このワークブックは,アメリカの伝統する依存症治療施設「ヘーゼルデン・センターHazelden Center」の出版部門から刊行されている,『Co-occurring Disorder Series』(重複障害シリーズ)の一冊,『Understanding Schizophrenia and Addiction 2nd ed.』(D.C.Daley & K.A. Montrose著)の全訳です。すでに同シリーズからは,解離性障害と依存症の重複障害を対象としたものの訳書(スコット・A.ウィンター著,小林桜児・松本俊彦訳『解離性障害とアルコール・薬物依存症を理解するためのセルフ・ワークブック』金剛出版,2011)が刊行されているので,同シリーズの日本語版としては2冊目となります。
 著書らが本ワークブックの利用者として想定しているのは,アルコールや薬物の問題を抱える統合失調症の患者さんです。わが国の場合,そのような患者さんとしては,覚せい剤や大麻,あるいは危険ドラッグなどによる中毒性精神病に罹患する人が当てはまると思います。そのような患者さんは,一方で,幻覚・妄想などの精神病症状の治療が必要ですが,他方で,「脳や身体によくないとわかっちゃいるけど,クスリをやめられない」という薬物依存症の治療も必要です。
 実はわが国では,こういった重複障害の患者さんが適切な治療サービスを受けるのが容易ではありません。多くの場合は,統合失調症の治療を行う一般の精神科医療機関を訪れれば,「あなたは薬物問題を抱えているから,うちでは治療できません。依存症の専門病院に行って下さい」といわれ,専門病院に行くと,今度は,「うちの治療プログラムはあなたには合いません」といわれてしまいます。もちろん,なかにはがんばって専門病院の治療プログラムに参加する患者もいますが,いざ参加しても,幻覚や妄想などの影響で思考が混乱しやすく,プログラムについていけないといった事態も多々あります。結果的に,統合失調症と依存症という,二つの専門機関のはざまで,患者さんが路頭に迷うといったことに陥りやすいのです。
 援助者のなかでも誤解している人がいますが,統合失調症に罹患している人は,一般の人たちに比べて,アルコールや薬物の依存症に陥りやすいという特徴があります。というのも,患者さんのなかには,誤った「自己治療」としてこれらの精神作用物質を用いる人がいるからです。個人差はありますが,アルコールを大量に飲んだり,大麻を摂取したりすると,幻聴や妄想が引き起こす不安やイライラ,焦りが一時的に鎮まるという体験をする人がいます。また,覚せい剤を摂取すると,「意欲がわかない」とか,「疲れやすくて何事も億劫」といった抑うつ症状や,「自分が自分でない感じがする」といった離人症状が一時的に軽減したように感じる人もいます。
 しかし,こうした「自己治療」は,長期的にはさまざまな無視できない弊害を引き起こします。アルコール・薬物による「自己治療」の効果はしょせん一時的なものでしかなく,長期的には幻聴や妄想,あるいは意欲低下などの症状を悪化させてしまうからです。それだけではありません。アルコール・薬物による「自己治療」をしている統合失調症の患者さんは,アルコール・薬物使用のない患者さんと比べて,治療中断率や再入院率が高く,自傷・自殺や暴力的な行動におよぶ危険が非常に高いのです。
 かねてより私は,わが国の精神科医療・精神保健領域の援助者は,統合失調症患者さんの「自己治療」と重複障害の問題にもっと強い関心を持つべきであると考えてきました。というのも,この問題は実にありふれた問題だからです。注意深い援助者ならばとうの昔にお気づきでしょうが,統合失調症患者さんの多くが,「自己治療」的に精神作用物質を使用しています―隠れて寝酒を続けている患者さん,あるいは,毎日大量のコーヒーとタバコを消費している患者さんなどがそうです。もしかするとそういった患者さんは,幻聴が引き起こす不安や不眠をやわらげるために,中枢抑制薬であるアルコールを用い,意欲低下や疲れやすさ,離人感を改善しようとして,弱い中枢刺激薬であるカフェインやニコチンを用いているのかもしれません。
 もしもそのような患者さんのなかで,いろいろと治療やかかわり方を工夫しているにもかかわらず,なかなか病状が安定しない人がいたならば,その原因の一つとして,身近な精神作用物質の影響を考えてみる必要があります。その場合には,必要に応じて,ぜひこのワークブックを使って患者さんにかかわってみて下さい。ワークブックの中身は,症状のせいで思考力が制限されている統合失調症患者さんを意識して,非常に平易に書かれています。このワークブックを用いて患者さんと一緒にアルコール・薬物問題について考えてみるのは,患者さん自身にメリットがあるだけでなく,援助者自身の「引き出し」を増やすのに役立つことでしょう。
 最後に,本ワークブック訳出の経緯に触れておきます。訳出作業の出発点は,藤井さやか先生(現在,東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻精神医学分野在籍)が,国立精神・神経医療研究センター病院精神科レジデント時代に,診療業務の合間にコツコツと訳出し始めたところに遡ります。その意味で,本ワークブックは,藤井先生の熱意がなければ,陽の目を見ることはなかったといえるでしょう。その後,訳書刊行の話が具体化するなかで,同センター病院精神科医師の市川亮先生もその訳出作業に参加してくださいました。最終的な文体や訳語の統一は藤井先生が行い,私は,監修者として,お二人の訳者の作業を応援させていただきました。なお,今回の訳出にあたっては,いつものように,金剛出版社長立石正信さまに大いなるご尽力をいただきました。私の多忙と怠惰により,はからずも長い時間を要する仕事となってしまったことについて,この場を借りてお詫びいたします。

2014年9月7日
松本俊彦