スタートレックの映画やテレビシリーズに馴染みのある人ならば,有名な登場人物であるミスター・スポックが不機嫌な表情をする時は(ヴァルカン人ではなく)人間の感情を表していることをよく知っているだろう。しかし,あなたがサイエンスフィクションのファンでなくても,感情が人間的な側面を表していることを理解できるはずだ。哲学者,預言者,神学者,そして今では心理学者や精神科医が,感情は人間の「魂」であるとみなしている。感情には2つの側面がある。すなわち,私たちは喜びや共感によって気分が高揚するが,恐怖や罪責感,そしておそらくほとんどの場合,悲哀感や抑うつ感によって圧倒されてしまう。いつも肯定的で快適な感情だけを抱いていることを期待するのは非現実的だろう。実際,こういった幻想を抱くと,否定的な感情の持つ重要な機能を失ってしまう。また,他の人々よりも強烈な否定的な感情を抱く人もいる。苦痛に満ちた感情があまりにもしばしば襲ってきて,気分が落ちこんでしまい,これが「正常」の状況であるとか,なんとか耐えられるなどとはとても思えないこともあるだろう。そして,仕事への関心もなくし,決断を下すのも難しくなってしまう。対人関係や全般的な生活の質にも悪影響が出てくる。何か月間も何年間も容赦ない気分の落ちこみに見舞われると,人生への満足度も下がり,健康の問題も出てくる。このパターンがある程度長期間続くと,気分がさらに落ちこんでいくことになりかねない。
 何もこのように落ちこむ必要はない。たしかに,他の人よりも気分が落ちこみやすい人がいる。しかし,忍び寄りつつあるうつ病に何の手立てもないというのは,さまざまな理由から,気分の落ちこみを治す能力に欠けているからなのである。ごく普通の悲しみが自然経過をとっていき,あまり傷つかずに,それをうまく受け流していくだけの回復力を私たちは持っていない。また,打撃の影響を必要以上に強くもたらしてしまうことに対する防御力を欠いている。ただし,幸いなことに,気分を改善させる方法を学ぶことは可能である。感情を統御することは可能であるという多くの客観的証拠がある。感情の統御に関する研究は,社会行動科学においてもっとも関心を払われている新たな研究領域のひとつである。心理学者たちは肯定的な感情や否定的な感情をコントロールする能力に関して多くの発見をし,気分のコントロールにもっとも有効な,そしてもっとも有効でない戦略についても明らかにしてきた。
 あなたがほとんどの時間気分がふさぎ,こういった感情から何とか抜け出そうとしたもののうまくいかず,常に気分の落ちこみで身動きが取れなくなっているのであれば,抑うつを減らし,幸福感や喜びといった肯定的な感情を改善させるための80の戦略を本書は提示する。これらの戦略は感情統御や認知行動療法といった新たな科学に基づいている。以後の章では,あなたは悲しみの性質についてのいくつかの興味深い事実を学び,それを活用できるようになる。多くの人がある種の気分改善あるいは気分高揚戦略を自動的に用いているのに,あなたにはどうしてそれができないのだろうか,そしてあなたもそれを身につけることができるということも学ぶだろう。気分をコントロールする戦略のほとんどは,一歩一歩,特定の仕方で身につけていくことができる。
 本書では,抑うつ気分が日常生活を覆い尽くさないようにするために利用できる一連のツール(道具)を示す。否定的な側面を利用し,抑うつ気分を和らげ,多くの肯定的で幸せな日々をしばしば奪ってしまう感情の束縛を解くにはどうしたらよいかをあなたに示そう。臨床心理士,教育者,研究者としての私の30年の治療経験に基づくこれらの戦略を他の多くの人々が利用してきたことを示す。(これらの症例はかならずしも実際の患者を描写しているわけではないが,一般的な経験を代表する,多くの人々の例からなっている。)どこから始めても,本書はあなたの前進を助け,感情の落ちこみから新たな自由へと導くことができる。
