はじめに

 この本を手に取っていただいたのは,どのような方でしょうか。離婚家庭に関わる法律,心理,社会福祉等の実務家や研究者だけでなく,実際にこの問題に直面したことのある方もいらっしゃるかもしれません。さまざまな方にお読みいただければという願いを込めつつ,本書を読み進めていただくための一助として,@私たちが本書を訳出した理由,A本書の概要および意義,B本書を読み進める上での留意点について,簡単に触れることといたします。なお,以下のうち意見にわたる部分については,訳者の私見であることをあらかじめお断りしておきます。

@本書を訳出した理由

 訳者である私たちは,家庭裁判所に配置された行動科学系の専門職である家庭裁判所調査官として,家事・人事訴訟事件,少年事件に関与しています。家事・人事訴訟事件の中に,離婚や,それに関連する親権者,監護者,面会交流といった子の監護をめぐる紛争があります。そのような事件で,家庭裁判所調査官は,裁判官の命令を受け,両親との面接,子との面接,親子交流の観察や援助,家庭訪問,関係機関からの情報収集などを行います。調査の結果は裁判官に報告するとともに,当事者に対しても説明や開示がなされ,子の福祉にかなう解決が目指されます。
 現在,日本では,離婚全体の8割以上が当事者の協議によるもので,何らかの理由で協議による解決ができなかった場合に家庭裁判所の手続が利用されています。そのため,家庭裁判所調査官が関与する可能性があるケースには,親権や面会交流などでの主張の対立だけではなく,当事者間の葛藤の高さ,ドメスティックバイオレンスや親子交流が不当に妨げられているといった主張など,子の福祉に関わる重要な問題をはらんでいるものが少なくありません。離婚後に,親権や面会交流などをめぐる問題が再燃し,改めて家庭裁判所に申立てがなされる場合もあります。家庭裁判所で取り扱う事件には,離婚と子どもをめぐる問題が凝縮された形で表れているように感じられます。
 日本でも離婚に伴う子の福祉への社会的関心は高まってきており,平成24年4月に施行された改正民法では,離婚時に子の監護をすべき者,面会交流,養育費などを取り決める必要があること,その協議においては子の利益を最も優先して考慮しなければならないことが明記されました。また,平成26年4月には,国境を越えた子の連れ去りへの対応を定めた国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(ハーグ条約)が発効されました。離婚と子どもをめぐる問題は,国際的な動向も含めて,さらなる関心が払われる領域となっています。このような中,渡部は,アメリカの司法手続で心理学等の行動科学の知見やそれらの学問領域の専門職がどのような役割を果たしているかを見聞する機会を得ました。一方,田高は,実務でさまざまな課題に直面する中,海外の知見を学ぶことの必要性や有益さを感じ,複数のテキストを検討する中で本書に出会いました。同年に採用され,同じ職場で働く機会も持った同僚として意見交換をする中で,離婚に伴う子どもの監護に関する問題をどのように捉え,心理学的な観点からどのように評価することが司法手続に貢献するかを海外の知見も踏まえて検討することが今後さらに重要になると考え,共同して本書の訳出に取り組むこととなりました。

