改訂版を刊行した経緯

 本書は,すでに刊行されている『薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック』(金剛出版,2011)を改訂したものです。
私たちが作成しているワークブックを,後述するようにマトリックス・モデルのワークブックを参考にしつつも,自分たちが「このことを患者さんたちに伝えたい」という内容を大胆に盛り込み,最終的にかなり独自のものとなっています。
 そもそも,ワークブック作成の作業は,まだ「SMARPP」という名称が存在しなかった2005年から始まっています。当時私は,本書共著者である今村扶美さんとともにマトリックス・モデルのワークブックを翻訳し,心神喪失者等医療観察法(重大な他害行為を犯した精神障害者を対象とした専門的治療制度)の専門治療病棟で使っていました。しかし,この翻訳版ワークブックは,米国との文化的事情の違いのせいか,使っていて違和感を覚える箇所が多く,また,アルコール・薬物の使用がもたらす医学的弊害や,依存症に関する心理教育的なセッションが少ない点も不満でした。
 そこで,私たちはそのワークブックを大胆に改訂することにしたわけです。具体的には,まず私が毎週のプログラムのたびにその回のワークブック案を作成し,実際にセッションを実施します。それを今村さんが観察し,不自然なところや患者さんの「食いつきの悪い点」をあぶり出し,改訂しました。何クールかそうした作業を通じて作成したのが28回セッション版(SMARPP-28)であり,すでに市販されている『薬物・アルコール依存症からの回復支援ワークブック』の原型です。そして,SMARPP-28を縮めたバージョンである16セッション版(SMARPP-16)を作成し,これを2010年より国立精神・神経医療研究センター病院の薬物依存症外来で約5年間用いてきました。
 しかしこの5年間で,薬物乱用の状況も変化してきましたし,従来のワークブックに足りないものも見えてきました。たとえば従来のワークブックでは,睡眠薬や抗不安薬といった処方薬乱用・依存も問題,それから危険ドラッグの問題をまったく扱っていませんでした。それから,最近5年間のうちに,都内ではHIVに感染した薬物依存症患者さんが多くなり,従来のままではHIVに関する情報提供も不十分と思われました。また,患者さんのなかには,プログラムを2クール,3クールと繰り返す人が少なくなく,そのような人の場合,単なる「断薬」以上のもの,たとえば「新しい生き方のヒントを得る」といったニーズが出てきますが,これにも応える必要があると感じてきました。
 こうした5年間の臨床実践から出てきた課題に対応すべく,私と今村さんとで改訂作業を行いました。その成果が,今回,刊行させていただく24セッション版のワークブック,『SMARPP-24』なのです。
 さて,「SMARPP」という名前を初めて聞く人,「依存症って何?」と感じている人のために,以下に依存症とはどのような問題であり,どのようなかかわりが必要なのかを解説したいと思います。

依存症は罰では治らない

 わが国では,第二次大戦後より70年ものあいだ覚せい剤の乱用問題が続いてきました。覚せい剤は,わが国では覚せい剤取締法によって規制されている違法薬物です。そのせいで,一般の人たちはもとより,精神科医のような専門家のあいだでも,薬物依存症は医療的ケアを要する「病気」ではなく,取り締まりの対象となる「犯罪」と見なす人がいまだに多い現状にあります。しかし,薬物依存症を犯罪として処罰するだけでは限界があります。
 一つ印象的な体験があります。かつて私は,ある刑務所で「薬物依存離脱教育プログラム」に携わっており,セッションの冒頭で必ず次のような質問をしていました。
「このなかで,これまで覚せい剤のことで,親,兄弟,友人,恋人,親分,兄貴といった人たちから,『ヤキ』を入れられたことのある人,手を挙げてください」
 すると,毎回必ず,プログラムに参加者の全員が手を挙げてくれました。あたりまえですね。なぜなら,受刑者はいずれも覚せい剤取締法の累犯者です。家族や恋人,友人にしてみれば,「いい加減にしろ!」と怒り心頭となる場面が多々あったことでしょう。しかし,それが歯止めとはならなかったことは,彼らが刑務所にいるという事実によって証明されています。
さらに私は受刑者たちに対して質問をたたみかけました。
 「それでは,ヤキを入れられたとき,どんな気分になりましたか?」
 すると今度は,さすがの受刑者たちも,うつむいたまま隣の受刑者を横目で見ながら沈黙しているのが常でした。あるいは,怖い顔をして同席している刑務官の存在を気にしていたのかもしれません。
 しかしあるとき,一人の受刑者が私の質問に答えてくれたのです。
「余計にクスリをやりたくなりました」
 そして,この勇気ある発言に触発されて,他の受刑者たちも続々と,「自分もそうでした」という告白をはじめたのです。
私の質問は,完全に確信犯的なものでした。自らの臨床経験から,再使用によって最も失望しているのは,誰よりも薬物依存症者自身であることを知っていたからです。問題は,ひとたび依存症に罹患した脳は,「また使ってしまった」という自己嫌悪と屈辱感を自覚した瞬間に,「とてもシラフじゃいられない」という感じ,脳にインプットされた覚せい剤渇望のスイッチをONにしてしまうのです。要するに,「ヤキを入れた」周囲の思惑とは裏腹に,周囲の「善意」はその人が覚せい剤を使うのを促し,依存症をさらに重症化させるのに一役買ったことになります。
 このエピソードが何を意味しているかわかりますか? 
 そう,依存症は罰では治らないということです。

