『心理臨床講義』

伊藤直文編/講師:村山正治,平木典子,村瀬嘉代子
A5判/255p/定価(3,400円+税)/2015年8月刊

評者 成田善弘(成田心理療法研究室)

 本書は,三つの講義と三つのインタヴュー,そして心理臨床の諸相についてのいくつかの論考からなっている。第T部は,わが国の心理臨床を築いてきた三人の先達,村山正治,平木典子,村瀬嘉代子が,大正大学カウンセリング研究所50周年を機に,「臨床心理学の原点とこれから」というテーマで行った講演からなり,第U部には,この三人がインタヴューに答えて,臨床家としての自身の経歴をふり返りがら,心理職に必要な資質,姿勢,考え方について語ったことが収められている。
 村山は,現代の臨床の課題が,人を治して社会システムにはめこむという「適応の時代」から,人間一人一人が自分の可能性を実現する「オンリーワンの時代」へと変わってきていると言う。そして,自身がかかわってきたエンカウンターグループ体験について,個人を集団に合わせるのではなく,「始めに個人ありき」と考え,個人と集団の新しい距離をどう体験するかが大切であると指摘し,さらに,さまざまなグループのネットワーク,コミュニティとのつながりが重要であると説く。
 平木は,キャリアカウンセラーとしての経歴をふり返りつつ,環境の重要性を強調し,環境との関係を抜きにしての治療はクライエントのみを問題視することになると指摘する。それゆえ,援助者はグローバルな視点をもち,時間の経過と広い現実の中で今自分が何をしているかを見つめる必要があると言う。自己実現についても社会性を強調し,自己実現とは社会の中で自分らしく生きることの探求であるから,カウンセリングにおいても,キャリアすなわち人生のそれぞれの時期で人が果たす役割とその変遷を視野に入れておくことが大切であると説く。
 村瀬は,家裁調査官として出発した自身の経歴を語りつつ,臨床家として意見を述べるにあたっては,明確でわかりやすい言葉を用い,その根拠を示さなければならないと言う。また,クライエントの内面にのみ関心を向けるのではなく,日々の生活の質をできるだけ具象的に把握しなければならないと言う。さらに,治療を効果的にするもっとも大きな要因は相手とどういう関係ができたかということだと指摘し,治療の中でこちらが感じとったこと,自分の中に湧いてくる考えや気持をそっと表現してみることも必要な場合があると述べ,人間性と専門性について論じている。
 なお,第V部として,心理臨床の現在の課題となるテーマについて大正大学の教員によるいくつかの論考がある。評者には伊藤直文による「心理臨床の倫理と社会常識」という論文から学ぶところが多かった。
 内容の簡単な紹介だけで紙幅が尽きてしまうが,三人の先達の語るところを読んで評者の感じたことを二,三つけ加えたい。一つは,序文で伊藤も指摘しているが,三人の先達に共通する,時代や社会への広い視野である。ともすればクライエントとの二人関係に埋没しがちな臨床家にとって必要なことである。二つ目は,これも三人に共通して,自身の経歴とそこでの経験から臨床家としての姿勢と実践がおのずと導き出され,そこから借り物でない実感のこもった言葉が生まれている。もう一つは,三人の言葉から人間と文明への基本的な肯定と信頼が感じられる。この信頼が治療効果につながるのであろう。評者は自分の人生と仕事をふり返って,自分は人間を本当に信頼しているのかと自問せざるをえない気持になった。