『心理療法の基本[完全版]−日常臨床のための提言』

村瀬嘉代子,青木省三著
四六判/368p/定価(3,600円+税)/2014年12月刊

評者 原田誠一(原田メンタルクリニック・東京認知行動療法研究所)

 知情意の各面において真に類いなき資質に恵まれた,とびきり優れた極めつけの女性が,やはり当代きっての優れた,そして主人公の女性に対して一方ならぬ尊敬〜敬愛の念を抱いている男性との出会い〜対話を通して生まれた「人類の世界遺産」とも称すべき,すこぶるつきの名作は?……このような質問から,読者諸賢はどのような書物を思い浮かべられますか。
 恐らく,皆さまの頭に浮かんだ答えの候補の中に,あの『源氏物語』が入っているのではないかと想像しますが,如何でしょう。ご存知のように『源氏物語』の成立には藤原道長が深く関与していて,「紫式部と道長の共作」と称されることがあるくらいです。
 評者が本書を読んで抱いた感想を一言で述べるとすると,「この豊穣きわまる対話の書は,ちょうど千年の時を経て我が国に生まれた比類なき宝,現代版・源氏物語だ!」という,すこぶる唐突な内容となる。
 こうした妄言を思わず呟きたくなるほど,「紫式部〜源氏物語」と「村瀬嘉代子先生〜本書」には共通点が多々みられる。その内実を少しだけ記すと,「幼少の時から,抜群の知性とこころ優しいたおやかな資質で瞠目されていた名門出身の女性が,感受性豊かな娘時代を北陸の地で過ごし,結婚して子どもに恵まれたものの病で夫を失い,その後当代きっての男性と出会って稀代の傑作が生まれた」「その豊穣きわまる作品世界では,ものの哀れが通奏低音として流れていて(たとえば,村瀬先生は「人間は宇宙の塵」と仰る),主題の一つが時間であり,典雅で精妙な人情の機微が惜しみなく描かれており,その語り口は(無粋で露骨な表現を避けて)あくまで優雅で奥ゆかしい」。
 わたしは本書を読み進めながら,「本書と源氏物語には,本質的な類似点が実に多いなあ。前者にあって後者にないのは心理療法に関する学問の話,前者になくて後者にあるのは男女の色恋の話,くらいなものだろうか」という感想を抱いた。
 『源氏物語』の場合と同じように,本書の魅力にはさまざまな側面がある。臨床の知がふんだんにまばゆく散りばめられている超絶風景の妙はもちろんのこと,村瀬先生の語り口がまた素晴らしい。実によどみなく語りが進む様に驚嘆させられるし,時に入る「何と申しましょう」という科白の前後がまた絶妙なのですね。往年の野球の名解説者・小西徳郎(=古いねえ!)とテレビ「大改造! ビフォーアフター」(=卑俗だねえ!)の決め科白を合わせたようなこの名独白が出てくると,読者の注意が村瀬先生の思考の動きにピンポイントでフォーカスされ,村瀬先生の発想の流れを生き生き追体験するという,贅沢で貴重な経験を味わうことができるのである。対談を読む快楽,ここに極まれり,と称すべきであろう。
 加えて特筆されるのが,村瀬先生の臨床〜スーパービジョンにおける方針〜姿勢が,青木先生との関係においてもそのまま再現されていること。村瀬先生の臨床〜スーパービジョンでの方針は,「相手の主体性を尊重するためにも,極力自分がでしゃばり過ぎることなく,控えめに相手の気づきを促せるようやんわりと接する」やり方であるが,それがそのまま青木先生との対話でも見事に実現されているのだ。お二人の対話を通して,村瀬先生の臨床〜スーパービジョンのスタイルを生中継でつぶさに体験して味わうことができるところが,実に得難い経験となる。
評者は,本書を読み進めながら村瀬先生の語りに圧倒され,ぐいぐい魅了されていく自分を意識しながら,源氏物語に関する次の対談内容を思い出したりした。

