はじめに
 「ぼくがわからないのは,そのことじゃないんだ」バスチアンはけんめいに説明した。「ぼくが望んだらそうなるんだろうか? それとも,何もかも始めからあって,ぼくはただそれをいいあてたってことなんだろうか?」
「その両方です」グラオーグラマーンはいった。
 …………
 「ご主人さま」ライオンは静かにいった。「ファンタージェンは物語の国だということを,ご存じないのですか? 物語は新しくても大昔のことを語ることができるのです。過去は,物語と共に成立するのです」
 「それならペレリンもずっと前からあることはあったというのかい?」 バスチアンはわけがわからなくなっていった。
 「ご主人さまが名前をおつけになったその瞬間から,ペレリンはずっと大昔からあるのです」グラオーグラマーンは答えた。
 「つまり,ぼくがつくったというのかい?」
ライオンはしばらくだまっていたが,やがて答えた。「その質問に答えられるのは,幼ごころの君だけです。あなたさまは,すべてを幼ごころの君から授かっておられるのです」

(ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』
(上田真而子,佐藤真理子訳))


 文化人類学,社会学,文学,哲学,心理学をはじめとする人文科学の世界で,それまで支配的であったものとは異なる言語が使われはじめてすでに四半世紀,「物語論的転回 : narrative turn」という言葉はその動きを象徴している。しかし,物語(ナラティヴ)が医療・医学の分野で広く注目を集めるようになってきたのは,ごく最近のことである。少し前まで,物語などというものは,医療や臨床とは関係のない,些末で周縁的な,臨床の場を乱すノイズにすぎないと考える人がほとんどであった。
 わが国の医療において,近年「ナラティヴ」に対する関心は非常に高い。しかし,元来多様性を許容するナラティヴという考え方は,時には理解しにくいもの,正体不明のものとして目に映る。本書は,ナラティヴの理論の単なる紹介にとどまるものでなく,ナラティヴの理論・実践・教育の現状について,広く具体的に述べることを目的としている。
 医療は二人以上の人間関係において成立する。その二人とは,「病いに苦しむ者」と「それを援助したいと願う者」である。苦しむ者は人類の歴史の始めから存在し,援助したいと願う者は,もともとは隣人など普通の人であっただろう。しかし,そういう人たちへの援助が次第に細分化するにつれて専門家が生まれ,医師や看護師に代表される専門職集団が形成されてきた。
 それが今日,なぜナラティヴという考え方が医療において必要とされるのか。医療者も患者も,ただその二者関係だけでなくもっと広い生活世界を日常生きている。しかし,専門職の世界と日常生活を同時に語る理論はこれまで少なかった。その両方にともに関わることができる「ことば」がいま求められているのではないか。ナラティヴとは,医療者その人自身を含む「その人込み」の理論である。その患者は何者で私という医療者とどう関わっているかということと,医療者として私は何者でその患者とどう関わっているかということとは,医療を人間関係としてみれば同じ問題なのだ。
 ナラティヴの実践は,医療における医療者‐患者関係を成立させるうえで有力なツールとなる一方,「無知の姿勢」にみられるように専門家が患者から教わることで協働(コラボレイト)する関係へと発展する。「援助する者」と「される者」は,必ずしも専門家‐素人という固定した役割に縛られる必要はない。しかし,それは専門家‐素人という役割を否定するわけでもない。ナラティヴというコンテクストにおいては,「無知の姿勢」も「専門性」も,物語の多元性として医療の場でともに採用可能となる。
 物語の多元性はまた,「時間」にまで波及するだろう。時は過ぎ去ったり,やって来たりするのだろうか? もし,行ったり来たりするものならば,先頭と後尾で区切られたものがあるはずだ。時間にはそんな区切りはない。すると直線的時間論もまた物語であるといえる。通常,現在とは,過去から未来へ向かう「通過点」としてしか感じられないが,語り,対話,つまりナラティヴが生起するのは「永遠の現在」においてである。過去のことを「今」語っている。未来のことを「今」語っている。ナラティヴとは「現在」の行為である。こうした考え方の延長にある実践が,医療者と患者という役割の異なる両者を臨床の場で水平に結びつける。
 医療者と患者は,医療行為という織物をともに編む縦糸と横糸にも喩えられる。お互いがお互いに対して自分の持つものを提供しあう。それを取り巻く社会や文化の糸が,さらに織り合わされて分厚くなるものの,つねに制作途上にある共同の織物なのである。個々の実践の意味は,患者と医療者,さらにはそれを取り巻く人々によって絶えず紡ぎ出される「いま,ここで」の物語として常に更新されてゆく。
 もちろん,「いま,ここで」生成される物語は,決して何もないところから,自分勝手に創り出されるものではない。語り合い,交流し合うそれぞれの歴史性を担った語りの交錯が,新しい物語を浮かび上がらせるのである。物語が生成された瞬間,その物語は現実性を帯びた歴史を担って存在している。その歴史は,複数の他者の声からなるポリフォニーとして存在し,私たちはその多声的なハーモニーの中に,大文字の他者の声,人類にとって普遍的な他者の声を聴き取ることさえできるかもしれない。
 こうしたナラティヴにもとづく医学・医療やひろくケアや援助をめぐる新たなドラマ展開。私たち編者もまた編む者として,この本を手に取る読者らが交わす対話という手作業の輪にぜひ加えていただきたいと思う。

2006年11月2日 編者一同