地域における医療的資源拡充の必要性

 わが国では,覚せい剤取締法違反によって刑務所に服役する人の数は年々増加しています。しかし実は,こうした統計上の増加は,同じ人が何回も繰り返し逮捕され,そのたびに服役期間が延びていることによって生じているものです。
 なぜこのような事態が生じるのでしょうか? それは,彼らが薬物依存症に罹患しているからです。それならば,刑務所や保護観察所といった司法機関でしっかりと薬物依存症に対する治療プログラムを実施すればよいのでしょうか。
 もちろん,司法機関でのプログラムは大切です。先のエピソードからもわかるように,すでに数年前より,刑務所では依存症に対する治療プログラムを実施していますし,昨年より保護観察所でもプログラムの提供が始まっています。
 しかし,それだけでは不十分です。それは決して,刑務所や保護観察所のプログラムに問題があるからではありません。海外の薬物自己使用犯の再犯防止に関する研究では,「薬物事犯の再犯防止には,刑罰よりも地域内での治療が有効」,あるいは,「薬物依存症からの回復は,地域内でのケアを長く続けるほど効果的である」という知見が明らかにされています。そして私も,自身の臨床経験から,覚せい剤依存症の人が最も再使用しやすい時期は,刑務所出所直後,あるいは保護観察終了直後であるという印象を持っています。
このことは,刑務所や保護観察所でどんなにかすばらしい治療プログラムが提供されたとしても,法的な縛りから解放されたあとにも,そのプログラムが地域で継続されなければ効果がないことを意味しています。いいかえれば,薬物依存症の治療は「貯金することができない」性質のものであり,出所後,そして保護観察終了後にも,地域で継続されなければほとんど意味がないのです。
 ここにわが国の問題があります。わが国における地域の支援資源は深刻に不足したままです。薬物依存症専門医の数はいまだに両手の指で足りるほどしか存在せず,薬物依存症に特化した治療プログラムを持つ専門病院はほとんどなく,アルコール依存症のプログラムを用いていたり,薬物による幻覚・妄想の治療だけ終えたら,ダルク(DARC)などの民間リハビリ施設に丸投げしたりしている現状です。
 もちろん,自助グループや民間リハビリ施設の役割は非常に重要です。しかし,薬物依存症の当事者も十人十色であり,こうした社会資源が合う人は限られています。また,こうした当事者の手による民間の支援機関を外側から支援し,緊急時に医療的ケアを提供する機関が必要です。何よりもこれらの社会資源以外に選択肢のない,というわが国の現状が問題です。地域における薬物依存症に対する医療的資源の拡充は,喫緊の課題なのです。

