「臨床心理士の仕事の方法―その職業的専門性と独自性」というテーマで、一冊の本を書き下ろしてみることにする。
 私は、一九六五年の八月に(まったくの偶然の成り行きで)心理臨床家(臨床心理士)という職に就いた。それからほぼ五十年、精神科病院での常勤職を出発点として、精神科心理臨床、開業心理臨床などの臨床現場で臨床心理士として働いてきた(「臨床心理士」の資格認定制度は一九八八年に始まり、私が「臨床心理士」資格を得たのは一九九一年からだが、以下「臨床心理士」で統一する)。
 この間の、臨床心理士界の興隆と世間への知名度の広がりは、大きなものがある。ことに、地方の小さなとても治療的とは言えない私立精神科病院で臨床心理士としての道を歩き始め、当初は、クレペリン検査のテスターであり、脳波検査のテスター助手であり、極めて重度の精神障碍の子どもたちの世話係であり、入院病棟で大暴れする患者が出たときにはすぐに駆けつける保安要員でもある、臨床心理士とは名ばかりだった私などからしたら、まったく隔世の感がある。
 全国に百五十校を越える臨床心理士養成大学院が作られ、文部科学省の公の事業であるスクールカウンセラーには臨床心理士が主に任じられ、国立や公立の心理臨床職についても臨床心理士を受験資格とする所も年々増えてきている。そして、精神科病院・精神科クリニックを始めとして内科・心療内科・小児科・産婦人科・緩和ケア・デイケアなどで働く医療臨床、小学校・中学校・高校などのスクールカウンセラーとして働く学校教育臨床、さまざまな福祉援助の相談機関や公共機関・会社・企業・大学などで働く相談臨床などなど、臨床心理士が勤務する心理臨床の現場は、多方面にわたっている。私が関連する開業臨床においても、それによって確たる専門職業人として自立した社会生活を営んでいる臨床心理士も、増えてきている。
臨床心理士が年々増加し、臨床心理士が対象とするクライエントや患者は、産まれたばかりの赤子、乳幼児から、死を迎えようとしている高齢者まで、あらゆる年齢層に及んでいる。クライエントが手助けを求める目的や目標も、重篤な精神障碍や認知症の方への心理臨床的援助から、いかに人生を生きるかといったことや、ユング(Jung, C.G.)の言う「自己実現」の課題まで、多岐にわたっている。現代という「こころ・からだ」にとって難しい時代を背景として、さまざまな場において臨床心理士が求められるようになってきている。また、それに従い、臨床心理士が用いる方法論や臨床心理的援助技法、治療技法についても、大きくは精神分析療法的立場と認知行動療法的立場とに分かれるように、多様化し、現代の心理学の知見に基づく新しい方法論や援助技法が次々に生まれている。
 このような時代の移り変わりの中で、改めて、「臨床心理士の仕事の方法」について問い、考えてみたい。
このことを改めて考え、一冊の本に纏めてみようと思い立ったのには、二つの大きな契機がある。
 一つには、「個人心理療法モデルに固執することは尊皇攘夷のごとく時代錯誤の行動になりかねない」といった主張を、日本を代表する一人と思われる臨床心理学者が発言していることが、きっかけになっている(下山晴彦「特集にあたって」『臨床心理学』第十一巻第一号)。この発言に対してはすでに反論を述べたが(渡辺雄三「臨床心理士の個人開業」渡辺雄三・亀井敏彦・小泉規実男編『開業臨床心理士の仕事場』金剛出版)、臨床心理士の職業的専門性と独自性について、もう一度きちんと考えを纏めておかなくてはならないと、考えた。
 二つには、上記の発言と無関係ではなく基底では連動していると思われるが、(臨床)心理職の国家資格化問題に対する危惧も、その契機になっている。私自身は、精神科臨床を中心にして、本当に安い給料や不当な待遇にもかかわらず、誠実にクライエントの方々への心理臨床的手助け(援助)に日夜努力している若い臨床心理士の苦労に、日頃から頭の下がる思いをしているだけに、何とか彼らの苦労に報いる正当な国家資格があったらと、強く願ってはいる。だが、今進行している「案」では、そもそも名称が「臨床」の付かない「心理師」になっていることから明白なように、臨床心理士の職業的専門性と独自性についての明確な理念が欠けており、このまま(臨床)心理職の国家資格化が実現しても、現場の臨床心理士の苦労に報いるどころか、かえって、彼らの希望とクライエントの方々の期待とを裏切るものになるのではないかと、強い危惧を抱いてしまう。
 加えて、近年、病院臨床を中心にして認知行動療法が盛んになっている。しかし、療法としての選択やその善し悪し以前の問題として、もちろん精神分析療法を始めとしてその他の心理療法に対してもまったく同様の批判が言い得るのだが、臨床心理士としての専門性を疎かにした、すなわちクライエントへの臨床心理学的な配慮をなおざりにした教条的、機械的な実施も目につく。それに対する懸念もまた動機になっている。
表面的な興隆の一方で、臨床心理士の職業的専門性は、いまだ確たるものとして定まっていないようである。その混迷状態が、これらの問題に現われ出ており、今回「臨床心理士の仕事の方法」という本を是非書いてみようという気持ちにさせた、契機になっている。
 それにしても、このような臨床心理士界の状況や、臨床心理士の仕事の多様化の中で、果たして、臨床心理士の仕事全体に通底する、職業的専門性と独自性を枠付ける「臨床心理士の仕事の方法」といったものが、あるのだろうか。それは、まったく無謀な試みなのではないのか。臨床心理士の誰に対しても、その仕事のどれについても、そしてどの心理臨床現場でも言えるような「臨床心理士の仕事の方法」など、たとえそれを示し得たとしても、まるで曖昧な空虚なものになってしまうのではないのか。反対に、自身の立場だけで主張すれば、臨床心理士の普遍性からは遠のいてしまう。大きな風車に挑んでいったドン・キホーテのごとく滑稽な作業になってしまうのではないかと、ふと自嘲的にもなるが、二十四歳のときからほとんど五十年、個人心理療法を中心にしてクライエント・患者の方々と向かいあい、何とか今も向きあい続けている(未だドン・キホーテ的少年性の抜けきらない)臨床心理士の言葉として、聞いていただければありがたい。なお、二〇一一年の東日本大震災の直後に『私説・臨床心理学の方法―いかにクライエントを理解し、手助けするか』(金剛出版)と名付けた著書を、私の臨床心理士としての仕事と臨床心理学徒としての研鑽の集大成として、刊行した。今回は、とくに臨床心理士の職業的専門性と独自性について、すなわち「臨床心理士の仕事の方法」にテーマを絞って、よりコンパクトに纏めようとはしたが、書名も似通ったものになってしまったように、基本的には前著の内容を踏襲している。ことに前著で「臨床心理学という学問の方法」を巡って「臨床心理学の原則」として挙げたことと、一部修正を加え、その内容をより多角的に、またより深化させて考察しようと努めはしたが、重なった内容になっている。このことをあらかじめお断りしておく。また、前著に倣って、「こころ・からだ」とか「手助け」という、私なりの表現を用いている。
 前置きはこれぐらいにして、本論に入ることにする。