『ポール・ワクテルの心理療法講義―心理療法において実際は何が起こっているのか?』

杉原保史監訳/杉原保史,小林眞理子訳
A5判/400p/定価(5,200円+税)/2016年2月刊

評者 今井たよか(あるく相談室京都)

 心理療法については多くのことが語られるが,そのなかで実際に何が行われているのかを知ることは難しい。本書は,循環的心理力動アプローチあるいは統合的心理療法で知られるポール・ワクテルによる,3つのセッションの完全な提示である。この逐語録はアメリカ心理学会によるビデオ教材のための録画に基づいており,逐語を少しずつ追いながら,そこで何が起こっているかについてのワクテル自身による懇切丁寧な解説が付けられている。この解説は,それ自体,心理療法家が心理療法において何を内省しているかの記録であり,極めて興味深いものとなっている。
 逐語録の前には,ワクテルの理論的・臨床的な立場についての概説が置かれている。第1章「地面の視点から見た心理療法」では,精神分析から出発したワクテルが,なぜ,どのように,行動療法,システミックなアプローチ,体験論的なアプローチを統合しながら現在の方法論に至ったかがわかりやすく述べられている。第2章「2つの頭のなかで」では,ワクテルの心理療法の鍵となるトゥー・パーソン的あるいは文脈的な視点について,特に関係精神分析や愛着理論との関連からまとめられている。この2つの章は,20世紀後半から現代に至る心理療法の歴史を辿るひとつの論考として貴重である。
 さて,3つのセッションは,1つめと2つめがルイーズ,3つめがメリッサという2人の女性との仕事である。2人の女性は,自らのセッションが録画され教材になるということを知りつつ,自分自身の問題を1セッション限りの心理療法で話すためにやってきた。この点だけでも通常の心理療法とは異なっているが,さらにハプニングや思わぬ先行条件があり,1つめのセッションの流暢さに比べて,2つめ,3つめのセッションは,ワクテルと2人の女性が困難をどう切り抜けようとするか,読んでいても胸が詰まるような努力の記録になっている。ワクテルは,この1回限りのセッションが心理療法として2人の女性の役に立つように,すなわち,2人が,体験から締め出してきた自分自身の不安,恥,罪悪感,その葛藤に触れることができ,自己についての体験を広げることができるように,できる限りの経験を注ぎ込もうとしている。特に,「普段,感じられるような真の共同作業の感覚が感じられなかった」とワクテルが振り返るメリッサとのセッションがむしろ印象的で,困難のなかに逆説的に表れていたテーマがほんの少し見えてきたところで残念にも終了が近づいた。「メリッサさんが変化する自由ももっているのかな……」とワクテルがいくぶん親切に送った言葉が,メリッサの人生に役立ったことを願わざるをえなかった。
 終章の考察も含めて,ワクテルが培ってきた,人間の困難に対する真に受容的な態度と失敗や間違いを隠さない正直さが全編に流れている。ワクテルの著書を日本に送り出してきた杉原保史氏と,会話部分を担当した小林眞理子氏のコラボレーションによる訳文もすばらしい。どんなオリエンテーションであれ,心理療法を実践し,あるいは関心を持つすべての方々に読んでいただきたい。