新しい薬物依存症治療プログラム

 わが国の薬物依存症に対する支援資源を拡充していくには,数少ない専門医に頼らずとも実施できる,簡易な治療プログラムの開発が必要です。たとえば,ワークブックとマニュアルを用い,短期間の研修を受ければ,医師以外の援助職でも実施できるようなものが望まれます。
 そのような問題意識から,2006年より私は,神奈川県立精神医療センターせりがや病院(現,神奈川県立精神医療センター)の小林桜児先生の協力を得て,同院をフィールドにした薬物依存症治療プログラムの開発に着手しました。それが,SMARPP(Serigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program ; せりがや病院覚せい剤依存再発防止プログラム)だったわけです(図1)。
 このプログラムを開発する際に私たちが参考にしたのが,米国西海岸を中心に広く実施されている依存症治療プログラム『マトリックス・モデル』でした。マトリックス・モデルを参考にしたのは,以下の2つの理由からでした。一つは,マトリックス・モデルは,特にコカインや覚せい剤といった中枢刺激薬の依存症を念頭に置いて開発されたものであり,その点がわが国の実情ともマッチしていました。もう一つは,認知行動療法的志向性を持つワークブックを用い,マニュアルに準拠した治療プログラムであったという点です。これならば,薬物依存症の臨床経験をもつ者がきわめて少ないわが国の現状においても導入できる可能性が高いと考えたわけです。
プログラムの中心をなす認知行動療法のワークブック開発にあたっては,マトリックス・モデルで用いられているものを参考にしましたが,かなり大幅な改変を行っています。もちろん,ワークブックの中核部分は,マトリックス・モデルと同様,薬物渇望のメカニズムや回復のプロセス,さまざまなトリガーの同定と対処スキルの修得,再発を正当化する思考パターン,アルコールや性行動との関連といった,認知行動療法的なトピックは引き継ぎましたが,これらに加え,痩せ願望や食行動異常と薬物渇望との関係,アルコール・薬物による脳や身体への弊害に関する話題も追加しました。
 文章全体の記述量も多くしました。通常のワークブックであれば,むしろ文章を削る方向に尽力するところですが,私たちとしては,依存症臨床経験の乏しい援助者が,患者と一緒にワークブックの読み合わせをするだけでも,それなりにグループセッションのファシリテーターができるようにしたいと考えました。それには,ワークブックの記述自体にファシリテーターの台本,もしくは『虎の巻』としての機能を持たせる必要があったのです。その結果,ワークブックは,患者に伝えたい情報が盛り込まれたリーディング・テキストとして,自習教材としても活用できるものとなったわけです(図1参照)。具体的な作成のプロセスについては,本稿の冒頭に述べました。
 ともあれ,私たちのプログラムの最大の売りは,薬物依存症患者が「次も来たい」と思うような雰囲気作りにあります。つねに患者の来院を歓迎し,患者の好ましい行動には「報酬」を与えます。たとえば,毎回プログラムに参加するだけで,患者にはコーヒーと菓子を用意され,お茶会さながらの雰囲気です。そして,1週間をふりかえり,薬物を使わなかった日については,各人のカレンダー・シートにシールを貼ってあげ,プログラムが1クール終了すると,賞状を渡します。
 また,毎回実施される尿検査(その結果はあくまでも治療的対応にのみ用い,決して司法的な対応には用いません)で陰性の結果が出た場合には,そのことがわかるスタンプを押します。さらに,治療からの脱落を防ぐために,プログラムを無断欠席した者に電話やメールで連絡し,「次回の参加を待っている」というメッセージを入れます。
 こうした活動はいずれも,患者に対して,「薬物を使わないことよりも治療の場から離れないことが大事」,「何が起ころうとも,一番大切なのはプログラムの場に戻ってくること」を伝えるためです。

プログラムの広がり

 SMARPPの開始から1年後,私が12年前より依存症家族教室の嘱託医を務めている東京都多摩総合精神保健福祉センターでも,SMARPPをサイズダウンした薬物再乱用防止プログラム「TAMARPP(Tama Relapse Prevention Program)」がスタートしました。さらにその翌年以降,埼玉県立精神医療センター(「LIFE」),肥前精神医療センター(「SHARPP」),東京都中部総合精神保健福祉センター(「OPEN」)でも同様のプログラムがはじまりました。この原稿を執筆している2015年4月末現在,全国の精神科医療機関42カ所,そして,精神保健福祉センターなどの保健行政機関では準備中のところも含めると20カ所あまり,さらにダルクなどの民間リハビリ施設を含めると,私たちが把握しているだけでも20カ所において実施されています(表1)。
 なお,2012年より試行されている,保護観察所や少年院における新しい薬物再乱用防止プログラムも,私たちがSMARPPをベースにして開発しています。これより,司法機関,医療機関,地域の支援機関で一貫した治療プログラムを提供できる可能性が高まったといえるでしょう。
 ところで,こうしたプロジェクトの多くは,医療機関や行政機関の援助者が地元のダルクと連携して運営されています(例: 栃木県薬務課・栃木ダルク「T-DARPP」,浜松市精神保健福祉センター・駿河ダルク「HAMARPP」,熊本県精神保健福祉センター・熊本ダルク「KUMARPP」など)。このような共同運営にはさまざまなメリットがあります。何よりもまず,なかなか安定した断薬へと至れない人をダルクにつなげることが比較的容易となります。しかし,それ以上に重要なのは,精神保健福祉センターなどの専門職援助者が当事者スタッフとの共同作業を行うことで,薬物依存症に対する忌避的感情や苦手意識を克服するだけでなく,薬物依存症に対する援助技術の向上も期待できる,という点でしょう。いいかえれば,プログラム実施を通じてプチ専門家を養成できるということです。これは,専門家も社会資源も乏しいわが国にもってこいの仕組みです。