A本書の概要および意義

(1)本書の概要
 本書は,全20巻からなる「司法精神保健アセスメントの最善の実践(“BEST PRACTICES IN FORENSIC MENTAL HEALTH ASSESSMENT”)」シリーズの1冊です。このシリーズでは,ほかに,責任能力,目撃証言,少年の暴力リスク,児童保護など,幅広い領域が取り上げられています。ここでいう司法精神保健アセスメントについては,シリーズ第1巻で「法的判断において,個人の精神状態,能力,行動を考慮することが必要な場合に,その決定者の判断を支援する目的で,個人をアセスメントする」領域であり,@人間の能力や状況等に関する法的な定義を,心理学的・精神医学的に扱える概念に翻訳する,A主として法的手続や法的意思決定者を支援するために行うもので,一般的な臨床家−クライアント関係とは異なる構造を持つ,B法的意思決定者に情報を提供するという目的に沿った方法で結果を伝える必要があるといった特徴を持つものとして定義されています。
 本書は,司法精神保健アセスメントのうち子の監護をめぐる紛争を対象とする「子の監護評価(child custody evaluation)」を実施するために必要な知識を概観し,その「最善の実践」を示そうと試みるものです。内容的には,「基礎」をなす第1章から第3章で法的背景,心理学と法の橋渡しをする諸概念,実証的エビデンスなどを紹介した上で,「適用」に関する第4章から第7章で,子の監護評価の準備,実行,解釈,報告書作成の各段階が説明されており,子の監護評価に関する基礎的な知識が一通り得られるものになっています。
(2)本書の意義
 本書の具体的な内容に触れながら,主に3つの点に絞って,その意義について述べたいと思います。
第一に,第1章と第2章を中心に,離婚や子の監護をめぐる領域において心理学が司法手続にいかに貢献できるかという視点からの,本質的な議論が提示されています。一例を挙げれば,日本でいう「子の福祉」に相当する「子の最善の利益」の歴史的展開が概観され,「子の最善の利益」という法的概念が心理学的な構成概念へとどのように翻訳されるか,こうした構成概念を形成する諸要素や行動上の指標がどのように把握,査定されるか,心理学が言えることの限界はどのような点にあるのか等が論じられています。また,第7章で,専門的知見の法的証拠としての許容性(ダウバート(Daubert)基準など)をめぐる議論や現在の実践での考え方が紹介されています。これらは,法的な価値判断や基準と心理学的な概念がどのような関係を形成するか,心理学が現実の法的問題の解決にどのような貢献ができるかを考える基盤となるものであり,日々「子の福祉」をめぐって頭を悩ませている日本の実務家にとっても,視点を整理し,実践の拠り所を見直す上で,有意義と思われます。
 第二に,第3章を中心に,アメリカにおける離婚やその後の子どもの適応をめぐる多様かつ最新の学問的知見が,子の監護評価の実践と関連付けながら紹介されています。文化・民族,親の精神障害やアルコールや薬物といった物質乱用に多くの紙数が割かれているのは,これらの問題に悩むアメリカの実情を反映したものと言えますし,他のテーマについても,文化的背景や法制度が異なることが前提です。そのため,ここで紹介された学問的知見がそのまま日本においても妥当するとは限りませんが,離婚と子の問題に関する実証的エビデンスや知見の少なさに悩むことの多い日本の実務家にとって,仮説形成の一助として示唆に富むといえるでしょう。また,日本における今後の研究テーマや方法論を検討する上でも参考になると思われます。なお,これだけ多数の研究成果があっても,個々の事例における子の監護の将来予測は困難で,そのケースの家族の歴史,子の発達,その地域(司法区)の実践に基づいて総合的に意見を形成するほかないとも述べられており,実証的研究と臨床実務を連動させ,個別ケースに即して意見を形成するという専門的実践の重要性と責任についても改めて認識させられます。
 第三に,本書の後半の第4章から第7章で,子の監護評価の着眼点,情報収集の方法,解釈を行う上での原則,報告書のまとめ方等の実務が,基本的な考え方から説き起こされています。特に,事実の把握や評価をめぐる基本的な考え方が明確に整理されている点は有用です。本書で紹介されている子の監護を考える上での基本的着眼点,例えば,親の不貞や精神疾患等が存在する場合には,そうした問題自体ではなく,それが親の個別具体的な養育能力や子のニードへの応答性をどのように低下させるかが重要であるといった着眼点を,当事者の代理人も含めた実務家すべてが意識できれば,よりいっそう,子の福祉に適う紛争解決が実現されやすくなるでしょう。また,見聞きした情報やそれに基づく推測を文書化する際の「叙述」と「解釈」の違い,解釈の限界,複数の情報源からの総合的な情報収集を踏まえた評価の大切さなども改めて認識しておくべきと思われます。

