「はじめに」より

 他人の存在あるいは視線はわれわれにとってどのような意味を持つのだろうか。また,自分を他者の面前に示したいという気持ちはどのような欲求の表われだろうか。ある俳優が私のところに相談にみえた。彼はラブシーンの時に相手の眼を見られないため大変こまっているとのことであった。よくきくと常に人の視線が気になってしかたがないが,それは何とかごまかしながら生活している,しかし,ラブシーンだけは視線を合わせなければならずどうにもごまかせないとのことであった。また,ある美しいモデルの女性が相談にみえた。彼女は自分の容姿がどうにも醜くく,鏡を見る度に絶望的になり,時に自殺さえ考えるとのことであった。
 この俳優の悩みは広くは対人恐怖症とされ,その亜型としての視線恐怖症・正視恐怖症の範疇に入れられるものであり,モデルの女性の悩みは醜形恐怖症の範疇に入れられるものである。それほど他人の視線が怖かったり,自分は醜いと感じているなら,どうして人前にでるような仕事についているのかと多くの人はいぶかしく思うであろう。ここに対人恐怖症者,醜形恐怖症者の苦悩が鮮やかに現われている。彼らは,人に愛され,受け入れられ,認められることを心から求めている。いやそのことだけを考えているといっても過言ではない。人に愛されることを何よりも求めている彼らが,人を恐れざるをえないという苦しみは筆舌につくしがたいほど深いものである。
 私には,このような他者との関係性のなかでの自己のあり方あるいは自己像に悩むという姿が,きわめて人間の基本的な苦悩を象徴しているように思われた。また,対人恐怖症は自分を過剰に意識すること,いわゆる自意識の問題も含んでいるばかりでなく,自己愛の問題や自己評価の問題にも深く関連を持ち,醜形恐怖症はそれらの問題とともに容姿の美醜の問題にも関連するきわめて人間的な苦しみでもある。その上,この対人恐怖症はわが国に多いとされてきた神経症のタイプであり,その研究はわが国の神経症研究の主流であり,日本人の心性を何らかの形で代表しているものとされている。
 この対人恐怖症,醜形恐怖症,あるいは対人恐怖症的な悩み,人づきあいが苦手という悩みを私自身の大切なテーマとするようになって20年近くになる。治療的にかかわった方はスーパービジョンしたケースも含めると150人を上回っているのではないかと思う。人数,年限からは私以上の臨床経験をされた方はほとんどいないのではないかとさえ思っている。治療についても精神分析的な治療やグループワークなど私なりに工夫してきたつもりであるし,彼らの苦悩の本質を理解する枠組みや,どのような治療的なかかわりがもっとも効果的であるかということについても私なりの考えを少しずつ整理してきたつもりである。そういう意味で,まとめて述べさせていただいても良い時期がきたように思い本書を著すこととした。本書が,この種の苦悩を抱く人には解決のヒントを,臨床家の方々には治療について何らかの示唆を提供できることを願うものである。また,本書の内容は精神病理学,精神分析理論,発達力動論,さまざまな治療技法,自意識(自己意識理論),比較文化論など対人恐怖症・醜形恐怖症に関連のあるさまざまな考えや切り口から検討したものであり,臨床研究のモデルとなる構成となっている。このような方法こそが哲学的・思弁的な研究や,精神分析の理論をあてはめていくような研究を越えていく臨床研究に必要な姿ではないかと考えている。
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