私は根っからの生物学的精神医学を信奉する精神科医であった。精神分析学や精神力動的精神療法からは全く遠い立ち位置で臨床活動をしてきた。45年前,大学病院精神科に入局した当時,統合失調症の入院患者の精神分析療法を目の当たりにして,患者を哀れに思うだけでなく,その治療医の医者としての人間性を疑ったことがあった。要するに私は長い間,精神分析にはネガティブな印象を持ち続けてきた。
 私はほとんど毎年米国精神医学会に出席している。先日,25年間永続会員の表彰を受けた。この米国精神医学会の会員申込用紙には精神分析をしているかどうかを質問する欄があった。当時は,精神分析医の入会には厳しいチェックがあったためであると考えられる。であるから,この学会に出席しても精神分析に関する演題もトピックスもほとんど気づかれなかった。ところが,7,8年前にこの学会に出席し,新刊図書の展示場で「Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice Fourth Edition(Glen O. Gabbard)(2005)」という本が一番目立つところにおいてあった。この本は米国精神医学会の傘下のAmerican Psychiatric Publishingからのものである。この時,私は21世紀の精神医学に精神分析のリバイバルが起こってきているのだと感じた。私は専門外であるのにもかかわらずこの本を購入した。それは,本書「Manual of Panic Focused Psychodynamic Psychotherapy−eXtended Range」の著者Milrodらのパニック症論文(2000)をAmerican Journal of Psychiatryで見かけていたからであろう。その後,Milrodらはパニック症の精神力動的精神療法のランダム化比較試験の論文(Milrod et al., 2007)を正式に報告している。不安症に対する力動的精神療法の作用は最新のレビュー研究によれば平均効果率は0.64で,従来の精神療法との効果に有意差は認められていない(Keefe et al.,2014)。このような状況下で本書を見つけ,パニック症を専門とする臨床家として是非とも翻訳したいと考えた。そして,海外で育ち精神分析学を勉強する鈴木敬生氏と出会い本書の刊行の運びとなったのである。
 元来は神経解剖学者であったフロイドは,“心理学における我々のすべての予見的な考えの基にある器質的構造が分かる日が来ることを,我々は繰り返し思い出さなければならない”と言っている。しかし,その後長い期間にわたり精神分析学と生物学的精神医学はお互いに独自の道を歩んでいた。しかし,前世期最後の年に記憶に関する脳科学者であるKendel(1999)により生物学と精神分析学の統合に関する総説がものにされている。そして21世紀になり技術革新が著しい脳科学は精神力動的精神療法による脳変化を明らかにしてきている。最近のレビューによれば,脳画像研究がなされたうつ病や不安症の精神力動的精神療法研究は11編あり,116人の患者と94人の健常対象者が検査対象とされた。その結果,治療効果に見合って辺縁系,中脳,および前頭前野においてシナプス,神経伝達関連物質の代謝活性が正常化していることが確かめられている(Abbass et al. 2014)。
 一方,精神分析学の領域からこのようなハードな精神医学に警笛が鳴らされている。現代の力動的精神療法研究者の代表の一人であるGabbard(2014)は次のように述べている。“ヒポクラテスの言葉「ある人がどのような病気を持っているかということよりもどんな種類の人がその病気を持っているかを知ることがより重要である」がほとんど忘れられている。このような時代に精神分析的思考は今までにかってないほどの重要性を持ってくる。まさに,精神分析学的精神医学の真髄は一人一人特異な様相を呈する人の個別性に目を向けることである。治療者は病気を持った人格を治療する。病気へのアクセスと同じように人格へのアクセスを試みる必要がある。それには患者に心地よい患者−治療者の人間関係を構築し,症状を聞きだし,病気の不快さを知り,病状を理解し討論できるようにすることが大切である。患者の人格と治療者の人格の良き相互関係を保つことが必要であるが,精神力動的精神療法の治療中にはいつもそうであるとは限らない。つまり,治療者―患者の治療関係は一連の技術というよりも生身の人間同士のぶつかり合いであり,結局それが予後を決定づけることになっていくものである。”
 このようなことを耳にすると,臨床精神薬理医を自認する監訳者は,精神力動的精神療法は難しい領域であると恐れをなす一面,一人の患者と長く付き合ってきた臨床医として多少ともわからないでもないなと感じている。まあ,いずれにしろ,この本が精神力動学を専門とする人にも生物学的精神医学者にも読まれ,パニック症という病気の一側面の理解に役立つことを心から願う次第である。

文献
Abbass AA, Nowoweiski SJ, Bernier D, Tarzwell R, Beutel ME(2014)Review of psychodynamic psychotherapy neuroimaging studies. Psychother Psychosom,83(3);142-7. doi: 10.1159/000358841. Epub 2014 Apr 12.
Gabbard G(2014)The Person with the Diagnosis. Psychiatric NEWS, 29 October 2014. American Psychiatric Association. http://psychnews.psychiatryonline.org/doi/full/10.1176/appi.pn.2014.3b19
Keefe JR, McCarthy KS, Dinger U, Zilcha-Mano S, Barber JP(2014)A meta-analytic review of psychodynamic therapies for anxiety disorders. Clinical Psychology Review,34(4);309-23. doi: 10.1016/j.cpr.2014.03.004. Epub 2014 Mar 24.
Kendel ER(1999)Biology and the future of psychoanalysis:A new intellectual framework for psychiatry revisited. American Journal Psychiatry, 156(4);505-24.
Milrod B, Busch F, Leon AC, Shapiro T, Aronson A, Roiphe J, Rudden M, Singer M, Goldman H, Richter D, Shear MK(2000)Open trial of psychodynamic psychotherapy for panic disorder:a pilot study. American Journal Psychiatry,157(11);1878-80.
Milrod B, Leon AC, Busch F, Rudden M, Schwalberg M, Clarkin J, Aronson A, Singer M, Turchin W, Klass ET, Graf E, Teres JJ, Shear MK(2007)A randomized controlled clinical trial of psychoanalytic psychotherapy for panic disorder. American Journal Psychiatry,164(2);265-72.