本書の編集が終わって,ほっとしている。
 定年退職を迎えるにあたって,いささか回顧的になることをお許しいただきたい。
 まさかこの私が九州大学に入学できるとは思っていなかった。ましてや,九州大学の教授になれるとは,それこそ夢にも思っていなかった。
 私は,一族の中で(一家ではなく一族なのである)初めて四年制大学に進んだ者である。したがって,大学というものに,学問というものにものすごく強い憧れがあった。しかし,その一方で大学が実際にはどういうところかを教えてくれる人が身近にひとりもいなかったのである。困ったのは,どの学部を受験したらよいのかがわからないことだった。どんな学部があるのかさえよく知らなかったからである。
 現在のように,情報があふれている時代ではなかった。どうやって調べたらよいのかを教えてくれる人もいなかった。
 それでもなんとか大学に進学したいものだと,勉強に取り組んでいた。そこで出会ったのが小西甚一先生の『古文研究法』(洛陽社)という受験参考書である。この本は,受験生の私にとって,不思議な魅力にあふれていた。あまり受験に役立つようには思われなかったが,なぜかとても引きつけられたのである。この本だけが,受験参考書の中では異質だった。今にして思えば,学問の香りであったのだろう。
 私は『古文研究法』は,「受験参考書」というジャンルをはるかに超えていると思っていたが,『古文研究法』は現在ではなんと「ちくま学芸文庫」に入っていると,昨年,畏友の宗教学者関一敏氏に教わった。なお,小西先生は後に,大仏次郎賞を受賞された。大著『日本文藝史』のよる受賞だったが,その時の審査員のひとりは確か河合隼雄先生(言うまでもないがユング心理学の大家にして,わが国の臨床心理学の巨匠である)だったと思う。
 『古文研究法』に魅了されたので,東京教育大学(現筑波大学)の国文科へ行きたいと思った。小西甚一先生の許で勉強するつもりになったのである。今にして思えば,私を学問の世界に誘ってくれたのが,小西先生の『古文研究法』だったのだと言えよう。
 にもかかわらず,結局,私は受験できなかった。いや,私だけではない,誰も受験できなかったのである。なんと,当時吹き荒れた大学紛争のあおりで,その年に東京教育大学の入試が中止になってしまったのである。1969年のことである。実は,同じ年に東京大学も入試中止になったのである。年配の方で東大が入試中止になったのを覚えている人はけっこうおられるのだが,同じ年に東京教育大学もまた中止になったのを覚えている人に,私は未だ会ったことがない。なんとなく,釈然としない気持である。
 予備校にもいけず,自宅浪人をしているうちに,経済的不安が私を襲った。東京に出ていくという気合も衰えてきた。そうこうしているうちに,なんとなく人間を対象とした学問がやりたいと思うようになった。結局,地元に近い九州大学の教育学部に入学した。教員養成ではない教育学部というものに魅かれたのである。だから,最初はなんとなく教育学を勉強するようなつもりでいた。ところが,私はまったく知らなかったが,九州大学の教育学部には心理学があったのである。
 心理学の中でも実践的な心理学に魅かれ,成瀬悟策先生の研究室に入れていただいた。成瀬先生は厳しい先生だった。驚いたのは,何についても自分の見解を述べられることだった。もっと驚いたのは,世界の大学者がなんと言おうと,「僕は違うと思う」とご自分の意見を言われることだった。さらには,学生にも自分で考えるということを厳しく求められたのにはとても困った。
 成瀬先生のもとで学んだことは,むろんたくさんあるが,ざっくりと整理していえば,第一に「自分の頭で考える」ことであり,第二に成瀬先生が考案された動作法の誕生とその展開過程を身近にみることができたことである。
 大学院へ進んだのは,当時の成瀬研究室の先輩の増井武士氏と針塚進氏の影響が大きかったように思う。当時は大変だったが,こういう研究室で学ぶことができたことは,ありがたいことであったと,今にして思う。
 心理学を目指してきたわけではない者が,偶然臨床心理学の道に入ったわけだが,振り返れば,それはなんとも自然なことであったと今では感じている。河合隼雄先生になにかの折に,そういうお話をしたところ,自分も最初からユング派を目指したわけではない,偶然が重なってそうなった。これだけ偶然が重なると,それは必然と言ってよいと思う,と仰ったのが印象に残っている。
 定年退職にあたって,このたび,びっくりするほど,これだけ多くの方々が多様な心理臨床の実践と研究が寄せていただいた。これだけ多くの方々が,私の影響を多少とも受けて多様な活動の実践と研究を展開していることは,私にとってなによりの喜びである。素直に喜び,また感謝申し上げたい。また掲載できなかった方々にはお詫び申し上げたい。掲載できなかった方々も含め,これほど多様な人たちとのつながりに支えられてきたのだと改めて感慨深く思うことである。
 冒頭の當眞氏の論文などは,学問的巨人がその死後に書いてもらえるようなものである。巨人ならぬこの私が,しかも生きているうちにこのようなものを書いていただけるとは,退職へのご祝儀とはいえ,畏れ多い気さえする。それでも本書が,今後に種をまくことになればと願っている。
 退職記念の2冊の本が出版となるにあたって,私はいわば「学問的幸福」を感じている。
 しかし,「学問的幸福」を感じつつも,その一方で,たどり着けなった地平にも思いを馳せている。ここまではやったという安堵とともに,ここまでしか辿り着けなかったというさみしさもある。
 しかし,私の仕事は,私で終わらないと思うことで,いささか慰められている。
 本書の執筆者の方々は,今回はあくまでも私と関連があるものを書いていただいたのであり,当然ながらもっと幅広い実践や研究をそれぞれが展開しておられる。本書の論を入り口にして,それらにも関心を寄せていただければと願っている。児童養護施設等における暴力問題に一緒に取り組んでいる発達心理学の當眞千賀子氏と人類学者の飯嶋秀治氏についても,むろん彼らの仕事はこれに留まるものではない。いずれ,當眞氏も飯嶋氏もそれらの仕事をまとめて本として出版されることと思う。他の執筆者の方々も同様であろう。それらをぜひお読みいただきたい。私の仕事と,それらとを並べてみた時,読者はさらに学問の新たな世界を見ることになるのではないかと実は期待している。私がもっと先に漠然とどんなものを見ようとし,どんなものを構想しようとしていたかに思いを馳せていただければと思う。
 あるいは,私の自己満足に終わるかもしれない。それでも,私の仕事は,私で終わらない。人の生も学問もつながりのなかで展開するのだから。
 なんとかここまでこられたのは多くの方々のおかげである。とりわけ,若き日に成瀬悟策先生のもとで勉強ができたことが,言うまでもなく決定的に大きい。さらには,その時期に,前田重治先生,村山正治がいて下さったことが大きい。また,神田橋條冶先生,中井久夫先生,河野良和先生,氏原寛先生の存在と影響も大きい。他にも,門下でもないにもかかわらず,なにかと気にかけていただいたり,影響を受けてきた先生方が何人もおられた。ひとりひとりお名前を挙げることは控えさせていただくが,それらの先生方に深く感謝申し上げたい。
 定年退職とはそれまで長く勤めてきた職を失うことである。感慨深いとともに,一抹の寂しさを禁じえない。しかし,「何かを失うことは何かを得ることである」し,「何事も悪いことばかりではない」。しばし,その解放感とさみしさを味わうこととしたい。
 最後に,私が学問の道を歩むことを許し,応援してくれた両親に特別な感謝を捧げたいい。

田嶌 誠一