ファントム空間は疾走する
――序に代えて――

 1990年だったと思うが,その年の日本精神病理学会開催の前触れとしてニュースレターというのを1枚くらい書くように,と求められ,この句を表題にした一文を書いたことがある。もちろん内容は気楽なもので,当時私は,停年後始めた楽しみとして,自動車運転に凝っていたので,ふとこの言葉が頭に浮かんだのである。つまり運転しているときの注意空間は,前後100メートル位,左右が各10メートル位の透明な紡錘状をしているように思えて,この目に見えない空間が,時速40〜60キロで車とともに疾走している,というところをイメージしたのである。もちろんどの運転者でも同じだから,路上は無数のファントム空間が疾走し,交錯していることになり,ぶつかる音はしないが大変な混雑ぶり,とこの「目」からは見える……。
 私にはこの言葉がジャン・コクトー風の一行詩みたいに思えて,ひとり悦に入ったものである。

 さて私が全4巻の著作集を出していただいてから,早くも12年が経過した。幸い今でも一人前に働き続けてきたので,この12年間に自ずと書き溜まったものも増えてきた。そしてはからずも,今回それらをまとめて出して戴けることになった。さらにこれを機会に,以前著作集から漏れていた若干の論稿や,専門的でない全く一般的エッセイ類をも収載していただけることになった。

 ただしこうなると内容,形式はかなりばらばらで,純粋な学術雑誌論文もいくつかはあるが,その他エッセイ的なもの,純粋なエッセイ,講演,対談,精神医学以外の部門(たとえば数学や,哲学,思想の出版物に(招待されて)のせたもの),など色とりどりである。しかしあらためて思うのだが,私の思考は,テーマの大小を問わず,この文頭にもかかげたファントム空間,さらにはその基礎をなす『パターン』(O.S.ウォーコップ)に拠って立ち,浸潤されているのであった。
 これを拡張して,「精神科医のものの考え方」と一般化したタイトルにするのが適切かどうかはよくわからない。第一,これは一般世間の考え方に対比されて,精神科医の特殊な経験に基づく,特殊な考え方,という印象を与え,かつそう期待されるかもしれない。私の本意はそうではない。私の拠って立つ考え方は全く汎用的なもので,(すべての哲学の基礎にさえ成り得るもので)私が精神病理学や精神医療現場に応用したのは,たまたま私が精神科医だったから,というのが順序である。
 私はこの考え方が,あらゆる方々にとって役立つ,と,ほとんど信じ,かつ願ってきた。ということは,どんな職業,研究領野においても,有効な活用ができるのではないかと,願い,期待している,ということである。本書の中には,この基礎論をできる限りわかりやすくまとめて伝えたい,という趣旨のものが,(そのものずばりの題名でかつ最新の要約である第8章を始め)少なくとも3篇ある。その意味では3篇とも同じことを語っているのだが,それぞれ語る場面や時代が違うので,まとめ方も異なり,それぞれ違う色光で浮かび上がるような具合に見てくだされば嬉しい(以前の著作集では,これらの考え方が個人的に私の頭の中で発酵してゆく時間的順序通りに稿を並べたので,要約して大観することが難しかったことと思う)。

 上記の意味では,「精神科医の」という形容詞はむしろ不要かと思われるくらいであるが,何分私が生涯を賭けた職が職だから,大部分の論稿はまさに専門的なことに集中しており,その点この特称をつけないのもまた不自然に思われた。もちろん精神科医が皆一色であるわけもなく,「私という精神科医の」という意味であるが,さすがにそこまでつけてはあまりに冗長なので,「私という」は省略させていただいた。
 さらに付言すれば,本書を読まれる一般の方に役立つと思われるのは,各自の専門の特殊領域についてだけのことではない。はるかにそれ以前に,人生の認識それ自体を整頓し,明るくし,医者風の言い方をお許しいただければ,心の健康を保ち続けるのに役立つ,という効果があるように思う。これは,とくに本書の第3,8章に書いたのだが,私自身が体験したことである(逆に言えば,この力あるからこそ,各特殊領域へ新たな視点が開けることにもなるのだと言える)。押し付けがましく聞こえるでもあろうが,医者という職業がある以上,病気と健康,健康の確保,ということについて想いをひそめ,有効な提言があると思えばして行くことに,怯懦であることもないのではないか?

 このように理解して戴けるならば,(「精神科医の」という形容詞のついた)「ものの考え方」は本書のタイトルとして,ふさわしくなくはないように思われた。

 さらには私の個人的思い入れもあることをお許し戴きたい。というのは,ウォーコップを早々に(1951)日本に紹介された故深瀬基寛教授の邦訳タイトルが,まさに「ものの考え方」であったからである。
2002年8月

安永 浩


付記1
先に述べたように,本書に収載した各篇は,書かれた時代,場面が皆異なるので,その背景をあわせてご理解いただきたいと思い,初出一覧が目次に並べてまず掲載してあるし,本文の各章表題にもそのつど年代を併記した。その代わり,この前書きでは,一々の篇に註釈をつけることは省略した。例外として最初の2編にだけ一言ふれておく。この2篇は年代が最も早い。内容も初学者への指導書的なものなので,前回の著作集からも除外していた。今回も載せるかどうか迷ったが,今日新しい文献が溢れかえっている中,こういう素朴に基本的,臨床的なものも,かえって役に立ててくださる方もあるかと思い,あえて収載させていただいた。

付記2
本書に収載したのは,著作集以後の論稿のすべてではない。近年星和書店の雑誌「治療の聲」に連載した「宗教・多重人格・分裂病」や,2000年精神病理学会の招待講演,その他いくつかのものは,星和書店が近く出版して下さることになっている。(本書の中に掲載されている文献の一部には,この星和書店版が出ればそちらの方で内容を見ることができるものがある)。実はこちらの方は,やや冒険的な,物議をかもすかも知れないような内容のものを含んでいる。あわせてご参照を乞う。それに比べると本書に集めたものは,自分で言うのも変であるが,それなりにまじめで,安心できるものであり,私自身の内面もよく反映していると思う。

付記3
「精神分裂病」という日本語病名に問題のあることは長らく論議されてきたが,「統合失調症」と改める,という学会合意が,つい最近ようやく成立した。しかし本書においては,すべてがそれ以前に書かれているため,文中の病名を一々改めたり,それに言及することはしなかった。