まえがき

 バリントが最後に出版した本の邦訳に「まえがき」を書くことが許されて大変嬉しい。私はバリントの書いたものは大体読んでいたつもりだが,この本は読んでいなかった。したがって彼がこの本の中に私の仕事に言及していることはこれまでまったく知らずにいた。今回、訳者の中井さんからそのことを指摘されて大変驚き,早速中井さんの好意で原著を読ましてもらった。そして今更ながらこれをもっと早くに読んで生前の彼にお礼の手紙を書いておかなかったことが悔やまれる。
 私がバリントの名を知るようになったのは,一九五九年のある日,国際キリスト教大学の図書館の書架に彼の著書『最初の愛と精神分析技法』を見かけたのが最初である。私はこの題名魅せられて本を借り出したのだが,その後これを読むにつれて彼の説くところがことごとく私の臨床経験に合致するように思われて異常な興奮を覚えた。私は当時すでに「甘え」の問題に取りつかれていたが,彼が「甘え」に相当する心理の分析上の重要性を指摘しているのを知って,実に百万の援軍を得たごとき思いがした。私はこれより少し前,精神分析訓練のためにアメリカに留学し苦い経験をなめたばかりであったが,ここにようやく自分と同じ発想をする西欧の分析医に,書物の上とはいえ,遭うことができたように思ったのである。
 私がしかし実際にバリントと文通するようになったのは,その後一九六二年,私が米国の精神衛生研究所に滞在するようになってからのことである。その頃,「甘え」についての栄文の論文もようやく発表できたので,感謝の心をこめて送ったのが文通の始まりである。彼は早速返事をくれて,私の理解の仕方を支持してくれた。私はその後も英文で書いた二,三の論文を彼に送ったが,その都度彼は私の考えに賛成する旨の手紙をくれ,われわれの考えが同一線上あることを喜んでくれた。彼の最近の論文の別刷りもその頃送ってくれたように思う。かくして私は是非ともいつかバリントに会ってみたいと思うようになった。一九六四年夏,私は国際社会精神医学会議と国際精神療法会議に出席するためロンドンに赴くことになったので,ついにその好機が到来したのである。
 私はロンドンに滞在した二週間の間,三回ほどバリントを訪問した。いずれも彼のセミナーに出席したのであるが,生来私が内気であるのと,それに相手があまりにも偉大な先生であるために,私はあまり話をすることができなかったように思う。ただ今も深く記憶に刻みこまれているのは,極度の近眼のために眼を本に押しつけるようにして読む彼の前こごみの姿勢と辺幅を飾らぬ人柄,それにセミナーを指導する際の彼の簡にして要を得た言葉使いなどである。私はその後も何回か彼と文通を続けた。最後に受け取った手紙は一九六六年一月の日付のもので,それには私が紹介した患者についての報告がしたためてあり,いつ,もっと長くロンドンに長く滞在するように来れるか,と書いてあった。その後私が心ならずも文通を怠ったのは,一つに彼に送れるような英文の論文を書く機会がしばらくなかったことと,その頃から何かと身辺が急に忙しくなり,心の余裕を失っていたためではないかと思う。
 バリントは一九七〇年十二月,七四歳でこの世を去った。私が「甘えの構造」を出版したのは翌年の二月で,その英訳が出版されたのは一九七三年の春である。私は,この英訳を彼に見せることができなかったことを返す返すも残念に思う。きっと彼は心から喜んでくれたに違いない。私が多くの教示を受けた分析医は他にも何人かいる。しかし私がもっとも親近感を覚える分析医としては躊躇なくバリントの名をあげよう。この拙ない一文を草して彼の墓前へのせめてもの手向けとし、謹んで彼の冥福を祈る所以である。

一九七八年六月六日 土居健郎