『村瀬嘉代子のスーパービジョン−事例研究から学ぶ統合的心理療法』

奥村茉莉子,統合的心理療法研究会編
A5判/230p/定価(3,200円+税)/2015年3月刊

評者 伊藤 翼(横浜市立大学医学部医学科精神医学教室)

 本書は,多様な領域で働く臨床家たちが,長年の村瀬氏の研究会で積み重ねてきた心理臨床の知恵と工夫を集大成したものであると言えよう。村瀬氏の研究会では,既存の教育課程や書物,理論だけでは得ることが難しい,多様な臨床の現場主義に基づく帰納的アプローチが重視されている。
 臨床心理学にはアカデミックな要素が含まれ,学問としてある種の真理や理想の探究がなされ,理論や枠組みが生まれてきた。それらが有用であることは言うまでもないが,臨床家が自らの拠って立つ理論や専門という色眼鏡をかけていることを自覚せずにいると,ひとつの理論で人や物事のすべてを理解できると思い込んだり,目の前の現実的な事柄を見落としたり,偏った見方をしていることに気づけなかったりすることがあるようだ。
 人のこころにアプローチする対人援助職は,内面に直接アプローチできる,あるいはそれが自分たちの専門性であると思い込み,相談者が生きる現実的な環境や問題を差し置いてしまいがちである。専門家という色眼鏡のために,自分の感覚と世間一般の感覚との間にズレが生じていることになかなか気づけなくなる。これは専門家側の社会性のなさとして外の世界から指摘されるところであろう。
 セラピストとクライエントといった関係性の理解も重要だが,それ以前に,社会に生きる者同士が一人の人として向き合っているという関係性が専門性の基盤にあることを忘れてはいけない。専門家としてどうかという前に,自らを社会一般の価値観や常識に照らし合わせ,人としてどうあるべきかを吟味し,自らの専門の世界における原理原則を疑い続ける目が現場の臨床の知には必要であろう。
 本書では,村瀬氏の研究会に参加した臨床家たちが,それぞれの臨床場面で行き詰まった事例に関して,村瀬氏から指導を受け,自らの臨床スタイルをどのように確立したかを書き記している。そこに示される村瀬氏の言葉はシンプルであり,現実的かつ普遍的で,各臨床家が自分の力で課題や問題に気づけるような示唆を含む。臨床場面で行き詰まり,困難な状況にある臨床家にとっては,さながら霧を晴らす魔法のような言葉に思えるのであろう。
 時代の変化とともに,社会の価値観や人が抱える問題も多様化し,従来の臨床心理学的枠組みでは対応できないことが増えている。これからの臨床家はさまざまな知や経験を身につけ,自らをよく知り,相談者のニーズや現実を中心に据えて,柔軟かつ現実的に動くことがますます求められるであろう。多様な臨床現場を知らずに理想ばかり語る者はいつまでたってもレディメイドのままである。理想と現実,あるいは抽象と具象の循環の中でバランスをとり,臨床家にとっても相談者にとってもテーラーメイドを目指す必要があるのではないだろうか。村瀬氏の思いが研究会に参加した臨床家たちに伝わったように,本書を読むことで読者にもその一端が伝わることを私は願う。