プログラムの効果

 それでは,SMARPPの治療効果はどのようなものなのでしょうか? 
 私たちは,厚生労働科学研究の一環としてSMARPPの効果検証を行っています。図2に示したのは,私たちが国立精神・神経医療研究センター病院で実施しているSMARPP-16参加者を対象とした転帰調査の結果です。初参加から16週後を終了日とし,そこから起算して1年後の薬物使用状況を調べてみると,患者さんの67%に薬物使用状況の改善が見られ,4割の患者さんがプログラム終了から1年間断薬を続けています。この治療成績は,週1回の外来プログラムとしては破格に優れたものであり,たとえばアルコール依存症に対する3カ月間の入院プログラムの転帰よりもはるかに成績のよい結果といえます。
 しかし,私たちはこうした結果はさほど重要ではないと考えています。というのも,この転帰調査の対象者を個々に検討してみれば,「プログラム終了後1年間はずっと断薬していたが,その後,再使用を繰り返して警察に逮捕されてしまった」という人もいますし,「2年間ずっとクスリを使いながら参加していたが,あるときから急にクスリがとまりはじめ,いまは断薬3年目」という人もいます。要するに,依存症の治療効果は短期的な転帰ではかることはむずかしく,それこそ5年,10年という長いスパンで考えていくべきものなのです。
 そうしたなかで,私たちが重視しているのは治療の継続性です。図3は,薬物依存症外来に受診した患者さんを重症度が偏らないように,「SMARPP参加群」と「SMARPP悲惨か群」とに分けて,初診半年後の通院継続率と他の社会資源(自助グループや民間リハビリ施設)の利用率を比較した結果です。図からも明らかなように,SMARPPは,治療の継続性を高めるだけでなく,自助グループのような他の支援資源の利用率を高めることがわかります。このことは,SMARPPは,薬物依存症者をさまざまな支援と「より長く,より広くつながる」効果があることを示唆しています。
 海外の多くの研究が,薬物依存症患者の予後を左右するのは治療の継続性であることを明らかにしています。もちろん,治療を継続しても断薬に至れない人も皆無ではありませんが,それでも,同じ断薬できないのであれば,やはり治療を継続している人の方が逮捕・服役の頻度は少なく,健康被害や社会経済的損失が少ないといわれています。要するに,治療を継続することは,何はともあれ,よいことなのです。その意味で,SMARPPは薬物依存症の治療プログラムとして必要な要件を十分に備えているといえるでしょう。
しかし,くれぐれも誤解しないでください。私たちは自分たちのプログラムが決して「最高の治療」などとは考えていないということです。やはりなんといっても,最高の治療とは当事者による支援です。「かつて自分と同じように薬物に振り回される生活を体験したものの,いまは薬物をやめている人」と出会い,「あの人の生き方なんか格好いいな。ちょっと真似してみようか」と考えて,一緒に自助グループにミーティングに参加しているうちに薬物が止まる……そのような具体的な「ロールモデル」と出会えるプログラムだと思います。料理にたとえるならば,そうした治療プログラムこそが高級フレンチであり,高級懐石料理であり,一方,私たちがやっている治療は,いわばファーストフードみたいなものでしかないと考えています。
 これは,決して自分たちの試みを卑下した発言ではではありません。これまでのわが国における薬物依存者支援体制の問題点は,たとえるならば,一人で外食するのに抵抗感のある人でも入りやすい,「ファーストフード」的な店がなかった,という点にあると思うのです。私たちは,そのようなアクセシビリティのよいプログラムを国内各地に展開したいと考えています。

