『心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門―エビデンスを「まなぶ」「つくる」「つかう」』

原田隆之著
四六判/280p/定価(3,200円+税)/2015年12月刊

評者 山中康裕(京都ヘルメス研究所/京都大学名誉教授)

 とてもいい本が出版された。エヴィデンスの理解や問題に関わるほぼすべてが実に懇切丁寧に噛んで飲み下すがごとくに書かれているからだ。本書は,書名通りEvidence based Practise に基づく,極めて懇切丁寧な啓蒙書であり,実にしっかりと書かれた理論書・実践指南書であるが,氏の実に微に入り細に穿った立論は敬意に値する。しかも,氏は,あろうことか,筆者の「臨床心理学」という15年前に創刊されたばかりの雑誌に載せた拙論をも引いて下さっている。無論あからさまにはそれと書いてはおられないが,論を読み解くについては専門の筆者にはすぐに読み取れるので言うと,氏は筆者を氏の批判する「非科学的な臨床心理学」の旗頭の一人として認識しておられるようだ。たとえば文献検索の方法を駆使して「箱庭療法」を槍玉に挙げて,それを徹底的に批判しておられる。筆者は氏の論調のほとんどは正しいと思う。たとえば箱庭療法の指導者を自任する幾多の人を含めて大多数が,ほとんど過去の自著や邦文ばかりを引用して外国の文献を読んでもいない,というのはまったくその通りで,常日頃,大変に歯がゆく思っていることの一つなのだ。しかし,私自身はスイス原著を訳し,ドイツ雑誌のBeiratをし,ISST(国際箱庭),WPA(世界精神医学),SIPE-AT(国際表現精神病理・芸術療法)などの幾多の国際学会で,英語一辺倒の学問の在り方の偏向批判や,病理一辺倒の偏向批判などを展開し,一見世界の趨勢と見えるものが,実は,大変な食わせ物で,片隅のたった一例からでも事実は覆るということを言ってきた私にとっては,本書評は格好の場となってくれるだろう。さて,氏が,「臨床心理学は科学ではない」といわれるとき,まったくそうだと思うのは,私も,ガモフらを含むαβγ理論やアインシュタインの相対性理論や波動理論などに興味津々であるからだが,一方で「科学」というものを絶対視し過ぎておられる点はちょっと問題であるとも思う。私の考えを述べれば,氏の言われる「科学」は,私ももっとも尊重し大切なものと思うのは同様だが,その一方で,科学やEvidenceという装いを持って,いかに人々が愚弄されてきたかの歴史も問題としないわけにはいかない。それらは,今までの本誌上での筆者の書評に詳しいので,そちらを参照されたい(たとえばウイッタカウアー『薬物療法批判』や犯罪心理学批判など)。しかし,氏のいわれる「事例検討は,いくら重ねても,データにはならない」との考えには与するわけにはいかない。私に言わせれば,「事例検討一つ一つが,立派なevidenceなのだ」と思うからなのである。それは,たとえば,京大の霊長類学者たちの仕事が,現 在の世界的《サル学》に発展しえたのは,一つ一つの個体識別を完遂したからだったことで十分に伝わらないか? あるいは,最近のScience誌に載った個別のアリ研究により分ってきた《働きアリのみでなく,サボリ組の必要性》などの新しい事実も同列である。すなわち,一例一例を丹念に追っていく中で,真実というものは析出してくるのであって,それには,途方もない時間や,臨床の積み重ねがいるのである。私は,本書や原田誠一氏らのご薫陶によって,統計学や確率論やRCT(ランダム化比較試験)の大切さを学んだが,一方で,一人のクライエントにじっくりと向き合い,彼らが自力で生きる道を探し出していかれるまで徹底的に付き合い,やがて《自分で生きることを可能とした》一人一人の人たちを見出すとき,それは,いかなる数字やevidenceにも勝る,立派なevidenceだと思うからなのである。一人の人と徹底的に関わらない臨床なんてありえない。思うに,論文や書物が一方的に他方を批判するとき,実は,その双方ともに,相手の真の主張が分っていないことが多いと思うのだ。その意味で,Evidence based Practiseに基づく,徹底的な本書の説明を読み,私にとっては,EBPやEBMの立場の方々の主張をしっかりと理解することができたので,今度は,当方の主張をご理解いただきたいのだ。一例でも地に着いた実例を経験したら,その時に,それまでの誤った状況から自力で立ち直っていくクライエントを目の前にするとき,それを態々数字に変えたり,データ化したりする必要などまったくなく,《自立した》という《evidence》こそが立派なevidenceなのだ。その次元まで,しっかりと臨床実践を踏んでおられない方々が,そういうふうに,数字やいわゆるevidenceという御旗を立てようとすることが多いことをこそ言いたいの である。