はしがき

 私は1958年に大学を卒業し,以後,大学院から心理臨床の仕事を始めて50年近くになる。この間,個人臨床,エンカウンターグループ,キャンパスカウンセラー,学生相談,アメリカでの修練,また九州大学,久留米大学,東亜大学,九州産業大学などの臨床心理系大学院の立ち上げに参加し,そこで出会った多くの院生たちと「共学共生」しながら臨床と研究を展開してきている。日本における心理臨床のフロントランナーの一人として,今は学校臨床心理士ワーキンググループ代表として走り続けている。カウンセリングの諸潮流の中では,ロジャース,ジェンドリンの,パーソン・センタード・アプローチ(PCA)の流れに竿をさし,日本の心理臨床の発展とともに歩いてきている。
 本書は「臨床を生きる発想」と題してこれまでに私が取り組み,育ててきた心理臨床に関する方法論,科学論,事例,理論,学生指導論など私の思想を1冊にまとめ,これまでの歩みを整理し,さらに発展の方向を展望して世に問うことにした。
 序章を含め5部構成に編集した。以下にその特徴を論じて本書への誘いとしたいのである。
 序章 この小論は平成9年3月に九州大学を定年退官したときの退官記念講演である。ここでは私の研究者,心理臨床家としての航跡を述べている。一人の人間として学生時代からどんな軌跡を描きながらカウンセラーとして,教員として生きてきたかをたどってみた。臨床活動を行った職場単位にできるだけ忠実に述べたつもりである。村山正治という人間の個人史でもあるし,日本の臨床心理学史の一端でもあると言えよう。今日,カウンセラーとして,臨床心理士として生きていこうとする若い人に読んでいただければ幸いである。読者の方々にはいかに多くの人との出会いがあって,激励され,助けられ,教えられて,今の私が在るし,私の可能性が開かれてきたかがよくわかっていただけるであろう。ここで語った「ナンバーワンよりオンリーワン」は九大大学院生の部屋に長く貼ってあったと聞いている。
 私はまず九州大学教養部に職を得たことが,どれほど幸運だったことか。道を開いてくれた二人の恩師,故京大佐藤幸治教授,故九大安宅孝治教授に心から感謝したい。
 第1部 2002年ロジャース生誕100年祭を契機に,世界中でロジャースの再評価が行われている。不幸にして日本の臨床心理学の世界では,忘れられかけている。ロジャースのパイオニア精神,先見性,実践力,科学性,肯定的人間観が高く再評価されている。もっと読まれて良い著者である。
 1章は「臨床心理学」誌の依頼で書いた「臨床家のためのこの1冊」(印象に残る本を紹介するエッセイのコーナー)にロジャースの名著 メOn Becominng a Personモ について書いた文章である。私のとってはこの本は座右の書でもあり,ロジャース理解の原点である。いつでも懇々とエネルギーを与えてくれる。1960年に出版されたにもかかわらず,今でもアメリカで売れていて,20世紀の名著百選の1冊にあげられている。この1960年は,ロジャースが日本に招待されて初めてきた年でもある。当時,私は京都大学の大学院の学生であったが,ロジャースその人と接触する機会を与えられた。12年後には,70歳になってなお精力的に世界を舞台に活躍していた,ロジャースの創設した研究機関Center for the Studies of the Person(人間研究センター)に留学して,多くのことを学んだ。
 最近上掲書は『ロジャースが語る自己実現の道』(諸富祥彦ほか訳,岩崎学術出版社)として新訳が出ている。読者の皆さんにもぜひ一読をお勧めしたい。
 2章ではロジャースが80歳から余生を世界平和に貢献したいと宣言して,85歳で亡くなるまで,アイルランド,南アフリカ,南アメリカなどの紛争解決に,エンカンターグループを用いた実践を展開した。この活動でノーベル平和賞の候補にもなった。「靴を履いて死ぬ」と宣言したとおり,またマリア・ボウエン博士から「死に急いでいる」との手紙どおりに,ロジャースは自宅で転倒し腰を打ち,手術中に心臓発作で亡くなった。晩年のロジャーの生き方,生き様がロジャースの選んだ自己実現とは何かを教えてくれるであろう。
 3章は私にとってPCAは何が魅力なのかを語った講演録である。ロジャースの思想や人柄のうち,私の生き方に大きな影響を与えた部分をクローズアップした。PCAの忠実な紹介ではなく,私が生きたPCA論である。学術的というより,縦横にPCAの魅力を語ったものである。また私自身の臨床を生きる発想のもとになる体験やヒントを自由に語っている。
