かつて私は、村瀬先生の著書を拝読して非常に感銘を受けた。村瀬先生のような臨床ができるようにならないだろうか。だが、丹念に読んでもどうしても分からないことが、いくつもあった。いろいろな場面で、瞬時に、このように人を理解することなど、どうしたらできるのか、なおかつ、時を待たず、治療的な言葉や行動を発することができるのか、など、たくさんの疑問を抱いていた。そんな時に、金剛出版の立石正信さんから、対談のお話をいただいた。ずいぶん迷った。お話を伺うには、私がしっかりとした自分というものをもっていないといけない。私にお話を伺うだけの自分があるか。が、迷った末に、是非とも直接にお話を伺いたいという探求心という名の誘惑が勝り、対談に至ったのである。
 村瀬先生のご自宅での対談は、今でもありありと目に浮かぶ。私は素朴な疑問を先生にぶつけ、言動が考え抜かれた結果のものであることを知った。改めて私ももっと自分の頭で考え抜かなければと思った。村瀬先生は、臨床心理学にとどまらず、文学、芸術、科学、経済、社会などに広く関心を持ち、日頃から考えておられる。だからこそ、瞬時に、多角的に考え抜き、間髪入れずの言葉と行動となることが可能になっていたのである。
 本書は、村瀬先生のご著書を読む際にその理解を進め、深めるために打ち込む楔となると感じている。対談を通して私は多くのことを学んだ。それは私の大切な宝物である。最近でも、自分の考えたことを話していて、ふと「あれ、これは村瀬先生から学んだことだな」と思うことがある。
 だが、無論それだけではない。時間を経る中で、私の中に刻み込まれていた村瀬先生からの示唆に、私の経験が加わり、考えもがいている中で、変容しているものがあることにも気付いた。《村瀬先生+青木》→《村瀬先生でもない・元々の青木でもない「何か」》に変わっているのに気づいたのである。真に学ぶとは、こういう体験を言うのではないか。本書には、読んではっと気づくという即効性もあるが、時間の中で熟成し自分がいくらか変わるという遅効性もある。
 対談のなかには、随所にキラっと輝く宝石のような村瀬先生の言葉や話が現れてくる。それだけでなく、臨床の雰囲気や香りが感じられる。楽しみながら、お読みいただき、何かを得ていただければ喜びである。

 なお、本書は、二〇〇〇年刊『心理療法の基本』と、二〇〇四年刊『心理療法とは何か』を合本したものである。全八回、二〇時間近い対談の記録であり、かけがえのない一回限りのものでもある。対談を一冊にまとめて残すことを企画いただいた立石正信さんに改めて感謝申し上げる。

平成二六年八月
青木省三