「訳者解説」より

1.ウィルフレッド・ビオン(1897-1979)

 集団力動理解の画期的な先駆者として,さらには英国精神分析の源流メラニー・クライン直系のサイコアナリストとして著名なビオンについては,わが国でもすでに幾度かの紹介がなされてきています。くわしくは,『ビオン入門』(岩崎学術出版社)と小此木啓吾先生による「監修者まえがき」,高橋哲郎先生による「訳者あとがき」,本書の前著『ビオンとの対話──そして,最後の四つの論文』(金剛出版)のなかの祖父江典人氏による「訳者あとがき」,私自身の「招待(まえがき)」,それに「ビオンの年譜」,「ビオンの著作」,さらには福本修氏による『精神分析の方法』(法政大学出版局)の「解題」や「訳者あとがき」を参考にしていただきたいと思います。
 集団精神療法が語られるとき,ビオンの業績は言及されないことがまずもってないほど重要なものとして今日位置づけられていますが,精神分析においても,ビオンの業績はますます重要視されてきています。英国精神分析の大きな潮流に,メラニー・クライン−ウィニコットという流れがあることをH・ガントリップは前面に打ち出しましたが,しかし今日,クライン−ビオンの流れも確実に認識されています。さらにケースメントやオグデン,ボラス,ブリトンらのアナリストに見るように,この両潮流が合流してきているところが今日の展開でもあるようです。
 ウィニコットはスーパーヴァイザーであったクラインと常に対峙しながら,彼自身の考えを練り上げていきました。一方ビオンは,教育分析家であったクラインの考えをカントやヒューム,ポアンカレといった哲学者や数学者の考えと同様に精神分析臨床を理解するための概念として活用しつつ,卓越した観察力と思考力を活用し,独自の精神分析観,メタサイコロジー(無意識部分を含めたこころ,人間についての理解)を築きました。本書を読まれると実感されることと思いますが,ビオンの語ることば,そしてその内容は誰とも似ておらず,まさにビオンその人としか言いようがありません。さらに彼の著書も同様に独自で,かつまた妥協を許さない文体によって綴られているため,難解に感じられます。ひとつの見方をするなら,ビオンから学ぼうとするサイコアナリストたちの現在の研究は,ビオンの業績理解の途上にあると言えるようです。ビオンの人間観,メタサイコロジーという手の届きがたい金鉱をなんとか掘り当てようと苦心しているかのごとくです。そして,手の届いた人は確かに何かをつかんでいます。
 このようにビオンの死後20年以上を経て,いまだビオンの精神分析の解明はその途上にあります。

2.本書の位置づけ

 ビオンの最重要著作としては,1960年代に書かれた四つの著書──『経験から学ぶこと』『精神分析の要素』『変形』『注意と解釈』(これらは『精神分析の方法(セブン・サーヴァンツ)』として合本にされ,出版中です)──と,メSecond Thoughtsモ ──50年代に書かれた精神病の精神分析論文集,その8編のうち3編はE.B. スピリウス編『メラニー・クライン トゥデイ①,②』(岩崎学術出版社)に収められています)があげられるでしょう。これらは,ビオンが精神分析の経験から学んだことを熟考を重ねて概念に変形していった作業の大きな成果です。つまり,その日の分析を終えたビオンが机に向かって思索し練り上げた作品です。思索家ビオンがそこにいます。
 一方,本書はそれらの著作とは相補的な関係にあると言えます。ビオンの直接の精神分析セッションがそのまま描かれているわけではありませんが,精神分析臨床にたずさわっているビオンの姿がもっとも生に表し出されているものです。南米のアナリストが提示するケースについてのビオンのスーパーヴァイジングが見られます。ビオンはあくまでプレゼンターの主体性を尊重しながらも,自分ならこうとらえる,こう考えていく,こう解釈するというところを実践的に述べていきます。そのときはほとんど面接室の中のビオンがいるようです。即答の妙があります。ここには臨床家ビオンがいます。
 ビオンの南米や北米でのセミナーやレクチャー,討論を整理した書籍は メBrazilian Lecturesモ(ブラジリアン・レクチャーズ)など出版されていますが,ケース・プレゼンテーションから始まる臨床セミナーは本書だけしかありません。その点で,本書はとても貴重な書です。
 もともと本書は,『臨床セミナーと四つの論文』としてビオン未亡人の手によって1987年に英国のFleetwood Pressから出版されています。その後,ビオンの全著作を整理統合して出版し始めたロンドンのカーナック・ブックスによって『ビオンとの対話』が加えられて,1994年,“Clinical Seminars and Other Works” として出版されました。これが今回の訳出の原本になってます。Other Worksとされた『ビオンとの対話──そして,最後の四つの論文』はすでに,祖父江典人氏の訳で金剛出版から出版されていますので,今回の本書『ビオンの臨床セミナー』の出版によって,1994年の原本は完全な形で出版されたことになります。

