本書は子育てのマニュアル本ではない。子育てをしている人をいかに支援していくかという支援者のためのガイドブックである。なかでも,ある種の「逆境」の最中にあって子育てがさまざまな理由からうまくいかない人,もしくは子育てそのものが「逆境」になってしまっている人への支援のあり方に焦点を当てて,本書は書かれてある。
 そもそも〈子どもを育む〉ということは,子どもに愛情を注いでいくことを基本にしていることは誰も否定はしないだろう。しかし,その当たり前の前提が,貧困や親権をめぐる紛争,離婚といった問題があり,そのような苦しい状況のなかで子育てを行なわねばならないとするならばどうであろうか。あるいは,子どもの側,もしくは親の側に障害があったり,実の親ではなく,里親のもとや施設で子どもを育てていかねばならない境遇に置かれた場合でも,通常と変わらない子育てが果たしてできるものなのだろうか。子育ては子どもに愛情を注ぐこと,言い換えれば,子どもとの情の通じ合いが重要なことは疑いもないと受け止めはできるものの,それができない,あるいはできなくなったケースはどうすればいいのだろうか。実際には,親(養育者)と子が互いに思いが届かず,関係が破綻の一途をたどるケースも臨床の現場ではしばしば見受けられる。そんな親子へのかかわりや支援をする際,「子育ては愛情!」「情の通じ合いを大切にしよう」といったことを主張してもなかなか通用しないし,相手に響かない。その場合,逆境を逆境として理解してくれている支援者の“子育て技術”が求められているように思える。
 ただ,子育てについての技術と聞くと,人間的なぬくもりに欠け,どこか小手先だけの殺風景な親子のかかわりという印象を受ける人も多いかもしれない。しかし,本書で言うところの“子育て技術”とは,逆境のなかで苦悩する親(養育者)が手持ちの力を精一杯発揮し,できるところから手をつけ,できるところを少しずつでも増やしていき,そうすることで逆境をひとまず乗り越えていけるように手助けする工夫でありコツなのである。その意味で,本書は一般的な子育てのマニュアル本とは大きく異なる。
 さて,本書の構成について述べておきたい。本書は大きく5部構成になっている。
 第1部では,編著者である筆者が,総論的な位置づけとして,逆境を乗り越える子育てとその支援について執筆した。現代の子育てがどのような状況のなかで行なわれているのかなど,まさに親子が直面しやすい逆境について取り上げた。そして,そのような逆境を生き抜くための方策として,“レジリエンス(resilience)”という視点から支援のあり方を論じた。
 第2部では,「発達障害と子育て技術」をテーマとし,神尾陽子氏が乳幼児期の発達障害をもつ子どもに対する親の子育て支援を,篁倫子氏が学童期から思春期の発達障害をもつ子どもに対する親の子育て支援をそれぞれ執筆した。
 神尾氏は,子育て支援と発達障害支援のあり方について取り上げ,「その対象に重複する部分は大きいにもかかわらず,日本の縦割支援システムにおいては部署が違っていたり,専門家の訓練のバックグラウンドが異なっていたりするため,必ずしも十分とは言えない実態がある」と問題提起し,支援のあり方を再考する必要性を主張する。また,知的に遅れがない子どもの場合の相談では発達障害に気づいて診断を受けるのが遅れたりすることも多く,親も自分の育て方がよくないのではないかと思って相談につながらないことが多い。その際,子育て支援だけではなく,発達検査を実施してみるなどの発達障害支援も併行して行なうことが今後はますます必要であると指摘している。このような子育て支援と発達障害支援が表裏一体をなすべきだとの神尾氏の主張には感銘するところが多い。
 また,篁氏は,親への基本的な支援のスタンスは同じであっても,発達に伴って現れてくる課題が違ってくるため,より適切な親への具体的な支援が必要と論じている。そのようななかで,親がわが子の障害を認めたくないという場合などもあり,親支援がなかなか届かないことを挙げている。篁氏は,「親への支援を諦めない能動性と熟する時を待つ忍耐力」が支援者に求められると指摘している。そして,支援の際に心がけたいこととして,「親が求める支援と支援者側が必要とする支援は全面的に一致しない。しかし,専門家が専門家たる所以は,その2つを,子どもと親の情況を踏まえながら,上手に織り込んで提供していくことではないか」と主張している。この言葉に,子育て支援や発達障害支援の真髄があるように感じる。