専門機関がプログラムを提供する意味

 先ほど,当事者による支援こそが最高の治療といいました。だとすれば,「専門職が無理にプログラムを提供する必要はないのでは?」という疑問を抱く方もいるでしょう。
 しかし,一般の人にとって,自助グループやダルクといった当事者による支援資源は敷居が高いのです。それならば,精神科医療機関の方がはるかに敷居は低いでしょう。だとすれば,医療機関などの専門機関は,薬物依存症に悩む人を当事者による支援資源へとつなぐ機能を持つ必要があります。
 一つ興味深いエピソードがあります。これは,SMARPP・プロジェクトに参加している,ある精神保健福祉センターのスタッフから教えてもらった話です。
 その精神保健福祉センターの依存症家族教室に,息子の覚せい剤のことで悩みながら参加しつづける家族がいました。なかなか本人の薬物使用は止まらず,本人も治療を受ける気持ちになりませんでしたが,家族が家族教室に通いはじめて3年目に,ついに転機が訪れました。その息子が自分の薬物問題を相談する決心をかため,実際に精神保健福祉センターやって来たのです。
 しかし,そこからが大変でした。精神保健福祉センターの相談員が面接してみると,彼はやはり重篤な覚せい剤依存を呈していることが判明しました。生活自体が破綻しかけており,ダルクに入寮して,一から生活の立て直しが必要な状況でした。そこで相談員は,「かなり深刻な依存に陥っているから,ダルクに入寮した方がいいのではないか」と伝えましたが,彼は,「絶対にいやだ。そんなところに入るくらいなら,死んだ方がまし」と強硬に拒絶し,とりつくしまがありませんでした。
 以前だったらば,「困ったらまた相談に来てね」と伝えて,相談関係は一旦打ち切りとしたところだったでしょう。しかし,その精神保健福祉センターではすでにSMARPPを実施していたので,相談員は「ダメもと」で,「じゃ,うちでやっている再乱用防止プログラムに参加する?」と提案しました。すると意外なことに,その薬物依存者は,「そっちだったら,参加してやってもいい。ただし,俺は薬をやめる気はないけどな」と返事をしたのです。それで,ひとまずはプログラムに参加してもらうことになりました。彼はやや不規則ながらではありましたが,プログラムに参加しつづけました。覚せい剤は相変わらず使っていたものの,ブログラムの雰囲気は気に入ったようでした。
 プログラムに参加して1年が経過した日のことでした。彼から,「あんたたちが一生懸命やってんのはわかるけど,こんなプログラムじゃ,俺,薬とまんないよ。ダルクに入るわ」という話があったのです。その後,彼はダルクに入寮し,3年の月日が経過しました。現在,彼はダルクの施設職員として入寮者の世話をする傍ら,その精神保健福祉センターでSMARPPの運営スタッフとしても活躍しています。
 これこそがプログラムの成果である,と私たちは考えています。もしも彼が「ダルクに入寮した方がよい」という提案を断ったときに,その相談員が援助関係を打ち切っていたら,おそらく彼はまだ覚せい剤を使っていたはずでしょう。プログラムにつながり,そのなかで失敗を繰り返しながら,少しずつ自分の問題の深刻さと向き合うようになったように思います。
 これまで,依存症からの回復のためには,何かを失うことを通じて「このままではダメだ」という底つき体験が必要であるといわれてきました。しかし,本当の底つき体験とは,家族や仕事を失うことでも逮捕されることでもなく,援助のなかで体験するものなのです。そして,それには「安全に失敗できる場所」,さらには「失敗したことを正直にいえる場所」が必要であり,そのような場所が,比較的アクセスしやすい専門機関にあることの意義は大きいと思います。

