本書は,David A. Clark著『The Mood Repair Toolkit: Proven Strategies to Prevent the Blues from Turning into Depression」(The Guilford Press, 2014)(気分改善ツールキット:気分の落ちこみをうつ病に増悪させないための有効な戦略)の全訳である。著者のクラーク博士は,カナダのニューブランズウィック大学心理学教授で,不安障害やうつ病に対する認知行動療法の専門家として広く知られている。
 さて,一読してみれば本書の長所は一目瞭然であるので,訳者があとがきを長々と書き加えて,本書をさらに大部の書にしてしまうことは控えなければならないだろう。そこで,本書の特徴をごく短くまとめてみよう。
 まず,書名にある「ツールキット」(toolkit)という単語が読者の目に止まるだろう。これは自動車の整備士が持っている道具箱を想像してほしい。その中には,スパナ,ドライバー,巻尺など,修理に必要な大小さまざまな工具が入っている。そして,整備士は修理箇所に応じて,それに合った工具を取り出して作業を始める。ツールキットとはまさにそのような道具箱のことである。ただし,本書ではその中に入っているツールが工具ではなく,認知行動療法で用いる各種の気分改善戦略であり,80種類が挙げられている。
 最近では認知行動療法はとくにうつ病の治療に用いられる有効な心理療法として認められるようになってきた。認知行動療法理論では,人は何らかの出来事を経験すると,その人独自の反応を示すという。すなわち,出来事を経験した後,感情,思考,行動にはその人独自のパターンが現れる。そして,最終的な反応が生じるのだが,多くの場合,「感情→思考→行動」の部分はブラックボックスになっていて,本人も十分に理解ができないまま,その人独自の反応に及ぶ。その反応は多くの場合,適応力に欠けるものであるために,不安障害やうつ病へと発展する下地ができてしまう。
 この「感情→思考→行動」の三要素は密接に関連しあっていて,そのうちのどこかに変化を起こすことによって,うつ病をはじめとするさまざまな心理的問題が生じるのを予防したり,治療したりすることができるというのが,ごく単純にまとめてしまうと,認知行動療法の主原則である。すでにできあがってしまっている「感情→思考→行動」のその人独自のパターンに変化をもたらすための一つひとつの方法が,本書の中のツール,すなわち,80種類の気分改善戦略である。日常的に抑うつ気分に陥りやすい人の,感情,思考,行動に変化をもたらすためのスキルが具体的に解説されている。
 さらに,一つひとつの戦略を単独で用いても,あまり効果がなく,いくつかの戦略を組み合わせて用いる必要がしばしば出てくる。そのような際に,他の関連のある戦略をすばやく見つけ出せるように,各所に「ツールファインダー」の欄があるのも,本書の特徴である。そこから関連の戦略を見つけて,並行して用いたり,現在使っている基礎となるような戦略について理解を新たにしたりすることができる。
 さて,著者自身が述べているが,本書の対象はあくまでも日常的に気分が落ちこみやすく,何とかそれに自力で向きあおうとしている人である。きわめて重症のうつ病のために日常の機能に深刻な影響が出ている人や,自殺願望が強いといった人には,精神保健の専門家による治療が必要であることが繰り返し強調されている。ただし,精神科医などによる治療を受けている人であっても,担当医の助言に従って,この種の気分改善戦略を試みてみることはできるだろう。
そこで,本書の読者対象としては,まず,日常的に気分の落ちこみに悩んでいる一般の人々である。それに加えて,認知行動療法を実施している精神保健の専門家で,患者のスキル訓練のための具体例について学びたいと思っている人にも,一読を勧めたい。
 なお,本書は筑波大学医学医療系災害精神支援学の同僚とともに共訳したものであるが,最終的な責任はすべて監訳者にあることを断っておく。最後になったが,本書の翻訳出版を提案してくださり,翻訳の過程でも多くの尽力をいただいた金剛出版代表取締役社長の立石正信氏に深謝する。立石氏は私の最初の著書『自殺の危険:臨床的評価と危機介入』(金剛出版, 1992年)の出版以来,常に激励してくださってきた。氏の熱意がなければ,本書の日本語版はそもそも世に出ることはなかっただろう。

訳者を代表して
2014年10月
高橋祥友