あとがき

 『パチンコで借金を繰り返している息子はひょっとして依存症なのではないかと思い,地元で治療を受けられる病院・クリニックがないか必死で探しました。県内にはひとつもありませんでした。どうしたらよいのか頭を抱えていた時に,ギャンブル依存症に詳しい先生が県外から定期的に来ていることを知り,これでやっと救われると思いました。望みを託してその先生に診てもらいに行きました。しかし,その時,開口一番,「ギャンブル依存症です。一生治りません」と言われたショックは忘れられません。本人も家族も将来真っ暗になりました。そのあとに続いた説明はほとんど頭に入ってきませんでした』
 この後しばらくして私のいる病院に相談に来た家族からお聞きした話です。残念ながら,こういう思いをした家族は少なくありません。なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか?
 私のような精神科医を含め,相談を受ける立場の人間は,相手がどのような経緯で今ここにいるのかに気を配り,その胸中に思いをはせることをともすれば怠りがちになります。いきなり問題行動だけに目を向けてしまいがちです。問題があるのだから相談にきて当たり前なのではない,相談にたどりつくまでどれほどたいへんだったかということを家族の経験から教わるのです。援助で大切な心構えに気づかされます。困り果てて相談に来ている相手に対して,今最も必要なことは何か。それは家族のこれまでの苦労に対するねぎらいと将来に対する根拠のある希望です。具体的に伝えるべきことはたくさんありますが,何からどのように伝えるか,これを伝えたときに相手がどう受け取るだろうかということについて思いがいたるような細やかな心が必要です。まず伝えるべきは,ギャンブル依存症は病気だが,方法をもってすればなんとかなるということです。回復することに希望があって初めて意欲が湧きます。一援助者として心に刻んでいることです。「依存症=一生治らない」と治療や援助の入り口で言われ,その場から遠ざかってしまうことがないようにしていきたいと肝に銘じています。
 相談に来る家族には本人の問題行動がよく見えます。しかし,問題行動しか見えなくなるという罠がそこには潜んでいます。私たちも同様です。問題行動に気づき,洗い出すことには長けていても,相手の持つ健全な部分を見落としがちです。ギャンブル問題解決に不可欠,なのは,解決に重心を置いた見方・考え方です。解決に必要なものはその人の健康的な部分にあります。そこを強化するやりかたが長期的には最も効果があります。依存症に意志や根性や罰は効果が薄いと何度もこの本に書きました。「〜なるといやだから,止めておこう」はブレーキによる行動修正です。きっかけとしては有効です。そこから「〜な暮らしがしたい」「〜な関係を築きたい」「〜な生活がいいな」への転換が必要だと思っています。これは簡単なことではありませんが,意識して考える習慣をつければなんとかなると思います。
 地元にあるGAのミーティングにはできる限りオブザーバーとして参加し,話を聞かせてもらっています。学ぶことが多いです。ギャンブルにのめりこみ,どうしてもそこから離れられない心のさまざまな動きを知ります。ギャンブルの邪悪で甘美な世界が簡単には忘れられないという心理を見ます。ギャンブル脳が回復していく過程も見せてもらっています。正直であることが回復に最も大切だということを確信したのもミーティングを通してでした。本人の内面の作業として最終的にクリアしていかねばならないのは「バレなければいいだろう」という考えだと私は思ってます。
 もう一つ答えをださなければならない問いは「金があれば幸福になれるのか?」ということです。ギャンブルには金がかならずからみます。ギャンブルの欲求の一つに「射幸心」が語られます。しかし,これは言葉の使い方を間違っています。「幸せ(あるいは幸運)を射抜く」という意味から来ているのでしょうが,ギャンブルによって得られる金で幸せは射抜けません。幸運でもなんでもありません。幸せとはなにかということからまずは考え始めなければなりませんが,まぐれ当たりで金が手に入ることに「幸」という言葉を使ってきたことで,なんだかそんな気分になってしまうということも大きいのではないかと思います。そんな気になるだけで,「あぶく銭」は必ず人を困らせます。ギャンブル問題が深刻化するきっかけは間違いなく「大勝ち」です。そして,その時に得た大金はさらなる賭け金になるだけです。幸せとか幸運とかとは全く縁遠い世界です。自分の中に確固とした価値観(生活哲学)を築き上げる必要があると思っています。
 この2つの大きな問いは本人だけの課題ではありません。自分自身への問いかけでもあります。人として生きる上での大切な問いかけです。依存症はそのことを訴えかけれくれる病気だとも思っています。
 ミーティングで毎回すばらしいと感じるのは,その人の体験がほかの人の回復に役立つということです。ギャンブル問題の体験なので深刻であり悲惨でもあり,人でなしと思われても仕方ないというような体験があります。できれば自分の心の中だけにとどめておきたいと思ってしまうような体験です。しかし,それをあえて語ることで自分自身が回復していきます。心をオープンにする実践が大きな変化を生みます。魂の回復という表現が最も適しているように思います。そして,その体験談がほかの人の役に立つのです。ミーティング参加者には当たり前のこととして実感されていると思います。大袈裟ですが,この関係性こそ今の社会に欠けているものだと思います。問題を起こす人を簡単に排除してしまえるような思考ではありません。どの人からも学べる,学ぼうとする姿勢が豊かな社会を生むのだと思います。ミーティングはそれを体現している場だと私は受け止めています。
 この本のために聞き取り調査をしてもらった当院の頼もしいスタッフ,坂東さん,荒瀬さん,藤本さん,有持さん,友成さんに感謝します。

2016年8月
吉田 精次