3.ビオンの精神分析臨床

 ビオンはもともと精神分析や心理療法に関心があって精神科医になった人のようですが,集団研究などですでに名声は響き渡っていながらも50歳を過ぎてアナリストとしての資格を得るまでには,かなりの紆余曲折がありました。
 それには第二次世界大戦といった歴史的事情も影響しました。たとえばこの戦争のためビオンはジョン・リックマンとの教育分析を中止せざるを得ませんでした。しかしながら,ひとつにはビオンの性格からいって,アナリストとして充分に納得の行く自分を確立したいとの内的要求が彼自身の中に強力にあったためと思われます。そして,それをやり通したのです。もっとも,クラインとの分析のなかでビオンは「もうアナリストになるのをやめることにした」と言ったこともあるのですから,そこには大変な苦闘があったに違いありません。
 結局,ビオンはクラインの教育分析を経て資格を得るのですが,このクラインとの分析もビオン自身が納得したところで終結にしています。それを受け入れたクラインも懐の深い人であったのでしょう。
 ですから,ビオン自身には,クライン派とかといったグループ意識はなく,「サイコアナリストとしての自分」という感覚が何より尊重されるものであったようです。祖父江氏も西海岸のアナリスト,グロットスタインのことばとして紹介していますが,英国のアナリスト,故ジョン・パデル先生からも,ビオンは「私はクライニアンではない」と言ったと聞きましたし,ビオンの分析を受けたあるアナライザンドによれば,ビオンはまったく,いわゆる「クライン派風の」解釈をしなかったとのことです。ビオンは自分を知り,自分であったサイコアナリストでした。
 それは,本書『臨床セミナー』でもはっきり認められます。とにかくビオンは,驚くほど自由に考えます。内的なあるいは外的な禁止や非難,道徳的批判,あらゆる種類の不安や恐れといったものに支配されない抑制を欠いた本物の自由連想ができるようです。ここに精神分析の専門家としての思考の自由があります。おそらくこれがクラインとの教育分析から学んだものでしょう。ビオンはクラインを「抑制を欠いた黒猫」として語っていました(論文「フロイトからの引用について」『ビオンとの対話』に収録)。またときに,とても自由奔放に語ります(もちろん,精神分析セッションでアナライザンドに解釈するときは自由ではあっても奔放ではありません)。そして,そうであるにもかかわらず,その自由な思考や発言に必ず根拠と責任を付随させているのです。つまり抑制を取って自由に空想し考えながら,同時に自分に浮かび上がった考えや感情の起源を,自己分析との重なりで常に知覚し思索しているのです。
 この自由さということにおいて,援助者としての情熱的な使命感や救済者たろうとする願望からも,ビオンは自由です。精神分析の治療としての限界を見つめつつ,みずからが救世主となる宗教化にも気をつけています。もちろん,本書での討議のやりとりからもわかるように,このことは彼が冷たい知的なだけの人であるということではありません。アナライザンドがみずからの真実を知ることが,精神分析にできることであると彼は確信しているからです。この点で,ビオンはフロイトの姿勢を確実に踏襲しています。
 ビオンは精神分析の臨床のまさにその場面で起こっていることを大変尊重します。いわゆる “here and now” とされていることのようですが,今ここでの表面的な応答にこだわったり流れてしまうのではなく,その場にあるにもかかわらず見えない,におえない,触れられない,しかし確かに存在する情緒や考えというものに事実があり,それを浮かび上がらせる作業を大切にするのです。臨床のこの場面にこそ確かな事実とその証拠があるのです。ここにビオンの臨床の真骨頂を見る思いがします。ゆえに,そうした事実を見逃さないアナリストの努力と訓練を彼は強調しています。
 この訓練の成果についてのビオン流の表現のひとつが「記憶なく,欲望なく,理解なく」(『メラニー・クライン トゥデイ③』に収録)です。つまり私たち治療者の個人的な欲望(そのアナライザンドについてのこれまでに蓄積された素材や認識に今の事実を辻褄合わせしたいとの願望,これからこうあって欲しいと望む治療者の願望,アナリストがすでに概念化してしまっているアナライザンドについての見解)にとらわれない態度を保つことで事実が見えてくると言うのです。ビオンの見解のこのあたりの表現様式は,前田重治先生が『「芸」に学ぶ心理面接法』(誠信書房)に紹介された世阿弥といったわが国の芸人たちの芸論と共通する禅の匂いが感じられます。ですからこれらの感覚は,西洋文化圏の人たちより私たちの方が身近にとらえやすいところもあると思います。