薬物依存症はメンタルヘルスの問題

 思い切ったいい方をすれば,薬物依存症は「治りたくない病気」です。どんな治療意欲があるように見える薬物依存症患者でも,本音は,「本当は薬物をやめたくないが,逮捕されたり,健康に害があったり,家族から見はなされたりするのは嫌」だから,かろうじて治療を続けています。治療意欲はたえず揺らぎ,移ろいやすいのです。だからこそ,治療プログラムは「継続性が高い」ものであることが必要なのです。
 これまでほとんどの精神科医療機関は,薬物依存症患者を「招かれざる客」と見なしてきました。しかし,もはやこれ以上,精神科医療機関が薬物依存症患者を「犯罪者」として避けることはできません。なぜなら,薬物依存症臨床の現場で問題の薬物は,覚せい剤から,睡眠薬・抗不安薬や危険ドラッグといった,「取り締まれない薬物」へとシフトしています。
 特に,昨今深刻な社会問題となっている危険ドラッグに関しては,政府の対策がもっぱら「取り締まり」の強化に終始している印象を受けますが,これでは一時的な問題解決にしかなりません。というのも,この種の「脱法的」な薬物は,1990年代終盤のマジックマッシュルーム,あるいは2000年代の5-Meo-DIPTなど,過去にもさまざまに存在したからです。これらは,規制の強化で一時的に終焉を見たものの,しばらくすると形を変えて登場してきました。危険ドラッグも同じ経過をたどることでしょう。
 薬物問題の解決には,取り締まりなどの「供給断絶」と同時に,欲しがる人を減らす=依存症の治療のような「需要低減」のための対策が必要です。その意味では,薬物依存症をれっきとした病気,あるいはメンタルヘルスの問題として捉えて対策を講じていく必要があるといえるでしょう。
 最後に,メンタルヘルス領域の支援者が依存症に対してすべきことは何かを気づかせてくれる,あるエピソードを紹介して,この解題の締めくくりにしたいと思います。
 それは,いまから17年前,依存症専門病院であるせりがや病院に赴任してまもない時期のことです。当時,私は,薬物依存症患者をどう治療すればよいのか皆目わからず,連日,内心半泣きで診療にあたっていました。かろうじて私にできたことといえば,患者に,薬物の心身に対する害について懇々説教することだけでした。おそらく私は,「患者が薬物をやめられないのは害に関する知識がないからであり,害をことさらに伝えてビビらせれば,薬物なんてやめるはずだ」と考えていたのでしょう。ですから,認知症患者の脳MRI画像を示して,「長年,覚醒剤を使ってきた人の脳だ」などと患者に説明するような,詐欺同然の荒技まで使っていました。
しかし,そんな脅しめいた説教で薬物をやめる患者などいませんでした。そしてある日私は,ある覚せい剤依存症患者から手厳しい洗礼を受けました。その患者は,口角泡ためて「覚せい剤の害」について話す私を遮るや否や,こう凄んだのです。
 「害の話はもう聞きたくねえよ。あんたが知っているシャブの害なんて,全部,本で読んだだけの知識じゃねえか。俺なんか10年以上,自分の身体を使って『臨床実習』してんだよ。知識で俺にかなうはずがない。だが,俺は自分よりも知識のねえ医者のもとにこうして来ている。なぜだかわかるか?」
 彼は,「ああん?」といった表情で顎をしゃくり上げ,こういったのです。
「シャブのやめ方を教えてほしいんだよ,やめ方を」
 これは私にとって衝撃的な体験でした。考えてみれば,患者はそれまで周囲の人たちから説教や叱責を受けてきたはずであり,それでやめられないから病院に来ているわけです。それなのに,当時の私は「シャブのやめ方」など知らず,ただ説教しかできなかったのです。
 思えば,私の依存症臨床はここから始まり,いまその回答――単なる「説教」や「叱責」,あるいは「罰」ではない方法――として,このSMARPPがあると思っています。

 末尾になりましたが,本ワークブックの作成・改訂でお世話になった方への謝辞を書かせていただきます。
 まずは,国立精神・神経医療研究センター病院でSMARPPの運営にかかわってくださっている病院臨床心理士の川地拓さま,山田美紗子さま,PSWの若林朝子さま,和知彩さま,根岸典子さま,薬物依存研究部研究員の引土絵美さま,米澤雅子さま,外来スタッフの谷渕由布子さま(千葉病院精神科医師),高野歩さま(東京大学大学院),八王子ダルクの加藤隆さまに心から感謝申し上げます。
 また,このワークブックは,これまでSMARPPに参加し,忌憚のない感想や意見をフィードバックしてくれた患者さんたちの声によってできています。あえてここで一人ひとりのお名前を挙げることはしませんが,この場を借りてお礼を申し上げます。
 そして最後に,いつも貴重な機会を与えてくださる,金剛出版社長立石正信さま,ならびに同編集部中村奈々さまの熱意に心からの感謝を捧げたいと思います。

2015年4月
著者らを代表して 松本俊彦


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