本書は,1961 年に出版された,ウィルフレッド・R・ビオン(Wilfred Ruprecht Bion[1897-1979])によるExperiences in Groups の全訳である。ビオンは,主に軍病院でのグループ経験から,特にグループを全体として支配するようになる無意識的幻想に着目し,独自の集団論を構築するにいたった。本書は,それについてビオン自身が体系的に論じた唯一のものである。著者自身本書において言及している通り,本集団論の中核的概念である「作動グループ」と「基底的想定グループ」は,それぞれ,フロイトが提唱した「自我」と「イド」に対応する概念といえる。その点からだけ見ても,本書は,グループのメタサイコロジーに関する古典であり,さまざまな応用を経て発展していくことはあってもその影響力が衰えることはないだろう。
 実際のところ,本書を参照している研究の多くは,精神分析や集団精神療法に関するものであるが,本書からの恩恵を受けられるのは,それらの専門家だけに限らない。家族のような小グループから国家のような大グループまで,さまざまなグループ(組織,共同体など)に所属することを逃れられる者はいない。メンバーとしてのグループへの適応,グループ内におけるメンバー(人材)のマネジメント,そして所属するグループの発展について考えるすべての人は,本書から学んだことをそれぞれの立場で実践に生かすことができるだろう。ビオン自身,彼が本書において提唱した理論の検証を,読者が実際に所属しているグループから得られるデータにあたり行うよう繰り返し勧めている。
 ビオンは,個人精神分析の場合と同様,主観的反応に基づくグループの理解を何よりも重視した。一方で,そういった方法で得られたデータがエビデンスに関して直面するであろう困難さについても自覚していた。それが,主観は悪くて客観は良いという「分裂」だとすれば,それもまた,現代の心理学研究という共同体を支配する幻想のひとつとして理解されるべきなのかも知れない。
 監訳者であるハフシ・メッド(Hafsi Med)先生は,応用精神分析,すなわち,精神分析的な理論やモデルに基づく実証的研究という方法でこの困難さを乗り越える努力を続けられた。先生は,主に大学で長年にわたり実践されたグループでの主観的体験を中心に据えながらも,そこから得られるデータをより客観的に測定したり扱うための方法を常に模索しておられた(▼ 1)。「原子価論」(valency theory)は,その仕事における特に重要な成果のひとつであり,ビオンによる集団論の全体としての発展にも大きく貢献するものである。ビオン自身が本書において「基底的想定を共有し実行するための,瞬間的かつ不随意的な,対人間の結合」(p.140)として僅かに触れるのみであった「原子価」の概念を,ハフシ先生は,グループと個人との相違を否定したフロイトとビオンの考えに従い,グループに限らずあらゆる対象との関係を構築するための手段と位置づけ,その発生・発達過程,類型,臨床への応用などの体系を原子価論としてまとめられた。そして,文章完成法による「原子価査定テスト」(valency assessment test)の開発を行われた(▼ 2)。 原子価論は,主観と客観だけでなく,個人とグループとの間の壁を乗り越える,あるいはそれらを繋ぐことを可能にした。現在まで,さまざまな個人的な心身の疾患やグループにおける問題行動について,原子価論の観点から多くの研究が行われている。ハフシ先生の仕事についてこれ以上詳細を述べることはできないので,直接先生の著書にあたっていただきたい。計画されていた数々の研究をおこなうことなく,また本書の完成を見届けることなく先生が亡くなられたことは,無念の極みである。本書や,そこからの発展としてハフシ先生が残された仕事が,訳者を含む多くの人に変形され生かされていくことを望む。 本書の邦訳が試みられたのは初めてのことではない。1974 年に2 つの出版社から邦訳版が出版されたが,いずれも絶版となっており,入手し辛い状況が続いていた。改めて翻訳を行うにあたり,前に出版された2 冊の邦訳版を参考にさせていただいた。精神分析の用語については,『精神分析事典』(岩崎学術出版社)を参考にした。『精神分析事典』に掲載されていない用語については,主にハフシ先生の著書を参照した。
 監訳者の意向に従い,過剰に平易な文章に意訳することを避けた。ビオンは難解だとよく言われるが,彼の表現が難解なのではなく,彼が扱っている現象が難解なのだというのが,ハフシ先生の口癖であった。それとは異なる意味で,伝わりづらい点や誤りがあったとすれば,それらの責任はすべて訳者にある。お知らせいただければ大変ありがたい。
 金剛出版の藤井裕二氏は,大変丁寧に編集作業をしてくださった。監訳者を失った訳者らが作動グループの機能を取り戻すまで辛抱強く見守ってくださった。記して感謝します。

