「あとがき」より

 臨床心理士としての私にとって,子どもの遊びは常に魅力に溢れるテーマであった。それは,私が子どもの遊戯療法から心理臨床をスタートしたということとも関連するのであるが,大人のクライエントを対象とした場合にも,子どもの遊びに関わる視座は,そうとうに役立つように思えるのである(この問題については,本書の第2章で触れている)。
 それでは,私自身が子ども時代に大いに遊びを満喫した人間なのかといえば,必ずしもそうではない。それは,決して遊びよりも勉強に精を出していたということではない。私は,子どもの頃,体が弱かったため,同世代の子どもと比べると,ずっと遊びの体験が少なかったと思う。また,9歳まで地域と離れた小学校に通っていたため,近所にはごく限られた友達しかおらず,いわゆる徒党を組んでの遊びをほとんど体験していなかったのである。同世代の子どもたちがごく自然に体験していたことを体験していないという意味で,遊びは私にとって,いわばコンプレックスのひとつであった。
 しかし,そのような私でも,今も明瞭に思い出すことのできる遊びがあった。そのひとつは,ゴジラの絵を描く遊びである。当時(おそらく6,7歳の頃),私が観たゴジラ映画は,東宝映画第2作目の『ゴジラの逆襲』であった。ゴジラは私を虜にした。ゴジラが暴れ,戦車や大砲を蹴散らす絵を繰り返し描いた。画用紙は高価であったため何枚も使うわけにはいかず,あとはデパートの包装紙の裏を用いた。しかし,包装紙ももったいないとされる時代であった。そこで私は,紙が足りなくなると新聞紙を使って描いた。新聞紙に描くゴジラは,活字に邪魔されてちょっとさえなくて不満であったが,好きなだけ何枚でも描ける安心感の方が大事だった。ゴジラの絵を描いているときの私は,完全にイメージの世界に没入していたと思う。私の体の中で血が沸き返り,私の視野の中にはゴジラがほとんど三次元空間で立ち現れていた。半世紀近く昔のことではあるが,そのときの感覚は今も一種の体感として残っている。
 子どもの遊びは,すさまじいリアリティを持っているということを,私は私なりのやり方で体験していたのである。
 もうひとつ思い出すことのできる遊びは,2歳年上の兄と一緒に作り出す遊びであった。それは,玩具も何も使うことなしに,ことばのみによって物語を創造する遊びであった。
 主人公は,熊や猿,リス,あるいはペンギンであったと記憶している。主人公によって物語はいくつかの種類の設定に分かれ,ひとつの物語が数か月続くと一段落し,しばしの中断ののち,また別の物語が始まるというあんばいで,そのような遊びはそうとうに長い年月繰り返し行なわれた。おそらく最初の遊びは,私が4,5歳のときに始まった。その頃は,動物のミニチュアやぬいぐるみ,あるいは物語に登場するキャラクターを描いた自作の絵が用いられていたので,もともとはごっこ遊びだったのだと思われる。しかし,まもなく道具は使わずに,純粋にことばだけで物語を紡ぎ出すようになったのである。この遊びは,実に私が11歳頃まで続いたと思う。
 私と兄は,たとえば食事をしながら,物語の遊びを始める。主要な登場動物の役を二人で適当に分け合ったあと,私がしゃべった内容を兄が引き取って発展させ,次に私がその続きを継ぎ足すといった形で,次々と物語を展開させていくのである。「朝が来て,**は旅に出ました。どんどん歩いていくと,道は山道になるのね」「すると,そこに,1匹の牛が寝ていました」「**は,牛を起こさないように,そっとそばを通り抜けようとしました」「ところが,……」といった具合に,物語は進展していく。適当なところで打ち切って,その続きはまた別の時間にやるのであった。テーマは,事件や闘いなどをめぐる冒険談のようなものが多かったと思う。それほどシリアスな内容のものはなく,主人公たちがちょっとした英雄として活躍する筋書きであったように記憶している。
 この遊びのときも,私はイメージの世界に没入した。ことばで物語りつつ,私の眼前には動物を主役としたドラマがリアルに展開していたのである。
 子どもの心理療法家であったスイスの小学校教師ツリガーが,著書『遊びの治癒力』のなかで紹介した「サンゴイランド」の世界は,3人のきょうだいが数年にわたって繰り広げた物語りの遊びの世界である。ツリガーは,その遊びが3人のきょうだいの心の成長と不可分に結びついていたことを指摘している。『遊びの治癒力』は,20数年前に,当時,中京大学にいらした西村洲衞男先生の研究会で輪読したものである。そして,その本を読んだとき,私はそこに描かれたものが,まさに私が体験したものと等質のものであることを知り,強烈な感動を覚えた。すなわち,遊びの体験が少ないと思い,そのことを秘かにコンプレックスにすら感じていた私が,実は私なりの方法で濃密な遊びの体験を得ていたことを知ったのである。
