は治療に対する自分のアプローチについても説明している。しかしながら介入の一つひとつをエビデンスに基づいて書くような形で,BPDの治療に関する書物を書くのは不可能である。私が述べねばならないことのいくつかは,どうしても自分の経験に基づいたものになっていることだろう。他方で私が推奨することのすべては,少なくとも現在得られる実証的エビデンスと整合的なものであろう。
 私はBPD の治療を主題として,これまでに刊行された多くの書物に言及している。それぞれの書物から私は多くを学んできた。しかしながら研究の知見や臨床治験は,しばしばある一つの治療法を裏づけるために用いられてきたのである。それとは対照的に,本書はすべての有効な治療の本質的要素を引き出したものである。
 このように私は自分を何らかの「学派」と結びつけるのを避けている。私は認知療法的見方であれ精神分析的見方であれ,何らかの一つの見方に対して過度に忠誠を尽くすのは,患者を理解する上で妨げとなると常々考えてきた。その代わりに私はたとえどのような見解であろうと,科学的知識が基盤にある見解,そして臨床的に最も道理にかなっている見解に依拠する。
 研究をどのように臨床実践へとつなげることができるかを示すために,それぞれの章には最後に箇条書きにされた欄がついている。それらはさまざまな実証的知見の治療に対する関わりについて概説したものである。BPDの治療をたやすくすることは私にはできない。しかし私はどのようにすればBPDの治療を道理にかなったものにすることができるかを説明するつもりである。

本書はどのように構成されているか

 本書は3部に分かれる。第T部はBPD を定義すること,そして患者の特徴について述べることにまつわるさまざまな問題に焦点を当てる。第1章はDSMの定義の中にあるさまざまな問題について概説する:BPDの診断をより特異的なものにすることにより,治療をより特異的に行うことができるようになるであろう。第2章はBPDが「本当は」うつ病,統合失調症,あるいは外傷後ストレス障害といった,何らかの他の疾患の一種なのかどうかを解明するために,BPDの境界について検討する。それはBPDが双極スペクトラムの中に含まれるという,目下のところ有力な見解に対して詳細な批判を提示している。第3章は小児期および青年期におけるBPDの発達について概説し,この障害の前兆となるような特性を明らかにするような研究の方向性について述べる。
 第U部はBPDの病因に関する研究について概説する。第4章ではこの障害と関連した生物学的,心理的,そして社会的リスク要因について概説している。第5章ではこれらすべてのリスク要因を結びつけるような統合的モデルを提示する。
 第V部は治療に関する研究について概説し,推奨されるマネジメントの方法について述べる。第6章ではBPD患者の長期転帰に関するデータについて概説し,それらのデータが治療に与える影響について説明する。BPD患者の大半は回復することを示した,大規模なプロスペクティヴ研究から得られた新たな(そして心強い)知見が存在している。それはわれわれが治療をそれに沿うような形で構築していくことができるような枠組みである。第7章ではBPDの薬物治療に関するデータについて批判的に検討している。それは現在期待が寄せられているさまざまな薬物の効果には,臨床治験による裏づけが得られていないこと,そして大半の患者は過剰投薬を受けていることを示唆している。第8章では精神療法の有効性を裏づけるようなエビデンスについて検討している。お話し療法は治療の中心である:非常に多くのデータがこの結論を支持している。しかしBPDを引き起こす原因が一つだけではないのとまったく同じように,治療を行う方法は一つだけではない。今ではこれらの患者に対して特異的に考案された,いくつかの治療法が研究によって裏づけられているのである。第9章ではこのエビデンスと整合性をもつような,総合的なマネジメントが推奨されている。第10章では患者にとって最も役立つのはどのような治療的介入なのかについて論じている。第11章ではBPDに対する治療を行う中で持ち上がる,特殊な問題を取り扱うさまざまな方法について提案している。第12章では自殺傾向をうまく取り扱うことと関連したいくつかの厄介な臨床的問題に取り組み,患者を入院させるかどうかについて考える。最後に第13章ではわれわれがBPDについて知っていることと知らないでいることについて検討し,どのような研究がこれから必要とされているか,そしてそのような知識がBPDの治療をどのようにしてさらに明確なものにする可能性があるかについて述べる。