B本書を読み進める上での留意点

 このように,本書の内容は日本の実践を見直す手がかりとなるものですが,読み進めるに当たり,次のような点に留意していただく必要があります。
 ひとつは,司法精神保健アセスメントは法制度等のあり方と密接に結びついており,その理解に当たっては,日米の法制度,司法実践,そうした実践を支える社会的態勢の違いを十分に認識しておく必要があることです。アメリカでの歴史的経過と現状は第1章で取り上げられていますが,日本との相違として把握しておくべき点として,州によって違いはあるものの,離婚そのものに限っても,@日本のような協議離婚制度はなく裁判所の手続を経る必要がある,A離婚後は共同親権が前提であり共同監護の選択肢も各州で導入されている,B離婚にあたって離婚後の養育上の意思決定権や養育時間をどう割り振るかを養育計画(parenting plan)として詳細に定めることが一般的となっている,C養育計画策定のプロセスの中で親教育プログラムを受講することが各州で義務化されつつあるといったことが指摘できます。また,離婚後に関しても,@子を連れて転居する際には非監護親の承諾や裁判所の承認が必要とされている,A離婚後も紛争性が高い家庭を対象に,ペアレンティング・コーディネーター等の代替的紛争解決の取り組みが発展しつつある,B養育費の支払いを確保するための制度が1970年代から拡充され,定着している,C面会交流を支援する民間機関等が1980年代から現れ,その後広まっている等の違いがあります。このようなことは,本書に直接的には記載されていませんが,どのような実践が可能または有効かを考える際には,こうした諸制度やインフラの違いを認識しておくことは不可欠です。
 二つ目は,子の監護評価は,離婚に伴う子の問題を解決するために用意されている多様な選択肢のひとつに過ぎないことです。本書の第3章で,子の監護評価が行われるケースは離婚する親の5%程度と推定され,紛争性が高く,抱えている課題や困難も大きい家庭であると紹介されています。子の監護評価が行われるまでには,家庭裁判所が提供する親教育プログラムや養育計画のひな形などを踏まえ,当事者間あるいは弁護士を介した協議が行われ,協議で合意に至らない場合には調停等の裁判外紛争解決手続が積極的に利用され,裁判に至った場合でも,和解の試みがしばしばなされます。精神保健の専門家として子の監護に対する意見を述べる立場とは異なりますが,弁護士による子の代理人,弁護士や精神保健専門職による訴訟後見人(guardian ad litem(GAL))が,手続き的な側面から関与する場合もあり,離婚と子どもをめぐる紛争の解決においては,なるべく対審的な構造を避けて子の福祉や家族の再構成につながる解決を図ることが各段階で目指されています。また,本書で紹介されているような包括的な監護評価には,高額の費用がかかること,評価に長期間を要すること,紛争の解決が遅れたり対立的構造が明確になったりする結果かえって家族の緊張が高まること等のデメリットも指摘されており,近年は,評価の対象を限定する,短期的で焦点化されたアセスメント(Brief Focused Assessment(BFA))が関心を集めつつあります。こうした取り組みも,専門職の柔軟な活用を目指すものとして注目されます。
 三つ目に,研究をめぐる状況,例えば,離婚と子どもの問題に関する実証的研究の充実度なども,日米で大きな違いがあります。第3章で取り上げられているように,アメリカでは,1970年代後半から親の離婚を経験した子どもに関するさまざまな研究が行われてきましたが,日本では,家庭裁判所における実務に即した研究を除けば,海外の知見の紹介や事例検討はなされていたものの,心理学的な観点からの実証的研究は2000年代中頃から取り組まれ始めたという状況です。また,家族をめぐる文化・社会学的な日本の特色,例えば,男性の家事・育児時間の短さや,女性の労働力率が30歳代で低下するという特徴,それらの背景にある性別役割分担意識なども,離婚前後を通じた夫婦あるいは父母としての役割,そして,その中で育つ子どもの福祉や適応等を左右する要素になると思われ,日本の実情を踏まえた研究が積み重ねられていくことが望まれます。
 これらの点を踏まえると,日本とアメリカの状況を安易に比較したり,アメリカの実践や研究を「直輸入」したりするのはやや乱暴であり,本書の考え方や方法論のエッセンスは日本でどのように活かせるかという観点から実務や研究を見直していく姿勢が大切であろうと考えます。

おわりに

 以上,本書の概要,意義,留意点等を取り上げましたが,本書は,アメリカでの実証的研究と実践枠組みをもとにした子の監護評価の実践を簡潔に示すものであり,この領域の研究や検討の入り口,レファレンスとしての役割も果たせるものと考えています。そして,本書で述べられている実践のエッセンスや基盤となる考え方には,制度や文化の相違を超えて共通するものが多々あります。今後,不毛な主張の応酬を通じた紛争の悪化という事態を減らし,当事者や子どもの福祉につながっていくよう,法律,心理などそれぞれの専門や立場を踏まえた協働の材料として本書が役立てば幸いです。また,離婚と子どもをめぐる問題は,取決めがなされてからも長く続くものであり,法的な権利義務関係の整備だけで解決されるものではありません。この問題の重要性が社会で広く共有され,離婚と子どもをめぐる問題を支援していく態勢が整えられていくよう願うとともに,その際に本書が何らかの参考となれば,訳者として望外の喜びです。
 なお,翻訳作業では,すべての章について両名で検討しました。この領域に特有の言葉もありますので,初めに巻末の主要用語に目を通していただければ,読み進めやすいのではないかと思われます。心理臨床の中では特殊ともいえる本領域の意義をご理解いただき,また,若手の一実務家に過ぎない我々に翻訳する機会を与えていただいた金剛出版の立石正信社長,担当していただいた高島徹也氏に心からお礼を申し上げます。

2016年4月
田高 誠
渡部信吾