大野晋:紫式部は漢文がよく読めるもんだから,……いってみれば,ギリシア語もラテン語も中国語もちゃんと読めて書けちゃうような,そういう人です。非常に誇り高き女の人であると思う。……
丸谷才一:道長という人は,漢学ができなかった人でしょう?
大野:あんまり得意じゃないでしょう。

:ほら,よくそういう人っているじゃないですか。あんまり学問ができない男で,学問が好きな女が好きだという……。(笑)
(大野晋・丸谷才一『光る源氏の物語』中央公論社)

 ……学問ができない評者は,わたしは道長と同じような塩梅なのだなあ,と微苦笑して納得し,同好の士・道長に共感のエールを送った次第です。
 ちなみに本書では,精神分析や認知行動療法への評価〜感想は概して芳しくないようだ。しかるにここで,あえて精神分析〜認知行動療法的な考察を少しだけ書かせていただきます。恐らくは下種の勘繰りの類なのでしょうが,書評を書くという機会に乗じて,盲蛇におじず,余計なツッコミを入れさせていただくことにした。
 全365頁わたる長丁場の対話を,評者は一貫してスムーズに読み進むことができたが,村瀬先生のご発言で一箇所だけ例外のところがあった。お話の中で,村瀬先生が(この対談とは関係のない,日常生活において体験なさった)他者評価にまつわるテーマに言及された際に,ご発言内容に不連続なところ〜言いよどんで語られない部分の存在を感知して,少々怪訝に感じたのである。そして,(我が業界人の悪癖であろうが)「恐らくはここに村瀬先生の抑圧がみられるようで,あの村瀬先生にして少々硬いところが残っておられるとすれば,この“他者からの評価の扱い方”というテーマなのではないかしら」と憶測した。そしてこの推測を頭の片隅に置いて読み進めたところ,自分の憶測を傍証するように感じられる箇所と接する機会があり,一方で推測を否定するところには出会わなかった。
 この事態を(精神分析に疎い素人が,こうした感想を記すのは恐縮至極だが)精神分析的に申し上げるとすると,「“他者からの評価の受け止め方”をめぐる葛藤という脚本が繰り返し演じられてきた……こういう内容に,あるいは心当たりがおありではないでしょうか」。
 さらに認知行動療法的にコメントさせていただくと,「肯定的な他者からの評価に関する現在の禁欲的なお考えは大層お見事〜ご立派であり,その必要性があったことについても,自分なりに良くわかる気がします。しかるに,他者評価に関する感じ方の幅を少し広げて,肩の力を少々緩めてみるというのは如何でしょうか。もしかすると現在のありようは,先生の臨床やスーパービジョンに,何らかの影響を与えているかもしれません。他者評価に関するお気持ちをもう少しほぐすことで(例:肯定的な他者からの評価を能天気に味わい,呑気に楽しんでも,いいじゃないの!),統合的心理療法がさらに伸びやかになるかもしれませんね」。私見では,かつて神田橋先生が仰った内容「嘉代子先生は無邪気な残酷ですね」(村瀬嘉代子『心理臨床という営み』金剛出版)と,この憶測に一脈通じるところがあると思っています。
 ……ここまで記してきて改めて痛感するのは,「評価される/評価する」というテーマは,評者自身を含めたすべての人間にとってすこぶる切実で微妙な内容であるため,誰でも大なり小なりピリピリしがちであり,精神療法に携わる者にとって特にその意味がとても大きいという事実だ。とすると,ここから得られる教訓の一つは,「各人が“自分の内なる無邪気な残酷”をしっかり観察〜認識して味わい,丁寧に日々の生活を送ることが肝要だ」となるだろう。改めて,抜群の教育効果を持つ本書への感謝を実感して,感嘆のため息をついて感慨にふけっているところである。
 実に懼れ多い内容を書いてしまった上での図々しい要望で恐縮ですが,是非対話の続編を期待したいのです。まだ本書で語り尽くされていないテーマが残っているので,そうした内容における村瀬先生の語りを是非伺ってみたい。続編は,(ある意味で)『源氏物語』の白眉・宇治十帖になること間違いなし,と感じています。