 筆者も第2部で,子どもが発達障害である場合ではなく,親自身に発達障害がある場合の子育て支援について執筆した。発達障害のある子どもの子育てについては数多くの研究や書籍が見られるものの,親が発達障害である場合の子育てについての研究はまだ少ない。しかし,臨床現場ではこのような親が子育てに苦労されているのをしばしば見かける。しかもこのようなケースに限って,適切な助言や支援が得られないだけでなく,「変わった育て方をする親だ」「偏屈な親だ」などと間違った理解や認知をされていることも少なくない。今後の支援の一助になればと願い,このセクションを書き上げた。
 さらに,この第2部では,教育の観点からも教育者である小川聡太氏と冨樫敏彦氏が執筆をした。
 小川氏は特別支援コーディネーターとしての立場から,小学生・中学生段階の発達障害児の学校生活支援について執筆した。小川氏は,学校や教員の対象児童・生徒へのかかわりが保護者の意識を変えたり,子どもとのかかわりそのものの改善につながると言い,次のような具体的なエピソードを紹介している。集中力のない生徒に「プリント1枚を離席せずに取り組む」という課題を与え,それが効果を生んだことから,家でも「テレビを消して10分間以上宿題に取り組む」という課題を与えた。それを契機に,母親から「それまでは家ではずっとテレビが点いている状態で,それにどうしても気を取られてしまっていた。私自身が良い手本になっていなかったかも」という反省の言葉が聞かれたとのことであった。ここでの支援の技術は,小川氏の日々のかかわりの様子が随所に見えてくるものである。
 そして,冨樫氏は発達障害の高校生をもつ保護者への支援についてのセクションを担当した。冨樫氏は徳島県立みなと高等学園という発達障害のある生徒だけしか入学できない特別支援学校高等部の初代校長を務められた。その経験を踏まえ,発達障害の高校生を育てる保護者の苦悩や不安に学校としていかに支援をしていくのかということが論文の骨子となっている。そこには,「親が7分で子が3分」「子育ての基本スタンスは勇気づけ」「ボトムアップからトップダウンへの子育て観の転換」「一家の将来設計」というように,保護者の視点といかにピントを合わせ,ポイントを押さえた支援をしていくのかが,これらの言葉に如実に示されている。
 第2部の最後に,発達障害の子どもをもつ親の立場から,LD親の会の設立から運営に尽力されてきた内藤孝子氏が執筆した。内藤氏は,発達障害をもつ子どもの親同士が互いに助け合い,支え合うことの重要性を協調している。その積極的な活動がネットワークを広げ,社会の発達障害という理解を促進させ,しかも発達障害についてのさまざまな法律を成立させる原動力にもなっている。その経緯が本論文には紹介されているが,子育てに苦しむ親同士が助け合い支え合うだけではなく,ムーブメントを起こしてよりよい社会を創り出していることが,内藤氏の論文を読むと理解できる。いかに親がいきいきと豊かに生きることが子どもにとっても大切かを改めて感じさせられるであろう。
 第3部では「児童虐待と子育て技術」というテーマで,相原加苗氏と津崎哲郎氏と筆者がそれぞれ執筆した。
 相原氏は虐待をしてしまう保護者の支援について,C・H・ケンプの虐待の発生機序を取り上げながら述べている。そこでは,保護者と誰がいかにつながるのかが大きなポイントとなり,虐待を受けた子どものケアは虐待をしてしまう親のケアと同時進行するものであるという認識に立つことが必要であると論じている。虐待をしてしまう親への支援はなかなか困難がつきまとうものであるが,その支援のコツがここに読み取れるであろう。
 津崎氏は自らも里親となっている経験もあり,里親の子育て支援のすばらしさと,その苦悩や難しさがリアリティをもって論じられている。そして,「親子分離体験」と「見捨てられ感情」の2つが重要なポイントであると指摘し,それを里親としてどう乗り切っていくのかが子育ての大きな山場となると論じている。さらに,里親として引き取った当初の子育ての難しさとともに,里子が思春期となったときの揺れにどう里親として向き合うのかについても触れている。里親制度を広めていくためには,「他人事を自分事につなげて個々の子どもの尊大やその成長を考える」ことにあると津崎氏は主張するが,この核心に迫る説得力ある言葉が読者にも伝わるはずである。
