●牛島定信先生からの推薦文

 今や,わが国にあっては,認知行動療法(CBT)の全盛時代である。先日,パニック発作を持った患者からCBTを受けるべきか相談され,また,ある母親が強迫症の息子にCBTを受けさせたいと強引に専門のクリニックを受診させる光景を目の当たりにしたばかりである。いずれも,精神医学関連書を読むと,これらの不安症(障害)はCBTでないと治らないということが書いてあるというのである。
 このようなときに,なぜに精神力動的心理療法なのか。
 そもそも,米国で精神分析離れの起こったのが,1950年代初めになされた精神分析療法の治療効果をめぐる研究で散々たる結果しか出なかったことにある。一方で,精神分析を批判するかたちでJ・ウォルピの「系統的脱感作療法」が,さらにはA・ベックの「うつ病の認知療法」が開発され,その効果の確かさが客観的に示されたことによって,症状を目指したこれらの治療的接近が世の耳目を集めるようになったことを忘れてはならない。その中で,適応を拡げた認知行動療法が精神科臨床の中で確固たる地歩を固めていった。それから20年。認知行動療法の実践がさらに重ねられているのである。しかし,留意しておくべきは,精神疾患が人間存在の魔物だということである。認知行動療法が如何に完成品であろうとも,所詮,人智のなすところで,限界のあることを忘れてはなたない。私は,最初からCBTにも反省期がやって来るとは考えていた。わが国ではまだ勢いは衰えないが,この道での先進国である米国では,すべてのケースがCBTによって必ずしもうまくいかないという研究結果が出はじめたという。
 これこそが,本書で紹介されている「パニック焦点型力動的心理療法」(PFPP)が登場した時代的背景である。本書は,まずPFPPが編み出され,それに実践が重ねられる中で改訂が加えられ,さらに洗練されて出来上がった「パニック焦点型力動的心理療法―拡張版」PFPP-RXの説明が中心となっている。
 この治療的接近にどのような特徴があるのか。
 1980年のDSM診断の登場以来,表面に現れた諸症状を組み合わせて把握された状態を記載して疾患単位とし,それに的を絞った接近が主導的役割を果たす精神医学が出来上がったことは周知の通りである。その状態があたかも脳内過程の直接の反映であるかの印象さえ与えるようになっている。それだけに,薬物療法とCBTが時代の脚光を浴びるに至った。ところが,精神分析的思考を大事にする力動的精神医学では,表面の諸症状や状態の背後には,これらを形成する精神力動的基盤があると考える。つまり,表面の症状だけを標的にしていただけでは片手落ちであるという考えをもっている。したがって,薬物療法とCBTを中軸にした精神医学的接近の万能感に陰りが見え始めると,これまで排斥されてきた精神分析的思考に基づいた治療的接近が頭をもたげてきたのである。それを現実化させたのが本書で語るPFPPであるといってよい。
 本書の著者らが,その実践を積み重ね,工夫をこらしているうちに次第に変化が生じる一方で,不安症(障害)と呼ばれるいくつかの状態,パニック症,全般性不安症,社交不安症,強迫症,さらにはC群のパーソナリティ障害に共通する精神力動があり,PFPPがより広い領域への適応をもつに至るという収穫のあったことも見逃せない。
 ただここで,力動的精神医学と精神分析が不即不離の関係にあるだけに,PFPPが精神分析的概念を採用し,その実践に活用しているとはいえ,非常に専門化した精神分析療法とは一線を画していることに留意しておく必要があろう。精神分析的な訓練を受けなくても,より簡便なPFPPのトレーニングを受けることによって実践可能になるということである。そういう意味では,これまで,精神分析か,CBTかといった二者択一的な対立の構造が形成されがちであったが,このPFPPにはむしろ認知行動療法と補完的な協働的関係を形成する可能性があるように思う。換言すれば,一人の精神科医が両方のやり方を自在に操れるようになれば,疾病論も変わるであろうし,治療的態度も柔軟性をもってくるであろうという期待を持たせるということである。楽しみな書物である。
 最後に,臨床の現場にあって何時もその実践のあり様を模索し,わが国の精神医学的臨床のリーダーとしての役割を果たさんと,努力を積み重ねておいでの貝谷久宣先生の肝煎りのお仕事だけに,一人でも多くの臨床家が手にされんことを願っている。

ひもろぎ心のクリニック 牛島定信