私が古澤先生に師事したのは終戦の翌年、昭和二十一年秋から昭和二十七年春までの約五年間、先生の五十代前半の頃で、体力、気力、経験すべてが充実した時期でした。今回私の語る古澤先生像からは、先生の激しい感情面と鋭い直感による判断が際立って感じられるかもしれませんが、先生の晩年は正に生き仏様といった円やかな様相で治療に当たっておられたと聞いております。それは先生の生来の念願である「親鸞の心」が、そのまま「母性愛」といった「柔軟心」となって表れたものと思われます。その心が患者の悩み・苦しみ・悲しみを融かして浄化(カタルシス)・昇華(サブリメーション)して症状が消えてゆくのでありましょう。
 私の仏教の恩師である金子大榮先生は、「念仏は普遍の法と特殊の機の呼応である」と、教えて下さいました。普遍の法は如来大悲、、の心であり、特殊の機は私たち一人一人の心、悲しみの心であります。呼応とは相応、対応、感応のことであります。即ち、如来の心と私たち一人一人の心がお互いにぴったり感応し合うことによって、病状や苦悩が解けてゆくということと申せましょう。「讃阿弥陀仏偈和讃さんあみだぶつげわさん」(親鸞作)の中に、

光雲無碍如虚空こううんむげにょこくう 一切いっさい有碍うげにさはりなし
光澤こうたくかぶらぬものぞなき 難思議なんしぎ帰命きみょうせよ
清浄光明しょうじょうこうみょうならびなし 遇斯光ぐしこうのゆゑなれば
一切いっさい業繋ごうけものぞこりぬ 畢竟依ひっきょうえ帰命きみょうせよ

とあります。すべてのストレスは消え、すべてのコンプレックスはなくなるということです。
 古澤先生の卓越した直感によって一貫して説かれた仏教精神分析の理念とその技法の一端が、私にもようやく垣間見えてきたような気が致します。ここに、古澤先生の「感応療法」の精神が顕現しているということであります。
 この書を謹んで恩師古澤先生の御霊前に捧げ、心から御礼申し上げたいと存じます。

平成二十六年九月二十三日
秋彼岸中日拝記 永尾雄二郎