 第2部 ここには,私の面接事例の実際,エンカウンターグループ体験の実際,学校カウンセリングの実際論を集めている。いわば私の実践論である。4章,5章は不登校中学生の面接に取り組んだ事例である。不登校の原因論でなく,援助論を展開したところは今でも新鮮である。おそらく心理臨床家としては日本で初めて訪問面接を行った事例である。この事例を通じて私はカウンセラーとしてやっていけそうであるというプレゼントをいただいたのである。その後日談が第5章のエッセイである。
 6章,7章,9章は私のグループ論である。エンカンターグループは人とのつながりを重視するところが日本の文化にマッチしたところがあって,日本で大変な発展を遂げている。私にとっては,大学紛争のとき,教養部カウンセラーとし活動したことが大きく影響している。1960年代で日本の文化,社会,学問がパラダイムシフトした時代であった。エンカンターグループは,今日のように心理臨床家の養成訓練に力点があるのではなく,世直し,意識改革に力点が置かれていた。エンカンターグループの発達段階理論,グループ臨床の重要性を力説してきている。個を中心とした時代のグループの在り方,「バラバラで一緒」,所属感の重要性を,日本のグループの在り方を追及して来ている。また学校臨床ワーキンググループ代表としての活動から,新しいネットワーク論を展開している。
 第3部 これは臨床実践を科学する方法論について考えてみた。日本では,実践信仰と理論信仰がある。臨床心理学が大学制度の中で地位を獲得するため,私どもが大学院のときは心理学では物理学をモデルにした自然科学モデルが支配的であった。昭和30年代は,戦後の輸入学問であるカウンセリングや臨床心理学は,大学に指導できる教員がいなかった。「カウンセリングは科学でない」と大学の心理学講座では軽蔑されてきたのである。50年前の日本では,今日の臨床心理学の隆盛は想像すらできなかったのである。ここでは,科学とは何かという科学観を問題にしている。私は3部で,臨床心理やカウンセリングでは,実践と研究を分離させないことが創造性を生み出すと考えている科学観を展開している。エンカンターグループ研究でその実例を示してきている。学生指導でも,学生が自分の研究の鉱脈を探すことを促進し,方法論より問題意識,大切な課題を見つけることの大切さを強調している。後進の育成については第4部で詳しく説明することになるだろう。
 第4部 ここは大学院生や教員の方々に読んで頂きたいものだ。
 私が立ち上げに関与した九州大,久留米大,東亜大,九州産業大の各大学院臨床心理専攻において,私自身が工夫した大学院生の指導のあり方,学位論文の取得,臨床心理学の研究の進め方,心理臨床の実践家と研究の統合などについて私の工夫と持論を展開したものである。私は基本的にはPCAの立場に立っている。しかし,日本の文化に適した柔軟な方法論を展開してきているつもりである。欧米の大学院制度と日本とはだいぶ異なっている。今日,日本臨床心理士資格認定協会の指定大学院が136校もあり,臨床心理士やその指導者をどう養成するか,その専門性は何か,など今後の日本の臨床心理学の発展に大きく関わっている。私が3部で述べた在り方を通じて,私はこれまで,多数の博士号,修士号取得者を生み出してきている。ご検討いただき,ご批判を仰ぎたい。
 13章は私の九州大学における研究者養成の原則や方針を述べている。私が九大心理教育相談室長時代に考案した院生たちの相互研修,啓発システムである曜日当番制など当時はあたらしい画期的なシステムだった。今でも役立っている新しい運営方法,院生訓練のあり方を提案し,実施してきている。当時の九州大学の多様性に富み,創造的,建設的な雰囲気にも触れている。
 14章は「臨床心理学」の特集号の依頼で,臨床心理学の発展の方向について私の意見を具体的に述べたものである。全体としてみれば,臨床心理学は私が提案した方向に発展してきていると確信している。
 15章は,私はPCAやフォーカシングの研究,学校臨床心理士のワーキンググループの活動により,平成13年度日本心理臨床学会賞を受賞したが,その記念講演である。中京大学で行われた講演には当日,シンポジュウムと並行したプログラムであったにもかかわらず1,000名を越える参加者が熱心に聴講してくださったと聞かされている。この論文は私が大変気に入っているものの一つだ。私がこれまで展開してきた臨床心理学における,科学論,研究方法論,大学院生の指導教育論,学校臨床から発展したネットワーク論などすべてを90分で語った。著名な先生方も聞いてくださり,エールを送っていただいた。
……(後略)

平成17年10月20日 福岡,二丈山の家にて  村山正治