 本書の15の章では,3種の視点から悲しみの統御について取り上げる。第1章と第15章では,否定的な気分の性質と機能について読者の理解を助けるために,感情の神経科学や心理学の研究を参照しながら,「悲しみを感じる」と私たちが呼んでいる感情経験について簡潔に総説する。これらの章では,感情統御の概念,悲しみを抑えたり幸福感を増したりするのにもっとも有効なあるいはもっとも有効でない基本戦略,悲しい気分の改善を妨げる方法などについても紹介する。第2章から第13章までは,悲しい気分を改善するための特定の戦略に焦点を当てる。これらの戦略には,あなたが落ちこみそうだと最初に気づいた時に,ただちに用いることができるものもあれば,抑うつ気分の危険を減らすためのより広範囲なライフスタイルの変化に関連するものもある。最後に,第14章では,人生の満足度を改善に関わる別の方法を示す。すなわち,それは幸福感をさらに増す6つの気分高揚戦略である。あなたの感情生活に意味ある変化をもたらすには,単に悲しみが存在しないということ以上が必要である。むしろ,気分の改善には,喜び,幸せ,充足感などといった標的とする感情がさらに高まるという特定の戦略が含まれなければならない。悲しみと喜びは同じコインの単なる反対側ではないので,それぞれの感情状態に働きかけていくには,あなたの生活の質や感情面での幸福度を変化させていく必要がある。
 第15章に続く資料と文献には,気分の改善とその努力をさらに支援するために掲げてある。資料の部分は,私が有用だと感じたり,あなたが相談してみたいと思ったりするようような本,機関,ウェブサイトのリストである。文献の部分では,各章で私がとくに引用した本,文献,ウェブサイトを挙げてある。(ある章で何度も引用されているものもあるので,ある章の文章の中で同じ数字が繰り返されている場合もあることに読者は気づくだろう。)

 本書をまとめるにあたって,その指導,専門性,洞察に富む分析が重要な役割を果たしたクリス・ベントンと,重要な助言と一貫した激励を賜ったギルフォード出版社の編集長キティ・ムーアに深謝する。これは私たちが協力した第2回目の出版計画であり,私たちが育んできた協力関係を私は高く評価するようになった。また,本書を世に送り出すうえで重要な貢献をしてくださったアンナ・バケット,マリー・スプレイベリー,そして他のギルフォード社のスタッフに対しても感謝する。
 本書の出版にあたり貴重な貢献をしてくださった以下の多くの研究者たちにも感謝を申し上げる。バーバラ・フレドリクソン,ポール・ギルバート,ジェイムズ・グロス,ジュッタ・ジョーマン,クリストファー・マーテル,クリスティーナ・ネッフ,故スーザン・ノレン・ヘクセマ,マイケル・オットー,ジェイムズ・ペネベイカー,チンデル・シーゲル,マーティン・セリグマン,故ダニエル・ウェグナー,ジェシー・ライトである。その仕事や友情が,抑うつ感情に関する私の考えをまとめるうえで大変有用であった以下の他の同僚たちにも感謝を申し上げたい。すなわち,ジョン・アブラモウィッツ,故ブラッド・アルフォード,ジュディス・ベック,ゲリー・ブラウン,メレディス・コウルズ,故パドマル・デ・シルヴァ,ロバート・リー,クリスティン・パードン,ジャック・ラクマン,アダム・ラドムスキ,ジョン・リスキンド,ロズ・シャフラン,ロバート・スティール,エイドリアン・ウェルズである。
 長年にわたり,不安障害やうつ病に関する私の研究に非常に多くの貢献をしてくれた有能で熱心な多くの大学院生たちが私の人生を豊かなものにしてくれた。しかし,最近の4人の博士課程の大学院生たちにとくに感謝している。私のさまざまな気分関連プロジェクトの研究室で働いてきたブレンドン・ギット,ニコラ・マクヘイル,アドリアナ・デル・パラシオ・ゴンザレス,キャサリーン・ヒルチーである。
 認知行動療法の創設者であり,私の師,友人,共著者として私を一貫して励まし,神秘に満ちた人間の感情を理解するうえで多くの知恵を授けてくださったアーロン・T・ベックにとくに深謝と称賛の念を申し述べたい。
 とりわけ,36年間の結婚生活を共にしてきた妻のナンシー・ネイソン・クラークに,永遠の支持,専門性,理解について感謝している。私が感情の統御の研究に取りかかってきた間,妻の忍耐力が私を大いに助けてくれた