 多くの子どもは,各人各様のスタイルで遊びの世界を持ち,自分の子どもの頃を「黄金の時代」として記憶に止める。彼らが客観的に「黄金の時代」を手に入れていたかどうかは,評価の基準の難しさもあって定かではないが,少なくとも主観的には手に入れていたのである。この主観的な「黄金の時代」こそが,子どもを成長させ,自分についての確からしさを獲得させるのに大きな役割を果たすのであろう。
 ところで,遊びにはしばしばシリアスな内容のものが含まれることがあるので,子どもが遊びを楽しんでいるという言い方は一概にできないであろう。たとえば,第1章(28頁)で紹介した御馳走の絵を描くD子の遊びは,私自身の体験でもあった。私の記憶のなかでは,画用紙はとてつもなく大きく,主観的には半折大(およそ80×50cm)もあったような気がする。考えてみると,一種の飢餓状態を御馳走の絵を描くことによって満たそうとしていたのだから,シリアスな要素を伴っていたのである。しかし,無論,そのときの私は自分が何をしているのか分からなかった。苦しかったかといえば,そこが守りとしての遊びであって,苦しくはなかった。楽しかったかといえば,それはよく分からない。ただ,強烈なリアリティを感じつつ,御馳走の世界を前にしていたことだけはハッキリと記憶している。
 第2章(55頁)に,「セラピストに求められるのは,子どもが体験しているリアリティに添い,それを最大限生かす努力を行うことである」と述べたが,私は,これこそが遊戯療法の治療メカニズム(遊びの成長促進メカニズム)に関する中核的テーマだと思っている。本書全体の底流にあるテーマは,まさに“遊びにおけるリアリティの体験”であるといってさしつかえない。しかし,それはあまりに大きなテーマであるので,私はまだ正面から取り組むことができず,このような「あとがき」におけるエッセー的な乗りのなかで書かせて頂いている。いずれは,そのテーマについて,本格的に取り組んでみたいと思う。
 本書は,25年を超えて30年に近い,私の心理臨床の歩みのなかで書いた論文等をまとめたものである。遊戯療法およびそれと関連するテーマの書き物を編集したのであるが,章によっては,原典の痕跡がなくなるほどに書き直している。また,第2章「遊戯療法をベースとしたいくつかの鍵概念」は,紀要に載せたとはいえ,実質的には本書のために書き下ろしたものである。編集や書き直しの作業は,私にとって,大変ではあったが,楽しいものであった。というよりも,いくらでも書き直し,手を入れたくなった。単著の形で世に出す初めての著作であるので,大切にしたい気持ちもあり,また,いつまでも私の手元で温めてみたい気持ちがあったのである。
 本書を出すにあたって,河合隼雄先生に序文を書いてくださるようお願い申し上げたところ,快くお引き受けしてくださった。これは,何よりも私の喜びとするところである。いつか私が単著を表すときには,河合先生の序文をいただきたいというのが,私の長年の夢であった。先生は,私にとってあまりにも影響が大きく,また臨床心理士としての私の成長の節目節目で重要な役割を取ってくださった方である。今回もそのような役割を取ってくださったことに,心から感謝申し上げる次第である。
 また,本書に登場するさまざまな子どもたちにも,御礼を申し上げたい。彼らは,私にとって貴重な宝である。彼らと私が共同して作り上げた世界を通じて,彼らも人生のひとつの山を超えることができ,私も成長させていただいた。心から「ありがとう」を述べたい。
 そして,私が心理臨床の世界で直接師事したお二人の先生に御礼を申し上げ,感謝の気持ちをこめて,謹んで本書を捧げたい。お一人は,私が心理臨床のベースを作るのに,並々ならぬお力を貸してくださった西村洲衞男先生である。西村先生なくしては,今の私は存在していなかったであろうし,河合先生の影響を受けることもずっと少なかったであろう。先生は,かつても今も変わることなく私の師である。もうお一人は,私が実験心理学から臨床心理学の世界に移るときの導き手となり,その後も常に私を温かく見守ってくださった,今は亡き佐治守夫先生である。先生は,今も私にとって,心の師であり続けている。
……(後略)

2002年7月 弘中正美