 そして,第3部の最後に,筆者が紛争中の両親による子育ての支援について論じた。夫婦間での紛争が絶えないと,子育てがうまくいかないばかりか,子どももその紛争に巻き込まれて精神的に追い詰められてしまう。それが婚姻中だけではなく,離婚後にも継続されることも珍しいことではない。なかでも,別居している親と子どもが会う面会交流においては,「会わせる/会わせない」といったように両親の意見が真っ向から対立し,紛争が激化しやすい。しかし,そのような面会交流が少しでも円滑にいくように支援をしていくと,それを通じて親自身も成長していく。親子が一旦は別離したにもかかわらず,面会交流を通じて親子の再構築がなされていくのである。そのようなプロセスを振り返りながら,その時々の支援のあり方を記した。
 第4部「問題行動と子育て技術」のテーマにおいては,非行臨床と子育て支援については村尾泰弘氏が,児童福祉施設における子育て支援については楢原真也氏が,いじめに直面する親の支援については伊藤亜矢子氏が,自己破壊行動に直面する親の支援については森省二氏が執筆した。いずれも難しい状況に直面させられた親の子育ての苦悩と支援の難しさが論じられている。
 まず村尾氏は,非行臨床における子育て支援において,ダブルロールを手がかりに論じている。非行少年は「加害者であるにもかかわらず被害者意識が強い」という,いわば逆説的な存在である一方,「行動規制を課しつつも自己決定を重んじる」という逆説性もまた存在すると述べ,そこに非行臨床ならではの妙味があると主張している。
 楢原氏は,子育てにおける技術とは,小手先のもの,うわべだけのものとは違うとし,技術とはそれを用いる“人”のあり方と不可分であるとしている。そして,施設職員は子育てのプロフェッショナルとして,時に先人に学び,時に専門的な知見を取り入れ,自分自身の器を広げていく努力が求められると語っている。本論文では,楢原氏が施設で勤務された経験をもとに,ある男子高校生とのかかわりが見事に描かれている。施設での子育て支援のエッセンスがここから伝わってくる。
 伊藤氏は,いじめに関与した被害者あるいは加害者となった子どもの保護者への支援について論じている。支援者は学校という組織をバックアップしていかねばならず,そこには中立性や客観性が求められる。しかし,下手をするとどちらかに肩入れをしてしまい,バランスを崩し,結果的には学校が安全・安心の場所ではなくなってしまう。保護者を含めた大人たちが解決に向けていかに協働できるかを考えることこそ,この問題においては重要である,と伊藤氏は語っている。さらに,そのような保護者への支援に必要なこととして,「事実の記録」「支援者の中立的な視点」「保護者から子どもに伝えるべきメッセージ」を指摘していることも支援者には参考になるはずである。
 森氏は,自己破壊行動の親支援について,事例とのかかわりを軸にしながら論点を適切にまとめている。しかし,それは教科書的,もしくは教条主義的なものではなく,実践に裏付けられた臨床家としてのセンスと子どもへの鋭くて優しいまなざしが随所に見受けられるものである。一例を挙げよう。子どもが何度も自傷行為を繰り返し,その傷跡を保護者が見たときのショックは,言いようもない無力感や怒り,あきらめといった複雑な心情を伴うものである。その際,親は「またか……」と呆れる態度を取ってしまいやすいが,森氏はそれはさらなる自己破壊行動を誘発しかねないと警告している。「あわてない」「過ぎ去らない嵐はない」といった当たり前だけれど,逆境に立たされると忘れてしまいがちな重要な視点がこのなかにしっかり押さえられている。
 第5部として,「子育て技術のヒント」というテーマで,11編のコラムをまとめた。「ステップファミリー」「生殖医療・代理母出産」「慢性疾患児の子育て」「聴覚障害児の子育て」「コーダとその家族への支援」「地域コミュニティの子育て」「子育て支援策としての養子縁組」「ワークライフバランス」「貧困と子育て」「子育てと社会制度」「死別という喪失体験」など,いずれも現代の子育てを考えるうえで今まさに注目を集めているテーマである。これを読むと,一昔前の子育てとは大きく事情が変わってきていることが一目瞭然にわかるが,同時にそれらの支援の複雑さや難しさも読者にはご理解いただけるはずである。
 本書は以上のような構成になっているが,読者の方には関心のあるところから読み進めていただきたい。その際に,逆境に立たされている親の立場に立って読まれたり,あるいは立場を換えて,親を支える支援者の立ち位置から読んでいただけると,より実践的な効果が得られるだろう。その意味では,子育てを支援する専門家だけではなく,子育てに苦しまれている親(養育者)や,子育てに奮闘しながらまさに逆境を生きようとしている人にも,是非とも本書を手にとってもらいたいと願っている。