『〈病〉のスペクトル―精神医学と人類学の遭遇』

下地明友著
A5判/368p/定価(5,800円+税)/2015年10月刊

評者 江口重幸(東京武蔵野病院)

 本書は文化精神医学者・医療人類学者である下地明友の代表的論文によって構成された,ライフワークともいえるずっしりと重い一冊である。もし読者がこの領域に初めて関心を寄せ,本書を手にするならば,まずは,第3 章「風土的視点と精神科臨床―『臨床場』の問題」から読まれることを(やや押しつけがましいが)私はお薦めしたい。ここでは下地の故郷であり,30 歳代の後半に再び数年間勤務することになる沖縄宮古島の風土と,そこでの臨床経験が端的に論じられているからである。本章では30歳台の男女二人の事例が描写されている。一方は若い頃から「将来頭に電波が入る人」と地元のユタに予言され,7年間の私宅監置の後に入院になった男性。もう一人は,若い頃から「カンダカヌム」すなわち神高い人と評判で,ユタのもとに頻回に通った後「霊の声がする」と語り,不穏になって沖縄本島の精神病院に入院し,再び帰島して数回の入院にいたった女性である。顔見知りで構成された小社会であるため著者の記述は控え目であるが,こうした事例と臨床の場で出会うことを想像されたい。読者はこうした場面で何を尋ねるだろうか。彼や彼女が大いに関わり,探究する神事をどう扱うだろうか。そして彼らの将来をどのように頭に描くだろうか。こう考えただけでも,通常の臨床ではほとんど作動していない部分を全開で回転させても間に合わないような,そうした混沌とした「場」に読者自身が投げ込まれていることに気がつくだろう。それこそが下地のいう「風土」であり「臨床場」であり「治癒の多元構造」なのである。想像力の翼を広げ,この枠組みを頭の片隅ではなくいわば身体に刻み込むようにした後に,再度本書を冒頭から読んでみたらどうだろうか。そこはすでに「下地ワールド」であり,いくら潜っても底の見えない深海へダイヴすることになる。下地は,通常の精神科臨床というものも実はこういう構造をもつと言いたいのであろう。それこそが「ポリフォニー」であり,「臨床リアリティ」であり,「精神医学と人類学の遭遇」につながってゆく。
 本書の全体像を紹介しよう。序論の後は5部構成であり,全13編の論文から構成されている。「はじめに」の「身体と経験の人類学:場所論的転回・人類史論的転回・生命論的臨床誌」の後に,序論「ためらいの普遍性:精神医学概念はあらゆる社会において普遍妥当性をもつのか」という基本テーマが投げかけられる。各セクションは,第1部文化精神医学:多元的身体性と「場」。第2部スピリチュアリティ:沖縄と「魂」。第3部ソーシャル・サファリング:水俣と「傷」。第4部関係性の詩学:精神科臨床と「老い」。第5部レジリアンス:傷から回復へ,そして「おわりに」と続く。神経病理学から出発し,文化精神医学・医療人類学に大胆に踏み出し,熊本の地に根ざした現職になってからは深く水俣病に関わりながら,レジリエンスや老いをめぐる思索をたぐり寄せている。いずれもその風土や社会や歴史が濃厚に溢れ出る領野である。著者のこれまでの足跡そのものが活字になったものがこの一冊なのであろう。本書を読み終えたとき,かつて沈黙劇と呼ばれた演劇に頻回に足を運んだ時のことをありありと思い出した。何重にも積み重なり,時にうなるように聴こえたさまざまな声や思索はかき消され,目の前には普段の光景と寸分たがわぬ世界,臨床の場がそのまま静かに横たわっている。そうした日常的な世界,日々の臨床的経験の無尽蔵の豊かさを本書は改めて力強く示しているのである。