『ピグル―ある少女の精神分析的治療の記録』

ドナルド・W・ウィニコット著/妙木浩之監訳
B6判/304p/定価(3,200円+税)/2015年10月刊

評者 山中康裕(京都ヘルメス研究所/京都大学名誉教授)

 この本は以前に翻訳出版されたことがあるが,あれはとても理解にほど遠いシロモノだった。それは,訳者たちが,この種の治療の深さに理解が及んでいないだけでなく,翻訳の基本的なことがらもクリアーされていなかったからである。現今の本書の監訳をした妙木氏は,そのことにも相当好意的な意を用いて書いているが……。さて,前のモノについてはそれ以上には述べない。本書が,とても贅沢なのは,訳者の岡本亜美・加茂聡子・児島嘉子・吉村聡の4人の苦闘の訳に加えて,監修者の苦闘の跡がにじみ出ており,その上,妙木氏の懇切な解説があり,その上に,ウィニコッティアンの先輩の北山修氏が,ユニークな創造的「まえがき」を書いているからだ。そもそも,この本は,ウィニコットの「白鳥の歌(生前最後の作品)」なのであり,その2番目の妻のクレアと,ウィニコット出版委員会のシェパードの序文や,編集に携わったラムジイの編者覚書がついている。
 私がこの本を読んでまず思ったことは,精神医学・精神療法学の発展史においての以下の3冊の事だ。それらは,ジグムント・フロイトの『少年ハンス』,レオ・カナーの最初の自閉症児『幼児早期自閉症論』の「ドナルド」,そして本書である。その3冊の共通点は,いずれも,事例そのものの「親」が積極的に関与していることである。つまり,「ハンス」では父親,「ドナルド」では両親,そして本書「ピグル」でも両親である。いずれも,この道の専門家たちなのであるが,これらは,とても象徴的に,その時代とこの学問分野の発展史をも担っている。つまり,「ハンス」の場合は,精神分析に児童分析の領域を加えることになった記念碑であり,「ドナルド」は,この世界に自閉症を持ち込んだ最初であり,そしてピグルでは,単に客観的に分析したり記述したりするのみではなく,《抱えることと解釈》という言い方をしているウィニコットの,他の譬えを用いれば,サリヴァンの《関与しながらの観察》と同様の,いや,それよりもさらに一歩踏み込んだ,北山氏の絶妙な言い方によれば,《二者言語と三者言語》の混交した,《あれかこれか》(フロイト)でもなければ,《あれもこれも》も交えた,まさに,ウィニコットの独壇場である治療方法論が展開しているのだ。しかも,現今でも問題となっている主として週1回の日本の精神分析が,果たして精神分析と言えるのか,と国際分析協会から批判を受けているのだが,毎日分析とその間に入る本書の提唱するon demandの方法が,その問の答えの一つを用意してくれよう。
 さて,本書の圧巻は,わずか2歳半から5歳になる直前までの少女ガブリエル(「ピグル」というのは,彼女の愛称)とわがウィニコット先生との,直接的なやりとりが,逐語的に描出されているところだ。よって,「え,この年齢の女の子がこんなことまで考えているのか!」とか,「え,ウィニコット先生は,この年齢の子に,こんなことまで言うんだ!」とかの驚くべき内容が次から次へと繰りだしてくることだ。読者は,一度は,こういった治療の現場を体験するかのような記述を,ぜひ読んでほしい。訳語も,いくつかの幼児語を,英語表記も加えて表現してあるので,とても参考になること請け合いだ。

原書:Winnicott DW : The Piggle : An account of the psychoanalytic treatment of a little girl