はじめに

誰にでもできる精神鑑定

 著者は地方の一医師であり学術的な功績も名声もない。文字どおり浅学非才の身ながらいつのまにか鑑定事例が溜まってしまい,私にもできる精神鑑定は誰にでもできる,という事実に気づいてしまった。そこで生涯一度の道楽と2001年1月に「精神鑑定実践マニュアル―臨床から法廷まで」を上梓した。在庫の山積みは覚悟していたが,○刷の好評を得た。
 精神鑑定という意味ありげな言葉の響きに乗じて思弁を弄べれば良いのだが,そうした素養に欠ける私には,経験に基づく平凡な解説本しか書けなかった。その平易さが予想外に受け入れられたようである。その後,鑑定の書式や決まり文句,証人尋問の切り返し口上などで拙著を踏まえてもらっているなと思われるものもいくつか目にした。
 刊行時には思いもよらなかったが,半年後に池田小事件が起こり,2003年7月には一気に心神喪失者等医療観察法が成立した。従来の刑事責任能力に加えて,国家の責任で行う強制医療が必要かどうかという判断が求められるようになった。鑑定医の増産が急務となり,好むと好まざるとに関わらず,それまで遠巻きに見ていた医師もこの分野に関わらざるを得なくなったのである。加えて2009年8月には裁判員制度も始まり,一般市民にも理解しやすい鑑定が求められるようになった。
 この二つの大きな要請を取り入れて精神鑑定もより簡明で均質なものに洗練されていかなければならない。鑑定に携わる者としてそういう思いは誰しも抱くところ,タイムリーにも改訂版の声をかけていただいた。
 二つの流れを意識して総論部分を大きく加筆し,事例もほぼ刷新して医療観察法鑑定を数多く取り入れた。作業を進めるうちに改訂版というよりほとんど書き下ろしの新作となったので,書名も一新した。
 社会との不適応をもたらした不幸な事態を取り扱い,適応状態に矯正していく困難な作業の一過程として,精神鑑定の需要が絶えることはない。本書の刊行が鑑定医の層の拡大につながり,鑑定の均質化の一助となれば,望外の喜びである。

2011年5月 著者