『精神医療・診断の手引きDSM-Vはなぜ作られ,DSM-5 はなぜ批判されたか』

大野 裕著
四六判/190p/定価(2,400円+税)/2014年9月刊

評者 山附W資(医療法人弘徳会 愛光病院)

 18代中村勘三郎の妻,波野好江さんが綴った「中村勘三郎 最後の131日―哲明さんと生きて―」からの引用で本書の「序文」がはじまる。勘三郎さんがめまいと耳鳴りを訴えてある病院を受診したが,担当医はほとんど話を聞かないままに「うつ病です」と診断し,「もう台詞を覚えることはできないから,引退するしかない」といったという。
 その後2カ所の病院を受診したが,さまざまな診断名がつけられ,薬物療法が試みられた。最終的には奥様や家族の愛情と支え,歌舞伎への情熱,多くの友人やファンの方々の声援に支えられて不調から脱することができたという。このエピソードは,診断と治療をめぐる現代の精神医療の混乱を映し出しているものであり,著者が本書で述べようとする主題に繋がっていく。
 本書は,「第Ⅰ部DSM-Ⅲはなぜ必要とされたか」,「第Ⅱ部 DSM と過剰診断・過剰治療」,「第Ⅲ部 DSM-5 の失敗が教えること」,「第Ⅳ部今後の精神医療への展望」の4部から構成されており,米国精神医学会が抱えるさまざまな問題を浮き彫りにしていく。
 1980年に米国精神医学会が出版したDSM-Ⅲは,当時の精神科医の診断のばらつきがあまりに大きかったために精神医学の科学性が疑問視されており,多軸診断,記述的方法,明確な診断基準を採用することによって,精神医学が医学の中に踏みとどまることができた。DSM-Vが出版された直後,米国精神医学会・DSM-V検討実行委員会委員長のRobert L. Spitzerらが来日し,東京で講演会が開催された。
広い会場を埋め尽くす多くの精神科医は,「医学化を旗印に掲げたDSM-Ⅲの解説を聞いて驚くと共に,精神医学の振り子がmindless psychiatry に大きく傾き,「精神病理学が失われる」という危惧を抱いた人も少なくなかった。
 そして,DSM-Ⅲ-R(1987 年),DSM-Ⅳ(1994年),DSM-Ⅳ-TR(2000年)を経て,2013年5月にDSM-5が出版された。「第Ⅲ部」で著者はDSM-5の特徴と問題点を明確に指摘している。DSM-5作成実行チームが当初パラダイム・シフトとして目指したものは,@生物学的指標の導入,A予防概念の導入,Bディメンジョン・モデルの導入など野心的なものであった。しかし,明確な科学的根拠が十分に得られておらず,ある意味では時期尚早で中途半端な形で出版された印象がある。著者はDSM-5の問題点として,次の5つの事柄を指摘している;@米国の医療保険会社からの圧力,Aガイドライン(保険会社VS医師)の作成,B治療方針における個別性が切り落とされる可能性,C明確な科学的根拠や疫学調査がないままの作成,D過剰診断に繋がる恐れがあること。著者がとくに強調しているのは,米国精神医学会の経済的問題である。DSM-Ⅳの製作費は約5億円であったが,DSM-5のそれは約25億円に膨らみ,さらに米国精神保健研究所との確執から資金援助が見送られたことなどである。その意味で,DSM-5の版権料は米国精神医学会にとって極めて魅力的なものであり,さらにこの経済的問題は,ICDとDSMの統合にも影響を与えているという。
 ここでDSM-5の「神経発達障害群」について評者の私見も交えて述べておきたい。DSM-5に新しく登場したこの群には「自閉症スペクトラム障害(ASD)」が新設された。ASDは,@社会的コミュニケーションと社会的相互交渉(対人交流)の持続的な欠如(3項目),A行動・興味・活動の限定的で反復的なパターン(4項目中2項目以上)の2項目に統合され,この2つの項目を同時に満たす必要があるとされた。このために,広汎性発達障害(PDD)の一部がASD診断から除外され,「社会的(語用論的)コミュニケーション(SCD)」と診断される可能性が出てきた。この問題は「神経発達障害」小委員会で大議論となり,Fred Volkmar(Yale Child Study Center)が任期途中で脱退した。前述したように米国の保険会社の立場は非常に強く,独自の治療ガイドラインを持っているために,SCDと診断されると保険の対象とはならなくなる可能性が出てきたためである。多分,このような事情を背景にしてASDの診断基準には「DSM-Ⅳで,自閉性障害,アスペルガー障害,PDD-NOSと診断されている人はASDと診断されるべきである」という「注釈」が付記され,「中途半端でチグハグナ」な印象を与える結果になったのは,ある意味での妥協の産物であろう。また,著者は,「ASDの診断基準は,DSM-Ⅳの自閉性障害の診断基準よりも狭くなった」と述べているが,自閉性障害の診断が,近年,20倍にも増しているということとどう関連するのであろうか。著者が米国留学中に師事したAllen Frances(DSM-Ⅳ編集実行委員会委員長)は,安易で乱雑な臨床診断が急増の要因の一つにあると述べている(Allen Frances著,大野・中川・柳沢訳『精神疾患診断のエッセンス―DSM-5の上手な使い方』金剛出版,2014)。
 このような理由から「拙速である」という批判もあるDSM-5が出版されると,マニュアル化された臨床家は,わき目も振らずにDSM-5に過大に依存し,「精神療法的視点」を見失うことになる。このような事情は,発達障害の人々の療育や教育に携わる人々においても同様であり,まさに表面的で形式的なかかわりに陥っているのではなかろうか。発達障害の人の全体像を把握せずに,断片的に「見つけた」行動がいくつあったのかで臨床診断を下してしまう。まさに「樹を見て,森を見ず」である。「第W部」で著者は,「精神医療は……現代の医学モデルから一歩進んで,人を診ることを重視しなくてはならない」と強調し,「こころの健康を実現する環境」作りに向けてのさまざまな提言を行い,実践を試みている。
 本書の「あとがき」に「精神療法の恩師である小此木啓吾先生には深夜1時,2時に自宅で直接指導をして頂いた」とある。今や認知行動療法家として著名な著者の若かりし頃の「精神分析的精神療法」修業時代を想像すると,冒頭に「中村勘三郎さん」のエピソードを書いた意図が繋がってくる。
 精神医療にかかわる方やDSM-5を利用する機会の多い方は,本書を是非通読して頂きたいし,未だに「未完成品」であるDSM-5を鵜呑みにせず,米国精神医学会のさまざまな背景をも読み取りながら,「人を診る」日常の臨床に専念して頂きたいと切に願う次第である。