「まえがき」より

 これまでに書いた論文・エッセイ・書評の中から,このたびは,主として実用的・実利的なそれらを集めてみました。
 臨床経験を積み重ね,それを吟味・粘弄(ねんろう)して,心理療法に役立つと思われたことがらは,大小を問わず拾い集めて文章にする。これが私のきわめて素朴な学問の方法です。たとい,それが目新しいものではないとしても,無難に心理療法を進めていくために肝要と感じたことがらは,反復をいとわず採り上げております。
 この年になるまで,症例検討をずいぶんさせていただきましたが,新人,中堅を問わず,彼らの治療面接の進め方をきいていると,土台のところでつめが甘い方がすこぶる多い。そこがいわば判で押したように共通の盲点になっています。そういう盲点は,指摘されればどなたも「何だ,当たり前(じょうしき)のことじゃないか」と思われるようなところです。しかし繰返し口を酸っぱくして言わないと,実行には移していただけない手続きでもあるのです。そういった盲点に気づくのに本書がお役に立つのではないかと思っています。

 「心理療法の常識」と題しましたが,文中では精神療法という表現も使われており,統一していません。ちかごろは心理療法という訳語を好んでいます。その理由は,「心理療法の道」と題する講義の中で少し触れています。また,心理療法というものを学理化する努力をつねにおこたるべきではないと信じております。その意味でも心理療法という言葉が適切だと思っています。
 心理療法といってもそれは私の場合,「家族を含めた心理療法」の謂であります。こんにちの思春期・青年期の患者を対象とした場合,わけても境界例を対象とした場合,家族をも含めた接近が治療の近道であり,あえていえば王道であると主張したいのです。だからといって,さまざまな技法を駆使する,「家族療法」だと大上段に構えるのではなく,個人心理療法の基本に忠実である方ならば,そして親を治療の邪魔者と錯覚されない方ならば,どなたでも実行可能な家族へのアプローチを述べているつもりです。私の方法を「常識的家族療法」と称する所以(ゆえん)です。

 本書はどこから読み始めていただいてもよいと思います。Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ部についていえば,どの論文・エッセイとも日頃の私の主張が顔を出しているはずです。その主張が,大手を振っているときと,ちょっと顔をのぞかせているだけという違いはありましょうが。
 またやさしく書いた文と少しく理屈ばっている文との二つに分けることもできます。理屈っぽい文章は表題も硬くなっている――たとえば「欧米流精神療法を実施するさいの日本語の特性について」のように――したので読者には容易に解ると思います。硬いのをお好みの方は,そちらの方から読んでいただければと存じます。
 私の文には漢字が多すぎるといわれることがあります。これは年齢の故だけではなく,意図して漢字を増やすときがあるのです。
 心理面接では,患者・家族の発言のひとつひとつに留滞(りゅうたい)して吟味していくことが,おりおり必要です。私の考え方にしても少しく立ちどまっていただきたくて漢字をふやしている傾向があるのです。
 こうして一冊の本にしてみると,反復強迫といいますか同じ歌を歌っている欠点が目につきますが,それには利点もなくはないでしょう。
 いつも土台のしっかりした長持ちする家を何軒も作ることができる昔気質の大工さん。あれが,私の職業上の理想像です。
 心理療法の世界において間々みられる聖職者風の意識とは一切無縁で,石の大工のような職人根性(プロいしき)をわがものとしたい方々には,私の繰り返しグセも少々お役に立つのではないかと思います。
……(以下略)