黒崎優美


▼ 註 1―「Bion の仕事を勉強していくことは,まさに一つの精神的な闘いである」(ハフシ・メッド(2003)ビオンへの道標.ナカニシヤ出版,p.3) 「D −グループ〔アンジュー(Anzieu, D.(1984)Le groupe et l’inconscient : L’imaginaire groupal.Paris : Bordas)の実践による“group de diagnostic” に修正を加え著者が考案した精神分析志向のTグループの様式と技法〕には幾つかの目標と効果がある。最も重要なのは,@参加者にとっての教育的価値,A観察者にとっての訓練的価値,B研究の目標,C参加者にとってのカタルシス的効果と洞察的効果,D心理療法へのイニシエーションの効果である。D −グループは,グループの「愚かさ」あるいは「基底的想定グループ」の発生と演出を研究するのに理想的なアリーナであろう」(ハフシ・メッド(2004)『「愚かさ」の精神分析―ビオン的観点からグループの無意識をみつめて』ナカニシヤ出版,p.20)  「困難なことは,グループが大きくなればなるほど,愚かさがグループ外の者にとっては目につきやすくなるが,愚かさを示しているグループにはそれがみえなくなるということである。すなわち,適切な介入があれば,小グループや個人が愚かさに気づき,それをやめることを試みたり,あるいは,エディプス王のように責任を取ったりする。しかし,社会や国のような大グループの場合,愚かさがグループ外の者にとって非常に明確に見えるが,グループ・メンバーはそれを認識することができない。したがって,それに対して責任を取ろうとしない。なぜならば,大グループの場合,愚かさが非常に広がりやすいので,グループの感覚器官を越えるようになるからである。その結果,グループは自分の愚かさを否認したり,偽科学や道徳,宗教そして運命まで頼って,それを正当化しようとする場合が多い。[…]小グループの愚かさと大グループの愚かさの違いは質的な相違ではなく,量的なものである。物質的,人身的損害からみれば,大グループの愚かさの方が高くつき,常に人間の存続に対する脅威を構成している。人間は,そのような脅威に負けず勝たず,それと共存し続けている。グループにとって,愚かさによる脅威に勝つことは,自分に勝つことになる。なぜならば,グループが闘ったり,避けたり,依存したりする相手は,グループの外にあるのではなく,グループ内に存在するからである。つまり,グループの挑戦すべき相手はグループ自身である」(ハフシ・メッド(2004)「あとがき」.In『「愚かさ」の精神分析―ビオン的観点からグループの無意識をみつめて』ナカニシヤ出版)

2―「原子価論は,人間がなぜ闘ったり(闘争),逃げたり(逃避),人に頼ったり(依存),性交を望んだり(つがい)するのかという問題を新たな頂点から理解するための論説や示唆を提供している。原子価論から見れば,これらの行動や態度とそれらの基盤となる「生の本能」と「死の本能」は,個人内の基本的な要素よりも,むしろ原子価に含まれる要素である。生の本能は,依存の原子価とつがいの原子価に,死の本能は,闘争の原子価と逃避の原子価に含まれると考えられる。[…]原子価論は,対象関係的な理論であるが,主体が対象と結合することを当然として考える他の理論と異なる。これらの理論は,主体と対象の結合,または「絆」において体験される幻想や防衛機制等の心的事象を明らかにしようとする。しかし,原子価論の中心は,成立した絆よりも,それを可能にする要素,すなわち原子価である。したがって,原子価論が示唆しているのは,原子価がなければ,正常なものにせよ,病理的なものにせよ,人と人の絆が有り得ないということである」(ハフシ・メッド(2010)『「絆」の精神分析―ビオンの原子価の概念から「原子価論」への旅路』ナカニシヤ出版,pp.224-225)「VAT〔VAT(Valency Assessment Test):原子価の構造を測定する目的で著者が考案した投映法による文章完成法テスト〕を受ける目的は,VAT 実施の練習と自己発見及び自己の原子価構造を認識することである。従って,VAT を実施する者に期待されることは,上述の問題点を意識し,バイアスを抑え,なるべくあるがままの自己が反映されるように努力することである。[…]では,始めましょう!」(ハフシ・メッド(2010)『目に見えない人と人の繋がりをはかる―原子価査定テスト(VAT)の手引き』ナカニシヤ出版,p.62)