『自己愛性人格/解離性障害/躁うつ病の拡散−精神医学における症例記述の復権のために』

鈴木 茂著/生田 孝編集
A5判/320p/定価(5,800円+税)/2015年7月刊

評者 林 直樹(帝京大学医学部)

 本書は,2013年7月18日に病没した精神科医鈴木茂の残した原稿から,彼と兄弟のように長く仕事を共にしてきた生田孝の編集によって製作された論文集である。本書のテーマの一つである自己愛性人格は,主に産業精神保健の場に見られる軽症(躁)うつ病の症例の性格特性を示すものとして扱われている。今一つのテーマ,解離性障害は,「普遍化された防衛機制」であり,臨床的に問題になるのはそれがパーソナリティ特性と化したケースであるという。大局的に見れば,「境界例→自己愛性パーソナリティ障害→解離の普遍化」という推移が認められるとされるので,これらの議論は,著者の初期の主要業績である境界例についての論考の発展型であると言えるだろう。
 境界例とそれに関わる病態への治療アプローチとして著者は,「言葉遣いをめぐる対話技法」を新たに提案している。患者の感覚的・表出的用法の多用やラング化の乏しい言葉に「待った」をかけて,「その『すごく』とはどの程度の『すごく』なの?」とか,(前操作的思考を上書きする)形式操作的思考を導入して「その二つがどうして『ので』で繋がるのかな?」といった質問を発してゆくことである。このようなやりとりを積み重ねることによって,ある出来事を別の視点から眺めて新たな感情を体験するといったことから,安定した体験の布置を得るという進展を期待できるとされる。
 最後の章で著者は,彼自身が展開してきた精神病理学を振り返っている。境界例は精神病理学の伝統的なテーマではなく,その主観的体験はうつろいやすく,境界不鮮明の記述が困難なものであることが多い。著者のその探求のために選択した手がかりは,言語であった。著者はこれに,その独創性の発露というべき工夫を加えるのである。すなわち,「私の文章は……彼らとの関わり(対話)を行為遂行的に表現したもの」であり,「私の境界例論は……臨床の現場に新たに出現してきた現象に対する私個人の主観的な解釈の実践」だというのである。すなわち,彼の著作は,臨床の場で生み出された対話から直接的に導き出された精神病理学だということである。
 境界例やパーソナリティ障害,解離性障害は,とりわけ時代に翻弄されてきた概念である。本書では,社会意識や自己愛のあり方の時代的変遷についてミシェル・フーコー,香山リカなどによるいくつかの言説が紹介されているが,一番迫力があるのは,著者自身の言葉である。彼は,「(自分の仕事は)当時流行していた……「現代思想」の成果に照らして解釈したものであるが,それを可能にしたのは,これらの思想内容および当時の文化状況・社会構造と境界例患者のあり方との間に見られる同型性であった」と述懐している。この最終章の記述が行われた頃,著者はすでにパーキンソン病の宿痾に苦しめられていた。さらに2011年には,「(著述の)仕事に右腕の残った力を消費してしまうわけにはいきませんので,残された自分の書字能力は(自分の患者の)カルテ書きのみに制限して専心することにしています(生田氏への私信)」というギリギリの日々を過ごしていた。他方,生田が絶筆と呼ぶ最終章において著者は,自身が充実した研究成果を挙げてきたことに自負と満足感を表明している。それは,研究人生を締めくくる重みが伝わってくる言葉である。
 故鈴木茂氏に対して離れた地から敬愛の念を抱いていた評者にとって,これら最後の想いに触れることができたことは幸せであった。わが国の精神病理学は,その地に鈴木茂という花を咲かせたことを誇るべきであるとの感を強くした。生田孝氏はじめ本書の刊行に尽力した人々に深く感謝の意を表したい。