本書の編集主旨と利用法

 日本集団精神療法学会は,人の発達になぞらえると今どれくらいの成長を果たしているのであろうか。その成長を公にしていく場が,われわれ学会員の日々の研究産物が厳選されて掲載される学会誌『集団精神療法』である。今年ですでに15巻が発行されている。この暦年例がそのまま学会の成長年齢というわけには行くまいが,大事な成長期にあることは間違いない。どの成長期にあるかを知ることも育てて行くには重要な情報である。本書はその指標を見出す基礎知識を提供するものとして期待されてもいる。
 そもそも本書の発行が提案されたのは,私が第2代編集委員会委員長(1994年〜2002年)を引き受けたと同時に直面した困難に起因している。投稿論文の審査責任を負って仕事を進めていくと,会員の間で用語の使用に一貫性にないことが目に付いた。さらにそればかりでなく,すでに概念化され研究が蓄積されている事象が,初めて記述された事象であるかのように扱われ,その概念化が論文の中心を成している投稿論文に出会うこともしばしばであった。学会のコミュニケーションは,少々大袈裟に聞こえるやも知れないが,「バベルの塔」崩壊後の混乱した言語様相を呈していたのである。
 臨床学的研究は,現象記述が言うまでもなく基本である。正確な観察と調査・実験により,現象はできるだけ事実に近い形で記述されることが第一歩である。そこからその事実を説明する原理が仮定され,実証の試みが種々成され,同じことが確実に再現される条件が整い,過程は傍証,実証されることによって普遍原理が同定されていく。したがって現象を忠実に記述していく言語は,意味が一貫しているものでなければならない。構成概念は,人によって使われ方が異なる多重の意味を持つものでは用具的価値が低くなるのである。
 研究者にとって当たり前のことを書いた。臨床家であり研究者でもある学会員には言うまでもないことであるが,このことが素朴な現実検証を大事にして臨床を追い始めると,なかなか難しいことに気付くものである。もともと本書は,混乱した専門言語および構成概念の統制的使用が必要との認識から,委員長として編纂することを提案したものであった。しかし項目選定から,執筆依頼,そして編集の作業をたどっていくと,各部門編集責任者の言に明らかであるように,同じ専門用語と思えるものが領域やアプローチによって全く異なった意味あいを持って使われ,すでに定着しているという事実も見えてきた。これを強引に一本化はできない。言葉は生きているといわれるが,道具として言葉が独立して動き始めると,原義がどうであれ,それとはまったく異なった意味あいを持つこともまれではない。
 改めて,「バベルの塔」伝説をご存知であろうか。民が一致団結して天にも届けと塔を作っていく。正に神の領域にまで塔が迫ってきたところで,それは怒りに触れて崩され人々はそれぞれに異なった言語を話し始め意志疎通が不能になる。もはや二度と皆で一致団結して神に背くことは不可能となる。そういった神話であるが,これは人の発達になぞらえてその力動を考えると面白い。潜伏期(児童期)子どもたちは同じ目標を持って仲間で一致団結し活動を展開し,そこに自分たちでこそ作れる産物ができることにこの上ない喜びを感ずる。これをしっかり達成した子どもは,もはや集団の団結にのみ喜びを見出そうとはしなくなる。皆と同じから皆と異なる自分の行為,アイデア,思想,表現を求め個性化の道をたどり始める。これがバベルの道と私が呼んで潜伏期から思春期の発達力動として関心を持っている事柄である。「個人が,ねばり強く生産に取り組みなおかつ個性を磨く心性を獲得するには,バベル体験が必要だ」というのが私の発達力動仮説である。
 このことからすると,われわれの学会が学会誌を勢いよく発展させ,気がついてみると異なった言語を話していたと言うことも,集団としての成長の重要な意味を持っていることが改めて認識できよう。われわれ編者は,臨床家の基本に立ち返り使われている用語を権威主義的に統一することはしないで,慣用的に使われている用語はどの領域のものであれ,まずはそのまま生かしてそこに包含される意味内容を明瞭化することを狙った。科学大系としては,このような実情は曖昧性を大きく許していることであり,緩い科学の汚名を着せられてしまうかも知れないが,あくまで事実に忠実にとする臨床科学的態度に誤りはないと私は考えている。われわれが使っている言葉そのものが大事なのではなく,それによって描かれ指示されている事象そのものが重要なのである。やがてわれわれのルーズな言語使用が残っている部分も,その本体の事象の追求を止めないでいる限り,シャープでキレのいいものに収束されて行くであろう。
 その意味で,本書はわが国における発展途上の集団精神療法を,様々な角度で可能な限りの言語および概念で照らし出そうとした実直な産物であると言ってよかろう。妥協をしていないのである。それぞれに専門とする執筆者が,妥協することなくその領域で文字通り実質使用言語を,説明し論じた集大成が本書である。わが国最初の集団精神療法の体系性を意識した用語・概念解説書である。ここを出発にし,学会員が自分の臨床をより広い視野でしかも一致性の高い共有言語で議論できる展開が期待されている。自分の臨床経験が言葉を持つことで,より大きなパワーを発揮するようになることを経験して欲しいものである。

 さてそこで蛇足ながらも,本書の楽しみ方である。まず時間があり,集団精神療法に本格的な関心を持っているとの認識があるなら,まずは自分の中心領域を定めてその部門のはじめの頁から普通の本を読むようにその全部を読み進めていってみよう。用語集であるが,各部門ごと読み物として楽しめる配列が工夫されている。さらに時間にゆとりがあるか関心があれば,普通の本を読む如くに最初からゆっくりゆっくり道草食いながら読み進むのは,結構楽しいであろう。道草は,例えば,関連項目に時折興味に任せて飛んでみる,連想をたどりながら項目の異なった配列を楽しんでみるといったものである。概念や用語の異なった側面が見えて来るであろう。
 もう一方が,辞典もしくは事典として,今最も知りたい用語,概念,人物を索引から引いて調べる読み方である。論文やレポートを書くときの読み方である。この時も先の道草も同様であるが,関心の展開によって引用文献や参考文献の原典に当たってみることができるとよい。深く検討して行くには,また慣れない用語や概念を論文作成にあたって用いる場合,この用語集のみでは孫引きに終わる面も否定できない。原典を検討しさらに別の原典へとネットワーキングしていくことが,止められない面白さを生むものであり,それがまた研究の重要な部分を成すものになる。論文を書くのでなくとも,集団精神療法を体系的に学ぼうとしている方々は,これを自分自身の用語・概念ノートを作る作業として進められるとよかろう。集団精神療法の理論について,独学を展開できるであろう。ノートを作り仲間と討論をし,疑問点や解答を求める問題を置いて,また事典としての利用を進めその問題を解決するべくさらに調べていく。これを繰り返しながら,自分だけのノートを構築していくのである。本書を出発にして,新たな用語,概念集が自分の使い勝手よく作られていくことであろう。昔のわれわれ学者の卵が,文献カードを用いて手作業的に行っていた方法である。

 基礎概念は,科学体系の要素である。科学は,臨床を客観化しその効果を高める有効な手続きを供給してくれるものである。そして何よりも専門家同士のスムーズなコミュニケーションの展開が,個々の臨床経験を豊かなものにしてくれる。本書が次の版が出るまで,読者の手元で手あかにまみれるほどによきアシスタントとなることを願って止まない。また次の版のために,ご批判ご意見を出版もとにお寄せいただければ幸いである。

国際集団精神療法学会理事(国際基督教大学高等臨床心理学研究所) 小谷英文