『「ねずみ男」の解読−フロイト症例を再考する』

マーク・カンザー,ジュール・グレン編/馬場謙一監訳/児玉憲典訳
A5判/232p/定価(3,400円+税)/2015年6月刊

評者 岩崎徹也(京橋メンタルクリニック)

 原書は,1980 年にアメリカで出版された“Freud and His Patient”edited by Mark Kanzer and Jules
Glenn で,450 頁を超える大著である。そのため訳書は3 部に分けて出版され,本書はその最後のものである。原書は,フロイト自身によって治療され,発表された有名な5 症例について,アメリカの精神分析家たちが,現代的な視点から改めて考察を加えたもので,この種の内容の書としては,既に高い評価を得ていたものである。訳書は「フロイト症例の再検討―ドラとハンスの症例」と題して1995 年に,「シュレーバーと狼男」と題して2008 年に,同じ馬場謙一氏の監訳により,金剛出版から刊行されており,本書の刊行によって,原書の全訳が完成したことになる。フロイトの有名な5 症例とは,ドラ=ヒステリー,ハンス=恐怖症,シュレーバー=妄想,狼男=強迫神経症−境界例,そしてねずみ男=強迫神経症のことで,それぞれの病態について,フロイトによる理解と治療内容が記されている。
 精神分析は,フロイトによって創始されて以来,すでに1 世紀以上の歴史を経て,現在までに多数の精神分析家たちによって,多くの発展をとげ,また新しい視点や考え方,あるいは分派が出現してきている。現代精神分析学界では,原点に返れ,フロイトに帰れ,という声が発せられる一方で,若い精神分析家の教育に際して,ともすると見られるフロイト崇拝や理想化についての批判が,Otto Kernbergらによっても発せられている。また例えばJacob Arlow による「現在,精神分析学を志す者は,フロイトへの病的な転移を克服するべきである」との言葉もある。このような傾向に関して本書の巻末に及川卓氏によって,“「再検討」の再検討”と題する論文が加えられている。そこでは,本書に代表されるようなフロイト論文を現代的な視点から再検討することの意義に関して,監訳者馬場謙一氏による「フロイト以降に発展した精神分析理論を武器としてフロイト論文を批判するのは,むしろ安易に過ぎるだろう。光学顕微鏡によってなされた研究を,電子顕微鏡を使ってあげつらうようなものだからである」との意見を掲げて,フロイト論文の精読と共に現代的な視点による検討の意義を主張する本書の立場を明確にしている。
 本書の内容は2 部に分かれており,第1 部はフロイトのねずみ男について,数名の著者がそれぞれ転移神経症,自我,分裂,抵抗と誤同盟などの現代的視点から考察して再検討し, 最後に編集者M,Kanzer が解説を加えている。第2 部では,要約と全体の結論と題して,フロイトの5 症例の概要とそれについての各著者の論述についてまとめられている。そこで,監訳者の馬場謙一氏のお勧めのように,評者も,読者はまず第2 部を読んで,全体の展望を得てから第1 部を読むことをお勧めしたい。

原書:Mark Kanzer and Jules Glenn(Eds):Freud and His Patient