『クライン派の発展』

D・メルツァー著/松木邦裕監訳/世良 洋・黒河内美鈴訳
A5判/600p/定価(8,500円+税)/2015年10月刊

評者 古賀靖彦(油山病院)

 これは途方もない本である。つまり,著者が途方もない人だということであろう。
 まず,本書のカバーする論文や著作の広汎さに驚かされる。第T部の「フロイトの臨床的発展」では,『ヒステリー研究』『夢解釈』「性理論のための三篇」「性格と肛門愛」「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の思い出」「心的生起の二原則に関する定式」「強迫神経症の素因」「ナルシシズムの導入に向けて」「喪とメランコリー」「子どもがぶたれる」「集団心理学と自我分析」「自我とエス」「マゾヒズムの経済論的問題」「制止,症状,不安」「防衛過程における自我分裂」,および,五大症例が次々と俎上にあがる。第U部の「クラインの症例リチャード再考」では,『児童分析の記録』が週ごとに批評されるとともに,臨床素材に沿ったクラインの業績が概説される。また,第V部の「ビオン」では,『集団での経験』『再考』『経験から学ぶこと』『精神分析の要素』『変形』『注意と解釈』が詳細に検討される。
 本書において,このように広汎な論文や著作に真正面から取り組み奮闘することを通して,フロイトからクライン,そして,ビオンへと至る臨床方法と臨床思考の連続性を明らかにし,確かな基盤に立脚した「クライン派の発展」という概念を確立しようとしたメルツァーの知性と情熱は圧倒的である。さらに彼は,三者の臨床実践の根底にあるこころのモデルの進展を検討し,臨床アプローチの方法と全体図の概要を示している。そして,これまで観察や考察の概念ツールを持っていなかった広大なマインドレスの領域を拓いたばかりでなく,精神分析を神経症や倒錯に限られた治療から科学的方法へと成長させたのはビオンの業績である,とメルツァーは述べる。
 また,本書の成り立ちにも注目すべきである。本書は,英国タビストック・クリニックの子どもの精神分析的精神療法家の訓練生を対象に,おそらくは1972年から1978年の間におこなわれた講義録がもとになっている。受講者は講義に先立って関連文献がすっかり頭に入っていることが見込まれ,メルツァーは第V部以外では原稿なしで講義をしている。驚かされるのは,特に原稿なしで,これだけの講義をおこなうメルツァーの理解,記憶,構想の力である。また,受講者も上述の文献(クラインの場合,他の主要な論文も必読であったに違いない)を相当のスピードで読み込み考えていく必要があるが,訓練にはこれくらいの集中的体験が欠かせないのであろう。
 さて,読者は本書をどのようにお読みになるだろうか。私はやはり,精神分析の臨床家同士で講読グループを形成して,関連論文をあらかじめ読み込みながら,6〜10年ほどかけて読まれる(体験される)のをお勧めしたい。
 最後に,途方もない時間,エネルギー,情熱を注ぎ込んで,本書を読みやすい日本語にしていただいた,訳者の方々に深謝する。

原書:Donald Meltzer : The Kleinian Development