 この臨床姿勢は,ビオンに「直観」というものを強調させることになります。しかし,もちろんビオンの語る直観は,その場での思いつきでは決してなく,人としての誠実なあり方,さらには厳格かつ忍耐強く積み重ねられた精神分析訓練と臨床経験の長い蓄積の賜物としての直観です。つまりそれは,長年のこころの作業が成し遂げて無意識に準備しているものが,それが実感される機会に出会って意識せず自然に浮かび上がってくることなのです。ビオンは精神分析臨床場面での「想像的推測」や「合理的推測」の重要性を述べてますが,これらの推測が瞬時に表現されるものが,「直観」と言えるのでしょう。
 ビオンがアナリストとして「解釈」という技法を重要視しているのは明らかです。そして彼の解釈は独創的なものです。アナリストは,その意味が陳腐なものになっていない自分のことばを作り出さねばならないと彼は言います。
 ビオンは解釈によって,アナライザンドにとっての真実を明瞭な形で伝えようとします。その過程においては,アナライザンドがアナリストに見ている主観的事実を解釈することもあれば,アナライザンドが語ることが真実から離れているときには,はっきり違っていることを伝えもします。また,事実を尋ねる率直な問いかけもしています。ここで大切なことは,ビオンは解釈の場面において,皮肉や揶揄やあいまいさを厳密に回避しようとすることです。この真実の追求こそが精神分析の時間を費やすに値する行為であると,ビオンは考えているからなのでしょう。
 また,解釈はアナライザンドにその場ですぐに理解されなくともよいとの見解をビオンは抱いています。その場ではわからなくても,それが真実であればいずれアナライザンドは理解に行き着くとのことです。これもクラインとの分析を通してビオン自身が体験したことです。ビオンによる解釈のこざかしさのない深みはここから来るのでしょう。
 精神分析での真実を知る活動において,ビオンはアナライザンドのふたつの自己――現実原則に沿った自己(非−精神病パーソナリティ)と快感原則に沿った自己(精神病パーソナリティ)――を想定して,解釈します。このふたつの自己とビオンとの対話を通して,真実が浮かび上がってくることのようです。
 ビオンは治療構造をアナリストとして厳密に守ります。週5日の精神分析セッションを時間に厳密に始め,厳密に終わります。サンパウロでのセミナー「24」のなかで,50分間セッションに45分遅れてやってきた男性のことをビオンは語りますが,彼はきちんと5分後に終わります。しかし,ビオンは治療者として構造に厳密なのであって,アナライザンドはその時間を自由に使ってよいこと,すなわちセッションに遅れたり来なかったりがあってよいことを受け入れます。それらの行為を批判,非難するのではなく,それもその人を知るための事実として検討するのです。この点においても,ビオンはアナライザンドにおもねません。「そうしたいのなら,あなたは(この面接室から)出て行けます」とアナライザンドの自由な選択を示唆します。
 これはクラインを反面教師として学んだことでもあるようです。ビオンがクラインの分析を受けていたとき,ビオンは肝臓を患い分析に通えなくなっていましたが料金は支払っていました。そこである日,彼のセッション時間に行ったのですが,クラインはいなかったとのことです。またこれは若いころのビオンと明らかに変わっていったところです。医学部を卒業して4,5年目のビオンが若き,のちのノーベル文学賞受賞戯曲家サミエル・ベケットの心理療法を行っていたとき,彼は青年患者ベケットをタビストック・クリニックでのユングの講演に誘って一緒に行きました。その後の歳月を経て,ビオンは治療者のアクティング・アウトが精神分析には有害であることを経験から学んだのです。
 ビオンはサイコアナリストとして働くときには,アナリストとして個々人が自分に適う厳格な規律を持つことを求めています。そうした規律は,アナリストとして働く以上はその人自身が創り出すべき,不快だが必要な専門家としての枠組みと考えているからです。このため,プライベートな生活においてはアナリストではないことを求めています。そこではくつろげる普通の人であるようにとのことです。

 本書を読まれる方にひとつだけお願いしたいことがあります。できたら,本書を一度にさっと読み通すようなことはせず,毎日ゆっくり少しずつ,たとえば2,3のセッションずつじっくりと読んでいただけたらと思います。そのやり方が,私たちの日々の臨床にこの書が一番生きるように思えるのです。
 ……

   2000年3月 
 松木邦裕